1.並木 藪蕎麦(東京・浅草)
大正2年に創業し、現在の店主堀田浩二さんが3代目。日本酒は菊正宗の樽のみ、蕎麦は9品(11~3月は鴨南ばんが加わる)、つまみはわさび芋、板わさ、焼海苔となんとも潔い。「初代から何ひとつ変わっていない、変える必要もない」と語るご主人。江戸前の蕎麦を堪能するにはざるが一番なのですが、かけもざると双璧を成す逸品。温かくなった蕎麦から出る甘みがかけ汁と一体となり、香りもふくよかにおなかを満たしてくれます。小腹がすいたときのおやつとして最適、もちろん酒のつまみにも。午後4時あたり、小上がりに腰を下ろすことができれば申し分なし、です。
並木 藪蕎麦(なみき やぶそば)
住所 東京都台東区雷門2-11-9
営業時間 11時~19時半
定休日 木曜
2.室町砂場(東京・日本橋)
江戸の老舗が集結する日本橋。この店も創業は明治2年と十分な歴史をもちます。店内でまず目につくのが手の行き届いた坪庭。趣味人で知られる先々代が残したもので、秋は紅葉に椿、冬は槙の木に雪吊りと季節ごとに訪れる楽しみがあり、この坪庭を眺める席でのんびり過ごすのがおすすめ。酒のつまみは浅利煮、焼き葱など江戸前の小粋な一品がそろい、やや甘めに仕上げた〝関東風〟の玉子焼は飲まない客も必ず頼むというほど。おなかに余裕をもたせたところで、締めはここが発祥といわれる天ざる/天もりを。夏向けに天ぷらとつけ汁を別々に提供したのが始まりで、一般に知られるものとは異なり、芝海老と小柱がたっぷり入ったかき揚げを蕎麦汁に入れるのが室町砂場流。熱々の汁にころもが少しずつほぐれていくのをつまみながら酒を含み、蕎麦をたぐるのはこの上ない気分です。
室町砂場(むろまちすなば)
住所 東京都中央区日本橋室町4-1-13
営業時間 11時半~20時半(L.O.)、土曜15時半(L.O.)
定休日 日曜・祝日
3.本家尾張屋 本店(京都・烏丸御池)
創業は応仁の乱の前年の1465年。蕎麦屋が誕生する以前、菓子司が蕎麦を扱っていたころから暖簾をつなぎ、現在も蕎麦と蕎麦菓子をひとつの厨房から提供。日本人と蕎麦の歴史をそのままに語る店です。京都といえば、だし。めじか、さば、うるめいわし、利尻昆布と最高級の材料でとるきりりと深いだしから生まれるつゆは、さすがのひと言です。自慢のつゆをたっぷりと味わうなら、まずは利休そばを。胡麻油で揚げて味付けされた利休麩は精進料理に使われる、むっちりとした歯ごたえが特徴で、これに生麩、湯葉、三つ葉、柚子が入ります。食べ進めるうちに汁の風味も増し、酒のアテに食べるにも最高の一品です。特等席は1階の茶室。100年以上は経つ風情たっぷりの部屋はまるで別世界。店を貫く「いつ来ても同じ味、同じもてなし」の姿勢に酒が一段とおいしく感じます。
本家尾張屋 本店
(ほんけおわりや ほんてん)
住所 京都府京都市中京区車屋町通二条下る
営業時間 11時~18時半(L.O.)、菓子は9時~19時
定休日 元日、1月2日
4.本家鶴㐂そば 坂本本店(滋賀・坂本)
本家鶴㐂そばのある坂本は、比叡山延暦寺の台所を預かる門前町としてにぎわいを見せた所。店の主である上延家も代々、山上へ蕎麦を出仕していたとか。創業290年を超える今、上延昌洋さんは「滋賀に比叡山があり、そこに延暦寺、坂本という町があってこの店が存在するんです。うちは蕎麦だけを目当てに来ていただくような店ではありません」と謙遜しますが、一度に50人前ほどの蕎麦を多い時には1日8回は打つといい、山里の店とは思えないほどの繁盛ぶりです。つゆは後味に甘みが残る関西風の味つけ。そのつゆに寄りそう風味豊かな蕎麦をすすれば、ほっと安らぐ。このひとときを求めて、白洲正子や司馬遼太郎も滋賀散策の途中に立ち寄ったと思われます。辛口の地酒に合わせるのは、琵琶湖産の小鮎やかつては琵琶湖でとれたという鰻を。早い時間から始めるのが贅沢な飲み方です。
本家鶴㐂そば 坂本本店
(ほんけつるきそば さかもとほんてん)
住所 滋賀県大津市坂本4-11-40
