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まずは名物の川魚で腹ごしらえ
『千絵の海 絹川はちふせ』@栃木県 鬼怒川

現在の千葉県北部と茨城県南西部にあたる、下総国(しもふさのくに)と常陸国(ひたちのくに)の境を流れる絹川(鬼怒川 きぬがわ))での、浅瀬漁の様子を描いたもの。
漁師ひとりひとりの躍動する姿が、景色とも相まって絶景を生んでいる。それを眺める人や馬ひきの描写がのどか。
江戸随一の富士見ポイントでひと休み
『冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図』@東京都 日本橋室町

富士山、屋根、そして凧の糸がつくる斜線がリンクしてリズミカルな本作は、呉服商三井越後屋(三越百貨店の前身)の屋根を見上げるような視点で正月の富士山を描いたもの。
駿河町は現在の日本橋室町(にほんばしむろまち)あたりのこと。現在は想像もつかないが、当時は江戸から富士山を望むビュースポットだった。
題に「略図」とあるのは、江戸城を略したり、部分的に描いたりしているという意味とみられる。
道草ばかりでなかなか進まず・・・
『絵本墨田川両岸一覧』@東京都 高輪

上巻は高輪(たかなわ)から、中巻は両国(りょうごく)から、下巻は浅草寺から新吉原(しんよしわら)までと、隅田川をさかのぼりながら両岸の景色をつづったもの。
江戸の情景に加え、年始から年末へと移ろう季節が映し出されている。本作は『東都名所一覧(とうとめいしょいちらん)』などとともに4大風景集といわれる。
富士見ポイントまでひとっ飛び!
『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』@神奈川県 相模湾

世界的に最も知られた日本人による絵図であり、国内外問わず人気の一作。
大波が襲い掛かるのは、江戸へ鮮魚を運ぶ押送船(おしおくりぶね)。
巨大化した波と小船の「動」と、それを遠方から見守るかのような富士山の「静」が対比する。
富士山を登るも足取りは牛歩
『冨嶽三十六景 諸人登山』@静岡県 富士山

古くからあった富士山信仰だが、江戸庶民の間で天保年間(1830~1844年)に富士講が大流行。
富士山詣での様子を描いた本作は、『冨嶽三十六景』の全46図中、唯一富士山の全景を描いていない。
連なる険しい岩山や、湧き上がる白雲が絶景を生み出している。
後ろ髪をひかれながら先を急ぐ
『冨嶽三十六景 甲州三坂水面』@山梨県 河口湖

甲府から富士吉田に抜ける御坂峠(みさかとうげ)付近から河口湖を望んだ図。
正面に夏富士、湖面の富士は雪を頂いた冬の姿で、ふたつの位置も不自然だが、それを魅力にしてしまうのが北斎の画力。
湖面の逆さ富士は、『冨嶽三十六景』の名作「凱風快晴(がいふうかいせい)」や「山下白雨(さんかはくう)」の富士の姿を彷彿とさせる。
爆裂アトラクションに挑戦?
『冨嶽三十六景 甲州石班沢』@山梨県 鰍沢

富士山の北西に位置する鰍沢(かじかざわ)は、笛吹川(ふえふきがわ)と釜無川(かまなしがわ)が合流して富士川となる地点。
荒々しい川面に突き出た岩盤、そこに立つ人物、手から打たれた網による三角形が、遠方に霞む富士山と相似形をなす。
北斎お得意の〝三角形リンク〟が絶景感と爽快感をもたらしている。
山間の絶景に旅の疲れも癒やされる
『諸国瀧廻り 木曽海道小野ノ瀑布』@長野県 木曽

「中山道(なかせんどう)の名瀑」と呼ばれた、木曽郡上松町(あげまつまち)に残る小野の滝。
橋から見上げる旅人の姿を描くことで、滝の雄大さが強調されている。
現在は滝の上を中央本線が走っているため、この図のような景観は失われている。
ボーナスチャンス! 一気に京都まで
『東海道名所一覧』@東京~京都

右下の江戸から左上の富士山を経由して右上の京都まで、正方形に近い画面に収めた鳥瞰図(ちょうかんず)。
東海道全体を描くための構図の工夫は北斎の真骨頂。
53の宿場名や街道沿いの名所を織り込みながら、自然景に橋や港などの人工物も描いた、まさに絶景図!
Goal
はるか南の琉球王国に到着!
『琉球八景 城嶽霊泉』@沖縄県 那覇

沖縄の風景を描いた全8枚の揃物(そろいもの)。
北斎が沖縄へ行った記録はなく、中国からの冊封使(さくほうし 使者)が編述した『琉球国志略(りゅうきゅうこくしりゃく)』の絵図を参考に描いたと思われるが、雪を降らせたり点景を描き加えたりと独自性を発揮。
本図では那覇中心部に湧く王樋川(おうひーじゃー)という泉を描く。遠景の赤い山は富士山に見立てているとも。
構成/小竹智子、鈴木智恵(本誌)
※本記事は雑誌『和樂(2024年8・9月号)』の転載・再編集です。

