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見つめる鍋はなかなか煮えない(ヨーロッパのことわざ)
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見つめる鍋はなかなか煮えない(ヨーロッパのことわざ)

読み物
Gourmet
2020.04.22

カツ丼といえばソース?卵とじ?「諸説あります」では終わらない起源論争!!

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ガッツリとご飯をかきこみたい気分の時に、食べたいものとしてまず思い浮かぶのが、カツ丼である。たっぶりとご飯が盛られたどんぶりの上に乗っているトンカツ。もう、想像しただけで24時間いつでも腹は鳴るものである。

いうなればトンカツがオンザライスしているシンプルな料理。そのシンプルさゆえに、バリエーションは様々だ。もっともポピュラーなカツ丼はトンカツを卵とじにしたもの。でも、これが常識かといえばそんなことはない。

カツ丼のバリエーションは自由

例えばボクの故郷である岡山県岡山市では、もっともメジャーなカツ丼は、卵とじではなくたっぷりのデミグラスソースをのせたスタイルである。岡山では、このカツ丼と一緒にラーメンも扱っている店が多くてランチタイムにはハーフサイズのカツ丼とラーメンをほおばっている人の姿をよく目にするものだ。

岡山のカツ丼はラーメンと一緒に食べるのがオススメだ

ハーフサイズとはいっても、どこの店でもだいたい量は多めである。ランチとはいえ、食べ過ぎだと思うのだが、これをやめることはできない。ちなみに、ラーメンの上にトンカツをのせた、とんかつそばも岡山市ではメジャーな料理である(岡山市ではラーメンよりも中華そばという言葉のほうが一般的に用いられる)。

カツもあるけどチャーシューも容赦ないのが岡山における仕様

卵とじカツ丼という常識が案外通用しない

卵とじではないスタイルのソースカツ丼。実はこっちのほうがスタンダードだという地域はけっこう多い。ボクがここ8年あまり取材で気に入って訪れている、長野県の伊那谷(ざざ虫を食べることでも有名だ)は、完全にソースカツ丼のほうがスタンダード。

先日書いた、ざざ虫の記事でもお世話になった地域の物知りである伊那市役所の牧田豊さんは、小学生の頃に親に連れて行ってもらった松本でカツ丼を食べた時に驚いたという。

「それまでカツ丼といえば、ご飯の上にキャベツをしいてトンカツを載せたもの。ところが松本でカツ丼を注文したら出てきたのはトンカツが卵でとじられたもの。そんなものがあるとは知らなかったんで驚きましたよ」。

今でも伊那谷ではカツ丼といえば、ソースカツ丼のことを指す。一応、メニューには「ソースカツ丼」と書いてはある。でも大抵の店で注文すると、店の人は「はい、カツ丼ですね」とソースの部分は省略して復唱する。

よそから来た人の中には心配して「あの、ソースカツ丼のほうです」といい、また「はい、カツ丼です」と返されて混乱する人もあるという。

とにかく待たされるけれども、肉の厚さに驚く

伊那谷で食べられるソースカツ丼の特徴は、恐ろしいほどの肉の厚さである。どうやって中まで火が通るんだろうと心配になるような熱さの豚肉に衣を付けて二度揚げする。たいていの店では分厚いカツでフタが持ち上がった状態で運ばれて来る。

そんなに肉が分厚いから、当然注文してから運ばれて来るまでは時間が掛かる。早い店でも15分。混んでいる時間帯だと30分はじっくりと待たなくてはならない。それでも、どこの店でもお客さんは文句の一つもいわずに待っている。そんな迫力満点のカツ丼は、文字通りのご馳走だからである。

伊那谷ではどこでも分厚い肉が基本。これは伊那市でも駒ヶ根市でも変わらない

美味いものがひしめく伊那谷の中でも、ひときわ光るソースカツ丼。ここには密かな対立がある。ソースカツ丼を出す店が軒を連ねる都市は伊那市と駒ヶ根市の二つ。そのどちらもが「うちこそが元祖」と主張しているのである。

「諸説あります」では終わらないカツ丼の起源論争

そもそもソースカツ丼は、どこからやってきたのか。卵とじカツ丼もソースカツ丼も、その起源をめぐっては明確な証拠をともなう説はない。卵とじカツ丼のほうは最も有力な説として1921(大正10)年に早稲田高等学院生の学生・中西敬二郎さんが考案したというものが知られている。早稲田大学の近くにあった蕎麦店・三朝庵の常連客だった中西さんが冷めたトンカツを食べる方法として考案したものだとされる。