営業時間 10時~18時
定休日 第3金曜(8月、11月は無休)
蕎麦屋と日本酒の食文化史研究
昼間から酒を飲んでいてもだれからもとがめられない不思議な空間、それが蕎麦屋。蕎麦屋という商売が確立されたのは江戸中期といわれますが、日本酒がつきものとなったのはなぜ? 蕎麦を愛する庶民が育んできた「蕎麦屋酒」の歴史をひもといてみましょう。
こんな豊かで美しい食習慣が世界でほかにあるだろうか
私たちが今、蕎麦と聞いて思い浮かべるのはこねて延ばした蕎麦粉を細く切った麺状のもの。かつてはこれを「蕎麦切り」と呼び、蕎麦切りが出現したのは江戸時代より少し前のことだと推測されています。
大衆的な蕎麦屋が登場したのは江戸初期、吉原の郭でした。安くて早くて食べるのに手間がかからない蕎麦は短気な江戸人たちの心をとらえ、瞬く間にブームとなっていきます。夜中に屋台で蕎麦を売り歩く「夜鷹蕎麦」が始まるのもこのころから。江戸中期には庶民の日常的な食事として蕎麦が浸透し、江戸風俗の事典『守貞謾稿』によると江戸末期の江戸市内には3000軒以上の蕎麦屋があったということからも、その人気ぶりがうかがい知れます。また、本格的な蕎麦屋(東京に残る老舗の前身)もこのころに発展したのでしょう。
蕎麦のでき上がりを待つ間に酒を飲む。古い時代から蕎麦屋には酒がつきものだった
蕎麦屋に酒が置かれたのは、今と違って蕎麦の打ち置きがないため、蕎麦が出てくるまで客に酒を出したからだと考えられています。さらには、「蕎麦屋は上等でうまい酒が飲める」という蕎麦屋の宣伝戦略があったとも。瓶に入れた量り売りが基本で、まだ酒の規格もなかった江戸時代、酒は水で薄めて出すのが常識で、評判を落とさない程度にいかに上手に希釈するかが酒を商う店の腕でした。その習慣を逆手にとって蕎麦屋はいい酒を置くことをウリに客を集めたとか。幕末のころに残る品書には蕎麦16文に対して、酒は40文。それなりの値がしたのは確かです。当時の上質な酒のつくり手といえば上方の灘や伏見。蕎麦のみならず、酒を扱う東京の老舗が今も「菊正宗」を置くのはこの伝統によるものです。
江戸は武士と職人を中心に構成された町。食事は手軽で体に負担のないものを好み、また長屋で暮らす通いの独身の職人が多数存在しました。仕事の休憩や仕事の帰りに立ち寄ってはおやつ代わりに腹を満たす場として、またうまい酒も楽しめる憩いの場としても機能していた蕎麦屋が江戸で絶大な支持を得るのは当然だったのです。
蕎麦屋の肴は店の味。始まりは酒好きが生んだ一品
さて、蕎麦屋の酒に欠かせないつまみも、蕎麦の歴史とともにあることを忘れてはいけません。先に挙げた『守貞謾稿』には「天ぷら」「花巻」「鴨南蛮」といった種物(具材の入った温かい蕎麦)の記述もあり、幕末には現在おなじみの種物のほとんどが完成されていたとか。「もり」と「かけ」という単純なメニューで始まった蕎麦切りを、さらにおいしく食べさせるために生まれた種物は先人の知恵の結晶です。一例を挙げると、蕎麦屋の天ぷらは専門店とは揚げ方が異なり、ころもに〝花〟を咲かせて厚めに揚げるのが流儀。これは天ぷらのころもに熱いつゆがしみ込み、渾然一体となったうまみを楽しむための工夫です。また、あぶった鴨の脂とかけ汁の絶妙な味わいはだれもが知るところでしょう。
蕎麦味噌
蕎麦と相性のいい種物の、この具を流用して生まれたのが蕎麦屋の酒の肴です。わさびを添えるだけの板わさといったシンプルなものもありますが、焼き鳥や玉子焼といった料理の味付けには、各店が誇るつゆの「かえし」(醬油と砂糖などを熟成させたもの。これをだしで割ると蕎麦つゆができる)が使われるのが基本。だからこそ、つまみから締めの蕎麦に至るまで余計な味が入って舌が荒れることもありません。
ちなみに酒のつまみの定番、蕎麦味噌は「並木 藪蕎麦」の初代が考案したもので、とにかく酒が好きだったからこそ生まれた一品だそう。江戸前の蕎麦屋で飲む酒が文句なしにおいしいのは、その成り立ちからしてあたりまえのことなのです。