縄文DoKi★DoKiクッカー制作から2年、瀬戸焼と街の変化を瀬戸本業窯・水野雄介さんと語る

縄文DoKi★DoKiクッカー制作から2年、瀬戸焼と街の変化を瀬戸本業窯・水野雄介さんと語る

目次

和樂・編集長セバスチャン高木が、日本文化の楽しみをシェアするためのヒントを探るべく、さまざまな分野のイノベーターのもとを訪ねる対談企画。第7回は、瀬戸本業窯の8代後継・水野雄介さんです。

工房に併設されたギャラリーにてお話を伺います。

ゲスト:水野 雄介(みずの ゆうすけ)
約300年続く愛知県瀬戸市の窯元「瀬戸本業窯」の8代目後継者。

縄文DoKi★DoKiクッカー制作秘話

約2年ぶりにこちらへ訪れたのですが、まずは2017年に一緒に制作した「縄文DoKi★DoKiクッカー」の話をあらためて。

縄文DoKi★DoKiクッカー。それは「大好きなカップヌードルをこれまた大好きな縄文土器で食べたい!」というセバスチャン高木の一方的な情熱に、日清食品と瀬戸本業窯が応えることで誕生した究極の逸品。国宝「火焔型土器」をモデルに、カップヌードルがぴったり納まるインパクト大のビジュアルで話題を集めた。

隣にある資料館にも展示しているんですが、みなさんそれを見て「なんだこりゃ!」とすこぶる良い反応をしてくれます。僕は今でも東京で展示や催事会があるたびに背負っていっては飾っていますよ。本当は他の器を売らなくちゃいけないのに、ついつい縄文DoKi★DoKiクッカーの説明ばかりしちゃうんです。カップヌードルを実際に食べてもらうこともあります(笑)。

資料館には、縄文DoKi★DoKiクッカーの展示テーブルがありました。

僕たちも、編集部にサンプルがあるのでお客様に見ていただく機会があるのですが「和樂が作っていたとは!」とみなさん驚きますね。お堅いイメージのある僕たちがぶっ飛んだものを作っているのが意外なんでしょう。そういえばこれ、HIKAKINさんも購入してくれましたよね。

そうそう。発売してからしばらくして娘に「HIKAKINが使ってたあれってパパの作ったやつ?」と教えてもらって。娘の目がいつになくキラキラしていて、父の尊厳がだいぶ保たれたエピソードですよ(笑)。

あれは嬉しかったですね。でもこれ、僕らは決してお遊びじゃなくて、めちゃくちゃこだわって真剣に作ったじゃないですか。試作に試作を重ねましたもんね。カップヌードルのロゴを入れるのも大変だった記憶が。

そうなんですよ、ゴムの判子を捺すようにはいかないですからね。あの部分だけくり抜いて、柔らかい粘土を詰め直して判子を捺しています。細かいことをしているんですよ、意外と。

他にもね、火焔部分が蓋を押さえる重しになっていたり、リーチハンドル(※)を付けたり、釉薬が内側にもかけられているから直接お湯を注いでも大丈夫な構造にしたり、制作過程で水野さんが倒れたり(笑)。

※英国の陶芸家バーナード・リーチが考案し、民藝の器の象徴となった「リーチハンドル」様式を採用。

あはははは! お医者さんに診てもらったら肺に影がみつかって「こりゃ肺炎だねー」って。この仕事だけが原因でなった訳じゃないですよ(笑)? でもまあ、冠部分とかね。なかなか難しくて仕事時間外にも作っていたんです。ちょっとだけ自分を酷使した結果なんでしょうね(笑)。

身体をボロボロにしてまで、ありがとうございます。水野さんに縄文DoKi★DoKiクッカーを制作していただいたおかげで、他の企業からも商品企画のリクエストをいただくようになりまして。和樂としては、縄文DoKi★DoKiクッカーさまさまなんです。

世間の「焼き物」に対する価値観の変化

最近は新しい商品開発で、六古窯(※)の産地である備前や信楽にも訪れるんですが、どの窯元も、世間の焼き物の定義が揺らいでいることに悩んでいるように見えます。

※六古窯とは、日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く日本を代表する6つの窯の総称。6つの窯は以下のとおり。1.愛知県瀬戸市の「瀬戸焼」2.愛知県常滑市の「常滑焼」3.福井県丹生郡の「越前焼」4.滋賀県甲賀市の「信楽焼」5.兵庫県丹波篠山市の「丹波立杭焼」6.岡山県備前市の「備前焼」

瀬戸は、鎌倉時代から陶器をつくり始めた土地。陶磁器の種類関わらず焼き物全般のことを「せともの」と呼ぶのは、この地が日本を代表する食器の産地であることを表しています。

例えば、作家と窯元の違いって、多くの人たちには分からない。世間の人たちにその区別がつかないのであれば、その区別にこだわるのか、こだわらずにやっていくのか方向性を決断をしないと、その窯元が作る意義とか良さが、ブレてしまう。そういった悩みは、水野さんのところにもありますか?

