前編はこちらから:現代医療と伝統のあわい。「薬としての言葉」とは?
「心地よく纏う」を体感する中に
伊藤仁美(以下、伊藤) 私は「纏(まと)う会」という会を主宰しているんです。一般的な着物教室では、鏡を見ながら「左右対称にきれいに着ましょう」と教わるんですが、「纏う会」では最初に鏡は見ません。目を閉じて、体の感覚や生地の触れ具合を自分で感じて、「最も心地よいと感じるように纏ってみてください」とお伝えしているんです。
それは、着物の着方を教えるのではなくて、自分の感覚を通してご自身の中に美しいものがあると気づいていただくきっかけになればと思ってのこと。「心地よく纏う」を体感することで、日々の暮らしの中で選択をしなければならないとき、誰かが設定した「正解」ではなく「自分の中の心地よさ」に正直に選べるようになると思っています。
そうしてみると、本来、着物を纏うことは「養生」になっているのではと私は思うのですが、稲葉先生はどうお考えになっていますか。
稲葉俊郎(以下、稲葉) 私の場合、「衣服の意味」を考えると、やはりまずは病院という異質な空間に身を置いてきたからか、服とは「防御的なもの」というイメージを抱いてしまいますね。白衣を着るときは自分自身を保つために「装着する」という感覚がありますし、プライベートでも好きな服を着るのは自分自身の感覚を見失わないため、という部分があるように思います。

着物を通して蘇る先人の記憶
稲葉 でも、和装について言えば、私は観世流で能楽を学んでいたので、謡いや仕舞いをするときには袴や足袋で稽古をしていました。父方の祖父が唯一遺してくれたのが紋付の袴だったのです。やはり祖先の袴をまとうと意識が切り替わる感覚がありました。自分の意識の次元が違う層に移動する感覚です。日常と違うスイッチが切り替わって、祖父母の時代にタイムスリップするような感覚がありますね。和装が当時の環境に応じてつくられたものだからこそ、その時代の身体感覚を呼び覚ますのかもしれません。
伊藤 分かる気がします。私も祖母の着物をよく着るのですが、祖母が何を考えていたのかが少しわかる気がすることがあります。
稲葉 着物を通して記憶が蘇ってくるのかもしれませんし、それをリアルに感じられるのが僕は面白いです。糸一本まで大切にしていた時代の人たちが、布を染め、織り、仕立てるという作業を経た、なんというか「重み」があって、物としての情報量が違いますね。
伊藤 着物は使えなくなったら草履の鼻緒や布団にされていましたよね。燃やして灰になったものさえ、染料として使ったということもあるそうです。最後まで使い尽くす、物を大事にすることは、先生の言う「道としての医療」に通じるものがあると思います。

名もなきものに名前をつける意味
稲葉 物を大事にすることは「物に命を感じる」ことに近いと思うんです。機械やロボットにしても、欧米ではどこか召使い的というか、人間の生活の枠外にいるような捉え方をしますが、日本ではドラえもんやアトムなどのように「友達」や「仲間」としての捉え方を自然に受け入れていますよね。
伊藤 確かにそうですね。
稲葉 たとえば日本の車メーカーは、車に名前をつけて販売しますよね。欧米では車種は記号で表されることが多い。車にさえ名前を付けて、どこか「自分たちの仲間」のように扱うのは、あらゆる物に神様が宿ると考えてきた文化の表れだと思いますし、そうした感覚は薄らいでいかないでほしいと感じますね。
伊藤 名前をつけた途端、親しみが湧くというか、まるでそこに命があるかのように感じられるのは不思議ですね。
稲葉 先祖から受け継いだという意味では、私たちの肉体そのものがまさにその結晶だと思います。医療の根本にあるべき考え方とは、実はそうしたことではないかと感じます。

「マインド”風呂”ネス」とは
伊藤 稲葉先生は、温泉の効能についても積極的に発信していますよね。
稲葉 はい、「マインド”風呂”ネス」と名付けています(笑)。マインドフルネスとは、僕の解釈では、自分を始点に物事を見つめずに、命の始点から自分を見つめるということだと思います。「命を始点に自分を見つめる」とは、たとえば体のどこかに違和感はないか、異変はないか、命の声を聞きやすくするスイッチを入れること。外に向いた意識や外から来る情報をシャットアウトして、自分自身の内側から湧いてくる情報にフォーカスする。そのいい切り替えになるのが、お風呂の時間なんです。
また、伝統医学には「浄化」という考え方があるのですが、心や体にいろいろなものが付着している状態を、象徴的にも物理的にも洗い流すことが重要で。低い方に向かう「陰」としての水、上に昇っていく「陽」としての火が交わった存在が温泉だと思っています。水と火が持つ力によって浄化をしながら、自分の内側に目を向けるのがマインド風呂ネスなのです。
伊藤 なるほど。昔から湯治とも言いますよね。
稲葉 そうなんです。ちなみに、花火にも火の力を受けて体を浄化するという意味があると思います。各地の伝統行事に火を使った儀式は多く残っていますが、もともとは医療的な要素が強かったのではないかと考えています。そうしたものを現代医学やリトリート、旅行、観光業などとうまく結びつけられないかと取り組んでいます。

