日本庶民の食文化を長きにわたり支えてきた「吉野家」は、2019年で創業120周年を迎えます。実はあの牛丼が盛られているどんぶり、有田焼であることを知らない人も多いのではないでしょうか。なぜ本物の器にこだわったのか。「吉野家」の精神が、そこには凝縮されていました。
本物の有田焼どんぶりが「吉野家」のおいしさを支え続けていました
日本人の国民食、ともいわれる牛丼で名高い「吉野家」は、明治32(1899)年、日本橋の魚河岸で誕生したのが始まりです。大正15(1926)年に魚河岸の移転とともに築地へ、その後東京大空襲で店舗を失うも屋台として復活し、当時から行列のできる人気店となっていました。創業者の松田栄吉は、料亭で働いていた経験から、牛めしを上等な有田焼のどんぶりで提供。当時から、おいしい料理をさらにおいしく出すために、器にもこだわっていたのです。
有田焼といえば、日本で生まれた最初の磁器。その歴史は江戸時代から始まっていますが、それまで芸術品として珍重されていた有田焼が、大正時代には日用品として製造されるように。ほかの焼き物に比べて軽くて肌触りがよく、なおかつ丈夫と、有田焼への注目が全国的に高まっていた時期でもあったのです。創業当初の「吉野家」のどんぶりは、松田栄吉が合羽橋で見つけた既製品。それが現在のオリジナルどんぶりの原型になったと考えられますが、当時は蓋つきだったので、牛めしの具だけを酒の肴にする人のために、蓋を小皿として再利用したとか。安定した味をムダなくお客様に提供する──合理性を追求する「吉野家」らしいエピソードです。
現在のどんぶりが誕生した時期は定かではありませんが、正真正銘、有田の土を使って有田の職人が手をかけてつくったもの。有田焼の伝統的な絵柄とロゴマークが配されたデザインも長らく変わっていません。次回「吉野家」を訪れる際は、歴史と誇りが詰まっているどんぶりを、改めてじっくり眺めてみてはいかがでしょう。
こだわり満載!「吉野家」有田焼どんぶり7つの秘密
1.牛丼をかき込みやすい! 口当たりのいい5mmの口縁
どんぶりを口につけてかき込みながら食べる人も多いという「吉野家」の牛丼。唇が触れたときに心地よいよう、どんぶりの口縁は5㎜の厚みに設定した。これによって縁が欠けにくいという効果も。ちなみに下部は3㎜にして軽量化も図っている。
2.装飾を目盛りにしてごはんの量を目視化
見込みの上部に入った染付の柄は、単なる装飾ではない。ごはんを盛るときの目盛り代わりとなっており、ここに合わせて平らにごはんを盛ると、見た目も美しい牛丼が完成する。小盛、特盛は柄も違い、上から見たときに瞬時に違いがわかる。
3.有田の土でつくった正真正銘の有田焼
有田の工房で職人たちによってつくられる本物の有田焼。かつて料亭で働いていた創業者の「おいしいものを上質な器で」というポリシーが、現在も息づいている。温かい牛丼が温かいまま食べられるのは、店内だからこそ得られる幸せ。
4.手のひらにフィットするふくらみのある形
牛丼は、どんぶりを持って食べる人が多いため、手に収まりのよい形が大事。「吉野家」のどんぶりは、なじみのよい丸みを追求した。このストレスのなさが、「また食べたい」と思わせる秘密なのかもしれない。
5.有田焼伝統の絵柄とロゴマークを融合
どんぶりに描かれているのは、「吉野家」を象徴する牛のロゴと、桜や菊、格子といった有田焼で昔から使われていた柄。長年同じ職人により絵付けは行われているそう。鮮やかな色使いも有田焼の特徴で、特盛だけには花鳥が描かれている。
6.時代に合わせて現在は4サイズのどんぶりを使用
並盛、大盛が基準だが、1991年に特盛が登場、そして2019年になって小盛が登場した。これは、女性客の増加だけでなく、ヘルシー志向の男性や高齢化社会に伴って生まれたもの。時代の流れに沿って、どんぶりそのものも進化をしている。
7.これは希少! 限定デザインをご紹介
左の、血糖値の上昇を穏やかにするサラシノールを配合したサラシア牛丼用は、一見して違いがわかる赤一色。中央の111周年記念どんぶりは、祝賀会のお土産だった。右の築地店(現在は閉店)で使用されていたどんぶりは、同じ柄だけど色違い。
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