あります。それは僕らにとっても、非常に悩ましい問題です。今って、同じ食卓の上に100円均一の皿から窯元の皿も、作家の皿も並んでいるじゃないですか。そうやって使う人たちが自由に好きな焼き物を選べるのだから、我々のような作り手にとっては、ただ良い器を作っていれば良い時代ではないですよね。自分たちの作る器が他のものとどう違って、どこが良いのかまで伝えなくちゃいけない。

僕は、焼き物の良さって、同じ器でも少しずつ個性があるところだと思うんです。小さな違いが焼き物の楽しみであり、民藝の楽しみだとすると、分類的には焼き物だとしても、焼き物の楽しみからは遠いものも現代には多くあります。最近は均質化したデザインプロダクトにあたるものも民藝のひとつとしてお店に並んでいることがあります。果たしてこれらに民藝的な焼き物の良さがあるのか?と問われると、そうではないじゃないですか。それを使う人がジャッジできればよいのですが、そういう時代でもない。

僕たちのまわりにも「かわいい」とか「おしゃれ」だけじゃなくて、昔からある瀬戸焼の文脈や民藝としての器の楽しみを届けたいと言ってくれる人もいます。そういう動きもあるし、きっとこういった僕らの悩みや世間の価値観に高木さんたちが切り込んで、雑誌で提案していってくださるわけですよね(笑)?

それが、今は雑誌じゃなくてWebメディアと商品企画を担当しているんですよ。

おお、そうでしたか。高木さんは、Webメディアに詳しいんですか?

いやもう全く。Webメディアを大きくリニューアルするにあたって始めたので、基本的なことが分かるようになってきたのも、2019年に入ってからです。

じゃあ、雑誌とはメッセージの伝え方も大きく変わりましたよね?

そうなんです。雑誌は世界観を1冊1冊作っていくので非常にメッセージを届けやすかったんですが、Webメディアには終わりがありません。それがまあ、ちょっとしんどいところですね(笑)。逆におもしろいところでいうと、Slack上で編集会議ができるので、全国のライターさんたちと一緒になって企画を作ることができます。

その体制なら雑誌よりも地方のニュースをすぐに届られますね。

そうですね。今は60人くらいのライターさんが全国各地で活動しているので、名古屋にいるライターさんにお願いすれば、瀬戸本業窯の情報もすぐにキャッチアップしてwebに掲載できます。

瀬戸の街、どこを案内したら良いものか

水野さんのまわりは、この2年で何か変化がありましたか?

瀬戸の街が少し変わりましたね。UターンIターンが、増えたんです。最近、ゲストハウスができたんですよ。今はそこを中心に若い人たちが集まったり、僕らもそこに訪れるようになって、ちょっとずつコミュニティができてきました。今はそこからさらに同世代が商店街を盛り上げようと活動し始めたり、若いエネルギーが動き始めた気がします。

それはいい流れですね!

あとは変化というか、悩みなんですが。瀬戸に訪れる観光客が年々増えていて、どう対応していくべきかが街全体として問題になってきました。お役所的な立場から街をPRすると、どうしても公平的な視点になってしまって「焼き物の町にみんな来てください」みたいなぼやけたメッセージになっちゃうんですよね。だから観光客のみなさんも、特に目的を持たずに訪れるわけですよ。それでいざ瀬戸に訪れても、どこへ行けばよいのか分からず困ってしまう(笑)。

なるほど。今って観光にしても「せともの祭」を目当てに訪れて、イベントだけ見てまわって帰ってしまう人も多いと思います。でもそれってすごくもったいないことですよね。

はい。そういったイベントがないとき、じゃあどこを案内したら良いかというと、提示できるメニューが少ないんです。僕たちはこの街の中でも早くから工房に併設したギャラリーや資料館、カフェなどを作っていたので案内できますが、他の窯のほとんどに案内できる場所がありません。作家さんは自宅で制作されている方も多いので、自宅を案内する訳にもいかないですし。

工房の隣にある資料館。

水野さんの工房には、どれくらいの方が訪れるんですか?

年間でだいたい7000人くらいが訪れています。でも僕らもあくまで制作がメインなので、制作の傍で観光客の方を案内するのは、これ以上難しいなあと感じています。

そこに何か打ち手を考えている?

