大河ドラマ「麒麟がくる」の撮影も再スタートし、いよいよ美濃編もクライマックスに突入。岐阜の人々の誇りである稲葉山城(現在の岐阜城)が再登場します。
大河ドラマの舞台になると、新たな史実が見つかったり、埋もれていた史跡が脚光を浴びたりと、不思議発見のようなことが次々起こると言われていますが、ここ岐阜でも、大河が始まってからというもの岐阜城を中心に新たな史実が次々と見つかっています。
2020年早々、「織田信長の時代に築かれた石垣」が新たに見つかったり、美濃国の守護・土岐氏が最後の居城とした大桑城(おおがじょう)を斎藤道三が攻めた時の詳細な記述が発見されるなど、「麒麟がくる」のストーリーが現代にリアルに蘇りました。その他にも、歴史好きにはたまらない観光スポットが目白押しで、斎藤道三の菩提寺・常在寺(じょうざいじ)や織田信長ゆかりの美江寺(みえじ)、明智光秀の墓や帰蝶の遺髪塚など、改めて観光スポットとして注目を集めています!
そんな中、話題となっているのが岐阜城下にある正法寺(しょうぼうじ)の「岐阜大仏」です。「え、岐阜に大仏があったの?」と驚く方も多いと思いますが、なんとこの大仏、日本三大大仏の一つだったんです! 少し前にはGoogleアプリのCMにも登場しました。
胎内に安置された薬師如来の秘密とは!?
この「岐阜大仏」には、あまり知られていない驚きの秘密があるのです。大仏様の中に「胎内仏」が安置されていて、それが土岐氏の菩提寺だったもう一つの「正法寺(しょうほうじ)」のご本尊・薬師如来だというのです。正法寺は、船田合戦と呼ばれた守護・土岐成頼(ときしげより)の後継者争いで戦場となってしまうのですが、戦火を免れ、受け継がれたご本尊だけが、どうしたことか宗派も違う、江戸時代以降に建てられた正法寺に譲られ、大仏建立の際に胎内仏として安置されています。
このまさかの「麒麟」つながりに、またもや大興奮! 「麒麟がくる」では、帰蝶の夫、土岐頼純は毒殺されたり、最後の守護であった土岐頼芸は操り人形だと言われたり、斎藤道三にやられっぱなしの土岐氏でしたが、やはり美濃を長きに渡り治めてきた守護・土岐氏です。土岐源氏の流れを汲む名家である土岐氏の魂が守られ、岐阜大仏の中に納められたというのもなんだか数奇な運命を感じてしまいます。明智光秀にとっても、土岐家の桔梗紋を使っていたことから、土岐氏を祖に持つことを誇りとしていたとも言われています。「麒麟ファン」は岐阜城に来たならば、ぜひ寄っていただき、見ていただきたい「岐阜大仏」なのです。
まるで、ヒット家電を売る〇〇ネットおじさんのように、アツ押しの始まりとなってしまいましたが、こんな大仏がひっそりと岐阜城下にあったなんて驚きです。正法寺に建つ大仏殿に足を踏み入れた瞬間、黄金に輝く大仏に静かに見下ろされ、そのまばゆいオーラと微笑みに息が止まってしまいました。そして、余りの神々しさに天にも昇る心地良さを感じてしまったのです。そんな衝撃的な出会いと共に、私の人生に突如出現した「第三の大仏」について、正法寺の住職・小林孝道(こばやしこうどう)さんにいろいろとお話を伺ってきました。
一人の和尚の気概が大仏建立を打ち立てた
―想像していたより、大きくて、心の底まで見透かされるようなこの眼差しに、ものすごいパワーを感じます。とはいえ、恥ずかしながら私は、最近まで岐阜大仏の存在を知らなかったんです……。
小林:そういう方は多いですよ。岐阜県以外、全国にはまだまだ知らない方が多いんじゃないでしょうか。大河ドラマ「麒麟がくる」の恩恵で拝観者が増えるかと思ったのですが、新型コロナウィルスの影響で、相変わらず閑散としています(笑)。その代わり、いらした方にはゆっくりと大仏と向き合っていただける時間になっています。椅子に座って、長い時間、じっくりと大仏様を眺めている人もいます。そういう楽しみ方ができるのがこの岐阜大仏の良さでもあります。
―そうなんですね。この岐阜大仏が建立されたのは江戸時代とのことですが、建立された経緯は?
