手紙から推し量られた人となり
今日、もっとも日常的に使われている通信手段は、やはりEメールだろうか。若い世代においてはLINEやInstagramのメッセージ機能もよく使われているし、相手がすでにこちらからの連絡を目にしたかどうかが分かるように、既読や開封を教えてくれる機能も備えられているものもある。
身分ある者同士の場合、人と人が直接顔を合わせる機会も稀だった平安時代中期、主たる通信手段である手紙は送り主すべてを代弁するといっても過言ではない存在だった。書かれている内容はもちろん、どんな紙を選んでいるのか、墨の色は、筆跡はどうか。ことに若い男女同士であれば、まずは手紙で相手の人となりを推し量り、しかる後にやっと顔を合わせる機会を作るのだから、いわば手紙は通信手段である以前に、一人の人間を装う道具と称しても過言ではなかった。
それだけに字がうまい人、手紙にしたためる歌がうまい人は、それだけで人気者だった。あちらこちらから手紙の代筆の依頼が押し寄せるためだ。
――やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾くまでの 月を見しかな
『百人一首』に集録されていることでも知られるこの歌は、歴史物語『栄花物語』の筆者と推測されている女流歌人・赤染衛門の代表作。ただし、『百人一首』に先立ってこの歌が納められた『後拾遺和歌集』には、「中関白(藤原道隆)がまだ少将だった頃、彼が赤染衛門の姉妹のもとに来ると言って来なかった朝、彼女に代わって詠んだもの」との説明が添えられている。そう、姉妹のために代作した歌が、今日では赤染衛門の代表作になっているのだ。
赤染衛門は生没年がよく分かっていない女性だが、この『後拾遺和歌集』は彼女の死から半世紀も経たぬ頃に完成している。赤染衛門は歌の上手として名高く、いささか辛口の人物評を下すことが知られる紫式部が『紫式部日記』の中で、その詠草について褒めているほど。だとすればそんな彼女の姉妹からという歌を受け取った時点で、藤原道隆は「ははあ、これは歌の上手という姉妹が詠んだものなのだな」と察していたのに違いない。

平安時代おける「代筆」
なお赤染衛門はこの他にも、娘や息子のための代筆もよく行っているが、面白いことに衛門の夫である文人貴族・大江匡衡もやはりあちらこちらで代筆の筆を揮っている。というのも大江家は当時、先祖代々の儒学者の家として知られており、高位の貴族たちが政務上で奉る漢文の上奏文の代筆が実質的な仕事の一つとなっていたためだ。
ただ鎌倉時代に編まれた説話集『十訓抄』には、そんな大江匡衡が藤原公任という大納言から辞表の代筆を依頼された際のエピソードが記されている。公任は匡衡に代筆を頼む前に、当時著名だった他の学者にも同じ依頼をしたが、書き上がってきたものがどうにも気に入らない。そんな経緯を知っていた匡衡が、はてさて自分にそんな大任が務まるだろうかと悩んでいると、妻である赤染衛門が事情を知り、書くべき内容をアドバイスした――というものだ。
この逸話は赤染衛門の才能を示すものとして、その後もさまざまな史料に書き継がれる。「十訓抄」は歴史書ではなく、伝説めいたエピソードも多いので、その内容が間違いなく事実かどうかは怪しいが、それにしても今日とは異なり、すべての代筆がまったく恥じるべき行為とはされていない点は興味深い。
なお代筆という点では、前出の紫式部も周囲の人々のために複数の歌を詠んでいるが、一方で彼女は歌以外の作為についてはいささか厳しかったらしい。ある時、式部はのちに夫となる藤原宣孝から、朱色の点々があちらこちらに染みついた手紙を受け取っている。これは宣孝がわざわざ細工を施し、「つれないあなたを恨んで流した涙の色」と書き記して送ったものだが、それに対して式部は、
――くれなゐの 涙ぞいとど うとまるる うつるこころの色に見ゆれば
(紅の涙なんて、ますますいやになります。心変わりの色に見えるじゃないですか)
と、辛辣な返事を返している。

夕霧が刈萱に文を結んだ理由
とはいえ紫式部はこの後、そんな宣孝と結婚するわけだが、歌の上手である彼女からすると、歌や手紙の本文で勝負せず、目に見えた作為を施して手紙を送ってきた点がいらだたしかったのでは――とついつい推測してしまう。
なお式部が書いた『源氏物語』の「野分」では、光源氏の息子である夕霧が、紫色の紙にしたためた手紙を穂の乱れた刈萱(かるかや)という茶色い植物に結んで送ろうとして、女房に「同じ紫の植物の方がいいのに」とからかわれる。ただ確かに夕霧の手紙は色の取り合わせは悪いが、実は穂が荒れた刈萱に文を結んだことには、夕霧が送り主だけに伝えたい色っぽい意図があったのだ。目に見える美しさではなく、更に一歩踏み込んだ理解を求めた点には、努力家で真面目な夕霧の人柄が現れているではないか。
送り主は様々に工夫を施すことができ、また受け取り手によって色々な受け止め方ができる平安朝の手紙は、今日のEメールとは比べ物にならぬほど奥が深い。双方の相性がうまく合致するかどうかも含め、当人たちに代わって存在を発揮する珍しいツールと言えるだろう。