まずは入り口と導線を分かりやすくして、訪れた人たちが自然にぐるっと巡ってもらえるような環境を整えようかと。今はどこから見れば良いのか分からないようになっているので、瀬戸本業窯に訪れたら、資料館に吸い込まれるようにしていきたくて、将来的には、資料館にギャラリーの機能を集約しようと考えています。他にも、生活空間に寄せたスペースを作って、料理家さんを招いて実際に食器を使ったイベントを開いたり。いずれはそういう場所にしていけたら。

ここは、生きている民藝館

瀬戸本業窯の資料館は、民藝館的な役割を果たしていますよね。

もちろん、瀬戸焼は僕たちだけのものじゃないんですけど、中部エリアは民藝自体が少ないので、ここがこのエリアの民藝の拠点になったら、という願いはあります。あとは民藝館って、ほとんど生産が終わってしまった民藝品を集めたところが多いですし、民藝館のある土地と関係のないものを集めたところも多いんです。その点、瀬戸本業窯は今も仕事として民藝品を作っているので、この民藝館にはリアルな民藝が息づいています。

現代の日本に瀬戸本業窯のような体験型の民藝館が少ないと捉えると、ここを「生きている民藝館」と定義づけるだけで一気に価値が高まりそうですね。瀬戸本業窯の周りにある小道も含めて「民藝館」と位置付けて、散策したり、工房を見学したり、瀬戸焼を購入する体験を全てセットで提供する。そうすると瀬戸本業窯だけじゃなくて、この地で瀬戸焼を作る人たちを巻き込んで「生きている民藝館」を作るプロジェクトになっていきますね。

なるほど。実は僕たちのように個人で運営している民藝の資料館って全国に数館しかなくて、ほとんどが公のもとで運営しているんです。うちは個人で運営している分、自由度が高くてできることはいろいろあります。民藝館までの道も含めて…ストーリーを作る。おもしろいですね。高木さんのアイデアで、今後の街の方向性が少し見えてきたような気がします。

今の状態でも、実際の制作現場を見たり、カフェや資料館やギャラリーを巡ったり、小さなストーリーができていますもんね。あとはそれを、どうやって広げるか。先ほど水野さんがおっしゃられていたように、その地で生きている民藝品を集めた場所が少ないからこそ「生きている民藝館」というコンセプトは、多くの人に響く気がします。

民藝としての瀬戸焼を未来に繋ぐために

「生きている民藝館」として盛り上がりを見せてくると、若い人たちも、きっと民藝として瀬戸焼に興味をもってくれるんじゃないでしょうか。信楽なんかは、新しい作家や職人さんたちも多く移り住んで「たぬきの街」のイメージから脱却しようとしているし、備前にもそういう流れがあります。瀬戸には、そういった新しい人が移り住んだり育っていく流れはあるんですか?

新しい作家さんも来てはいるんですが、瀬戸焼らしさがあるかというと、みんながみんなそうではなくて。瀬戸焼の伝統を完全に受け継ぐべきとは思わないのですが、あまりにもかけ離れたものを作る人が増えると、瀬戸焼の未来はどうなるんだろうか?という危惧があります。

それが瀬戸の難しさ、かもしれませんね。焼き物全般を意味する「せともの」のイメージが強すぎて、民藝の「瀬戸焼」として後継者を育むのが難しくなっているのかもしれません。

そうなんです。なので作家さんであっても、瀬戸焼の職人的なエッセンスを少しでも取り入れてもらえたら変わるのかなと考えていて。作家さんたちに瀬戸焼らしさを汲んでもらったうえで、ニーズが高まって量産体制を試みるのであれば、そのときは僕たちも出すものを惜しまず、教えられることを全部教えていきたいんです。

例えば、瀬戸焼のことを学べる場所をここに作って「民藝の学校」みたいに発展させていくのもおもしろそうですよね。

「生きている民藝館」の延長として、いつか教育施設も作れたらと考えていました。

ひとつの窯元として教育の役割まで担うのはきっと難しいことですが、瀬戸の街を「未来に民藝を生かし続けるための拠点」と位置付けられれば、希望が見えてきます。「民藝の聖地だ!」と謳いだすと「それは違うよ!」とか反発もあるかもしれませんが、あくまで瀬戸の民藝を未来に繋げるために、教育にも力をいれていくんだというスタンスです。過去から現在、未来へと、技や思想を継承する接着剤のような場所が生まれたら、瀬戸焼の後継者も増えていくかもしれません。

教育の体制まで整ったときには、民藝の地として瀬戸全体がますます盛り上がると思います。瀬戸でものづくりをする全ての人が、それぐらい大きな理想を持って仕事をするべきと思うし、まずは僕たちが先陣を切って、その理想を掲げて努力していきますね。

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