前編:モデルのSHIHOが「子育てで一番後悔していること」って?【SHIHOの楽禅ライフ16】
失敗と反省の連続…子育ては「どちらが良い」ではない
SHIHO お子さんをアメリカで育てた経験のある横山さんがアメリカと日本の学校教育で一番違いを感じたことってなんだったんですか?
横山 たとえば仮にクラスでいじめがあったとして、そうした問題が起きたとき、私の子供が入った学校では「委員会」が開かれていました。その委員会の中には担任の先生はもちろん、PTAや臨床心理の専門家も入って、対応をみんなで話し合うんです。そして、最後に親が呼ばれて委員会としての考えを伝えられ、親としての意見を聞かれる。とにかく、学校に「預けっぱなし」じゃないわけです。みんなが関心を持って、みんなで学校を運営していく、育てていくという姿勢が強く感じられたように思います。
日本でいじめが起きたとき、ニュースでよく取り上げられるように学校や教育委員会が隠蔽やもみ消しなどといった対応を取りがちな点とは対照的だと感じました。
SHIHO 私たちも子供には「インターナショナルな感覚を持ってもらいたい」と考えて、都内のインターナショナルスクールに入れました。学校では、それぞれの意見を最大限尊重する風土があって、生徒たちそれぞれが自己主張をしながら、自由と責任と自立を学んでいるように思います。もちろん日本には日本の教育の良さがあると思いますし、私も失敗と反省の連続なんですが。
横山 そうですね、必ずしも「どちらが良い」という話ではないですね。「どういう人を育てたいと考えているのか」「どういう価値観で教育を行うのか」という点に、大きな差があるという話です。
自分の気持ちに嘘をつかない!道元禅師が説いた「同事」の教え
SHIHO そうして考えてみると、子育てって人との関わり方を教える部分が最も難しいのかもしれないですよね。親だって正解を知っているわけではないから。曹洞宗を始められた道元禅師は「子育て」についてなにかお話になっていますか?
横山 子育て、というよりも人間関係ということで道元禅師がお説きになったことの中に「同事(どうじ)」という教えがあります。
「同事というは自にも不違なり、他にも不違なり」
とあって、つまり自分は自分自身と違ってはいけないし、他人に対しても違ってはいけない。わかりやすく言えば、悲しんでいる人がいたら一緒に悲しむ。喜んでいる人がいれば、一緒に幸せを感じる、喜んであげるという意味なんです。
でも、人間って心の中では本当は喜んでいなくても「良かったね」って言えるでしょう? 自分の心にうそをついて、おべっかをすることもできる。それでは「不違」とはいえない。自分をごまかすのではなくて、「ごめん。俺、喜べないわ」とはっきり言ってもいい。みんなが「おめでとう」って言ってるからと合わせるのではなくて、納得いかないのであればそれを曲げる必要はない。
SHIHO 自分の気持ちに嘘をつかなくてもいい。
横山 そう、自分らしく生きる。角を立てながら生きる必要もないのですが、一番肝心なのは前回の対談でも話した「平常心(びょうじょうしん)」だということです。フラットでいるということ。相手がどんな人だろうが関係ない。自分の心を平らかであるようにすること。
SHIHO みんな名前があって、個として成り立っていて、見た目もバラバラだから、「あの人と私」というように境界があるように思われるけれど、もっともっと広い目で見たら同じ地球に住む人間だし、植物や鉱物と比べたら同じ動物ですもんね(笑)。
横山 そういうふうに考えられると、心は平らかでいられますよね。もっと言えば、すべての存在は突き詰めれば原子の集まりであって、「私」という存在も「現象」でしかないのです。
SHIHO 子育てをしていると夫婦だけじゃなく、親同士の人間関係などに悩むこともありますよね。でもその中で楽に生きようと思ったら、そういう禅的な考え方が心を楽にするかもしれないですよね。状況や環境は急には変わらなくても、自分の物事の見方はすぐに変えられるし、より楽な視点で見る手段が禅なのかもって思いました。
【続きます】