【鎚起銅器のルーツ】なぜ、新潟県・燕三条は金属加工が発展したのか
世界有数の金属加工技術の集積地として知られる、新潟県・燕三条(つばめさんじょう)。今日の発展にいたる背景には、江戸時代初期(1630年)、当時の代官が農民の副業として日本建築などに用いられる和釘の製作を奨励したことに遡ります。金鎚(かなづち)を使用する風習が根付くと、村上藩の支配下にあった燕地域には、さらに銅細工の製作が命じられることに。また、1700年頃に近郊の弥彦山(やひこやま)から良質な銅が産出されたことも、燕三条の金属加工産業の発展に多大な影響をもたらしました。

そもそも、鎚起銅器ってなに?
「鎚起」とは、金「鎚(つち)」を用いて、打ち「起(おこ)」すことを意味します。一枚の銅板を金鎚で叩きながら縮めていく製法は、1700年代中頃、仙台の渡り職人によって伝えられたのが始まり。その技術を継承したのが、「玉川堂」の初代、玉川覚兵衛(たまがわかくべえ)でした。1816年の創業以来、銅の高い殺菌作用を生かしたやかんをはじめ、時代と共に移り変わる生活に根ざした鎚起銅器をつくり続けています。
【手づくりの尊さに眼福】堅い金属の印象を払拭する、鎚目模様に宿る豊かさ
工場(こうば)の壁面に整然と並べられた「鳥口(とりぐち)」と呼ばれる200本以上の当て金も、鎚起銅器の製作に欠かせない道具のひとつ。これらを頑丈な欅(けやき)で出来た「上がり盤」に挿し込むことで、作業台が完成。職人たちは工程や製品に適した金鎚を使って、今も一鎚一鎚(ひとつちひとつち)手作業で、鎚目(つちめ)を施していきます。
個体差も、鎚起銅器ならではの魅力に
鎚目のデザインは、アイテムによって大きさも模様もバラエティ豊か。粒を大きく見せたいときは道具を変えるのではなく、同じ箇所を何度も叩き広げることで表現されています。今回ご紹介した急須は限りなく粒が繊細なサイズに統一されていますが、「大鎚目」と呼ばれるコレクションでは、大小の粒をあえてランダムに配置することで躍動感溢れるデザインに。叩き方や力の入れ方でも面白いように表情が変わる鎚目模様ゆえ、すべてオンリーワン!
【化学反応がもたらす色彩美】天候にも左右される、奇跡の色との一期一会
化学反応による銅器の着色は、たとえ同じレシピでも、その日の気温や湿度などの条件によって仕上がりに微差が生じます。そんな日本の美意識に彩られた唯一無二の色は、使い込むほどに独特の味わいや色の深みが楽しめることでも知られています。銅の表面に錫(すず)を焼き付けた後、硫化カリウムに漬け込む着色技法は「玉川堂」が独自に開発したもの。見る角度や光の受け方によっても印象が変わる紫金色は、大正時代、作業中に職人が偶然発見したことにはじまります。以来、「玉川堂」を代表する伝統色として親しまれています。ほかにも宣徳色や銀色など、詩情豊かな全8色を用意。これらを組み合わせれば、色彩の可能性はどこまでも広がります。
【銅器づくりの舞台裏】丹念な手仕事に息を呑む、工場見学も盛況!

築120年の古民家につくられた「玉川堂」燕本店。その奥には、銅板を金鎚で打つ音が絶え間なく響きわたる工場が在ります。職人は、現在21人が在籍。平均年齢は、なんと30代!職人不足や技術の継承が課題になっている業界において、「玉川堂」には全国から金属工芸を学んだ若者や、銅器づくりに魅せられた意志ある人材が集結。しかも「玉川堂」では、ライブ感溢れる職人技を間近で目にすることができる機会も設けられています。日本が誇る金属加工の技をひと目見ようと、世界中から訪れる人の数も年々増加傾向に。
また「玉川堂」では、長年使用した銅器の修理も受け付けているため、工場では半世紀以上使用されたやかんや急須などを目にすることも。職人の手から離れた銅器は、日々使い、磨かれることで新品にはない味わいがぐっと増しています。そんな経年変化した姿を目の当たりにすると、「玉川堂」の銅器がいかに愛されているかがわかります。※工場見学は、HP又は電話での予約がおすすめです。
【愛らしいフォルムの全貌】「玉川堂」が誇る、ロングセラーの急須がこちら

時を経て独自の愛らしいフォルムへと進化を遂げた壷型は、日本茶はもちろん、中国茶などさまざまな茶葉に対応できるよう綿密に計算されています。両掌(てのひら)にすっぽり収まる400mlサイズは、大きめのマグにお茶がたっぷり2杯分は入るシンプルな構造。ほかにも数種類のサイズと形状を用意。近年ではおひとりさま用の小ぶりの急須も登場するなど、現代のライフスタイルを彩るラインナップも必見!
問い合わせ
玉川堂 燕本店 0256-62-2015
玉川堂公式サイト