どう治すかよりも「どう生きるのか」
伊藤 ところで、私自身が着物の道に進むきっかけになった光景がありまして、それは祖父の法要でした。さまざまな場所から集まったお坊さんが、色とりどりの袈裟を纏っていて、木魚の音やお経をあげるお坊さんの声がとても美しく、その時のお香の香りも含めて、私の中に強く刻まれている瞬間なんです。
稲葉 もしかすると、それも一種の「浄化」の中での体験だったのかもしれませんね。
伊藤 人生が変わる瞬間の出合いは、実は偶然のように見えて必然的に合わさっていたのかなとも思います。
稲葉 先ごろ上梓した『肯定からあなたの物語は始まる――視点が変わるヒント』でも出会いが一つのテーマになっています。普段は見逃していることが、人生の転機においてその言葉が意味をもたらすことがあります。旅先で偶然に出合った言葉が、後の人生に大きく影響を及ぼした、といったこともあると思うんです。
日常生活で固まりやすい意識のかたちが、旅に行ったり、別の空間に移動したりする中で緩む、そのとき起きた出合いは、僕らにとって重要な要素になります。そういうことも広い意味での「医療」だと考えています。
ある病院で病気を治してもらうということもできるかもしれませんが、仮に治らなかったとしても、その病気とともに「どう生きるのか」を考えることのほうが実は意味があって、そのためには医学書の中の治療法よりも人との出会いや、ふと手にした本に書かれていた言葉、旅先で見た光景のほうが必要です。
私の興味はどうしてもそうした方向に向いてしまうので、いわゆる「医者」という仕事は堅苦しく感じてしまうんです。

【後編に続きます】
(Text by Tomoro Ando/安藤智郎)
(Photos by Nakamura Kazufumi/中村和史)

Profile 伊藤仁美
着物家
京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。
オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。
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和を装い、日々を纏う。Profile 稲葉俊郎
医学博士/作家
1979年、熊本県生まれ。東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、軽井沢病院院長に就任。2024年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特任教授。医療の多様性と調和を目指し、西洋医学に加え伝統医療、補完代替医療、民間医療を広く修めるほか、芸術への造詣も深く、『山形ビエンナーレ2020、2022、2024』では芸術監督を務めた。著書に『ことばのくすりーー感性を磨き、不安を和らげる33篇』(大和書房)、『山のメディスンーー弱さをゆるし、生きる力をつむぐ』(ライフサイエンス出版)、『肯定からあなたの物語は始まるーー視点が変わるヒント』(講談社)など多数。
星のや軽井沢 INFO

浅間山麓の自然に囲まれた「谷の集落に滞在する」がコンセプトの「星のや軽井沢」。趣の異なる2種類の源泉かけ流し温泉や、心身を整えリラクゼーションへと導くスパ——。信州の滋味を味わう食事や「エコツーリズム」を柱としたアクティビティなどさまざまな体験を通して休息の時間を提供しています。
自分を甘やかす究極の“おこもり湯治”。2種の源泉かけ流しに癒される「温泉美人滞在」で、冬のご褒美ひとり旅

各施設が独創的なテーマで圧倒的非日常を提供する「星のや」。その始まりの地である長野県の「星のや軽井沢」では、2025年12月1日より、自分を甘やかす究極の“おこもり湯治”、2種の源泉かけ流しに癒される「温泉美人滞在」で、冬のご褒美ひとり旅を販売開始します。
さらに、源泉を使用したオイルトリートメントや、蒸し八寸など信州の恵みを味わうユニークな食体験で温活滞在を楽しめます。「星野温泉 トンボの湯」と「メディテイションバス」という趣の異なる2つの温泉は、星のや軽井沢に宿泊しているからこそ体験できる冬ならではの醍醐味です。
所在地:〒389-0194 長野県軽井沢町星野
電話:050-3134-8091(星のや総合予約)
アクセス:JR 軽井沢駅より車で約 15 分、碓氷軽井沢 IC より車で約 40 分
URL:https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyakaruizawa/