小林:第11代の惟中(いちゅう)和尚が、天明の飢饉で亡くなられた多くの方を供養したいと、天明7(1787)年に大釈釈迦如来像の建立を決意したと伝えられています。江戸時代に中国から日本に入ってきた黄檗宗(おうばくしゅう)という檀家が少ない宗派で、禅宗の小さなお寺なので、今もなんですが(笑)、資金が潤沢にあるわけではないので大変だったようです。それでも人々を救いたいという和尚の思いが強く、各地へ托鉢を重ね、浄財(じょうざい)や経文(きょうもん)を集めて、作られたそうです。
長きに渡る大仏建立に命を注いだ二人の和尚
―完成までに38年間を要したんですよね。奈良・東大寺の大仏が完成までに7年、鎌倉・高徳院の大仏が5年だったことを考えると、相当な時間ですね。
小林:皆さんの協力を得るために、まずは大仏様のお顔の部分を作って、このお顔に合う大仏殿を作るとお声かけし、仏師や職人を集めたんです。大仏というと青銅で作られているものが多いですが、岐阜大仏は、この地域が提灯や和傘の産地だったので、地元の竹や紙を使い、美濃の風土、文化を活かして作られました。漆を塗り、金箔を置いた「乾漆仏(かんしつぶつ)」の中では日本一の大きさを誇っています。
―火事の多かった江戸時代に紙でできている大仏が一度も被災することもなく、現存しているというのがすごいことですよね。
小林:そうですね。200年以上経っていますので。もちろん屋根の修復はしていますが、大仏殿自体は、すべて当時のままです。江戸時代以降も、明治24(1891)年の濃尾地震の火災でも、第二次世界大戦の空襲でもギリギリのところで免れているんです。
―まさに「奇跡の大仏」ですね。
小林:大仏様の体は竹細工で編み、粘土を塗った上に、阿弥陀経や法華経等の全国で集めた経文を全身に貼り、漆を塗り、金箔を施していますので、和尚が托鉢で集めた経文が守ってくれたのではと考える人もいます。
織田信長の稲葉山城入城以来の大盛況!
文化7(1810)年の大仏殿上棟式修行、堂内での大仏像の建立が本格化していく中、惟中和尚が志半ばで遷化(せんげ/高尚が亡くなられること)され、完成を見ることはなかったそうです。その意志を継いだ第12代肯宗(こうしゅう)和尚が仁を尽くし、文政12(1829)年に無事完成を迎えます。大仏建立は被災に喘いだ多くの人が心待ちにしていたため、天保3(1832)年の開眼供養には、織田信長入城以来の盛儀であったと伝えられているそうです。土岐家のご本尊を内包し、斎藤道三が下克上をなし、織田信長が天下布武を掲げた稲葉山城下に鎮座する大仏は、まるで歴史の生き証人のようにも思えます。
人々を見守り続ける大仏様は町の宝
さらにこの大仏様の正面には、平安後期に作られたと言われる木造阿弥陀如来坐像が鎮座し、大仏殿は、大仏様を囲むように回廊ができ、両側には五百羅漢が100体ほど設置されています。高さ13mの大仏様を収める大きな空間の中、いくつもの重要文化財を目の前にすることのできる贅沢さは格別です。そして胎内に安置された薬師如来は、かつては50年に1回、ご開帳されて拝むことができたそうです(現在は行われていない)。自分の住む町を守ってくれる大仏様をこんなに近くで眺められるというのは、まさに町のお宝だと感じました。
そして、江戸の三大飢饉と言われる中で一番被害の大きかった天明の飢饉がきっかけで建てられた大仏様に、このコロナ禍で出合えたのも何かのご縁と、一日でも早い新型コロナウィルスの収束をしっかりお願いしてきました。
<黄檗宗 金鳳山正法寺 岐阜大仏>
岐阜県岐阜市大仏町8
開館時間:9時~17時
入場料:大人200円 小人100円
休館日:無休
公式ホームページ
<美濃国 戦国案内人といく戦国ドラマチックまちあるき>
大河ドラマ「麒麟がくる」の放映に合わせ、岐阜市内のゆかりの地を
案内ガイドと共に街歩きが楽しめます。
「光秀が仕えた道三・信長の戦国城下町コース」では、正法寺・岐阜大仏と
斎藤氏の菩提寺・常在寺と岐阜城下町を訪ね歩きます。
麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館 バス駐車場・ガイド予約センター
TEL:058-201-3855