ただ、この時に発明されたのは玉子丼のようにとじるものだったとも、ソースとメリケン粉で煮たものだったともいわれて、判然としない。

一方、ソースカツ丼の誕生はこれに先行するといわれている。もっとも有力な説は1913(大正3)年に早稲田鶴巻町にあった食堂・ヨーロッパ軒で生まれたというものだ。この食堂を始めたのがドイツで料理修業を積んだ高畠増太郎さん。ドイツで覚えたウスターソースと仔牛の肉を使うカツレットの技術を、日本人の口にあうようにアレンジして生まれたのが、このソースカツ丼だったという(この店は関東大震災後に福井市に移転し現在も営業中)。

つまり、ソースカツ丼が先に生まれて後から卵とじカツ丼が生まれたというのが、長らく信じられてきた説であった。ところが、最近では明治時代の新聞記事をもとに1897(明治30)年頃に山梨県甲府市で生まれたという説も。やっぱり、シンプルな料理ゆえに誰でも考えつきそうだし、真似しやすかったためなのか、どれが元祖かをめぐる証拠は永遠に「諸説あり」ということになりそうだ。

駒ヶ根市のルーツにはやや疑問が残る

そんな中で伊那市と駒ヶ根市に生まれている対立。それは、現在のスタイルのソースカツ丼を伊那谷で始めたのはどちらかと、いうことである。

どちらもソースカツ丼を名物のひとつにしているが、存在感の強いのは駒ヶ根市である。店は多いが特に町おこしには使っていない伊那市に対して、駒ヶ根市では1993(平成5)年に地域の町おこしのために「駒ヶ根ソースカツ丼会」を結成。以来、積極的に名物としてアピールしているからだ。

駒ヶ根市のソースカツ丼を紹介するサイトでは、発祥は太平洋戦争前のことだとしている。この説は1992(平成4)年に長野県調理師技能指導員だった山越信治さんが集めた証言をもとにしたもの。これによれば、1928(昭和3)年頃赤穂駅(現在のJR飯田線駒ヶ根駅)の近くに、カフェーを開いた市瀬正一さんが考案したものだとされている。この店の名前は喜楽といい、現在もきらくと名を変えて駒ヶ根市内で営業している。

駒ヶ根のソースカツ丼による町おこしを記録した『信州駒ヶ根ソースカツ丼物語』という本では、この説を採用。だから、伊那谷のソースカツ丼はここから広まっていったもの……と断定するには、疑問が残る。これらの証言では考案された経緯や時代にブレがあるからだ。どこにも、いま食べられているご飯の上にキャベツ、そして分厚いトンカツだったという明確な証拠がないのである。

伊那市民が語る「ひげのとんかつ」とは

ゆえに、伊那市では「駒ヶ根市のソースカツ丼は伊那市で食べられていたものを真似たもの」という説もある。「パクった」となれば、不穏な感じもするが伊那市の人たちがそこまで言い切るのは、最初から現在のスタイルのソースカツ丼を出していた店が継続しているからである。

伊那市内で、そのへんを歩いている人に「ソースカツ丼の元祖はどこですか?」と聞けば、全員が同じことをいう。

「それは、ひげのとんかつですよ」。

「ひげのとんかつ」。その店はかつて伊那市の中心である伊那市駅からも近い繁華街・通り町の一角にあった。今は郊外に移転し公園になっているが、かつては伊那市役所も街の中心部にあり、その向かいの川のところには、ほぼ川にせり出すようにして、商店の並ぶ厚生市場という一角があった。

かつての市役所跡地は公園となり、様々なイベントに使われている

そこに1946(昭和21)年にできたのが青い塔という店であった。初代は、満州鉄道でまかないをした後に引き揚げてきた人物で、満州時代に親しんだ店の名前をもらって店名をつけたという。

ただ、伊那市の人々は誰も店名で呼ばなかった。厚生市場にあった頃を知る人は、みんなこういう。

「店主のヒゲが印象深くて、みんなひげのとんかつと呼んでいて、いつしか店の看板にも書かれるようになっていたんですよ」。

今では長閑な地方都市になっているが、かつて伊那市の中心部は地域の人にとっては、たまの休みにでかける繁華街。そんな時に食べるハレの日の食事が「ひげのとんかつ」の、どんぶりのご飯にキャベツをしいて、分厚いトンカツを旨味ソースにくぐらせてのせたカツ丼であった。おおよそ、駒ヶ根市をのぞく伊那谷ではたいていの人が肉厚のカツ丼は「ここで初めて食べた」「カツ丼のスタンダートはこれ」だという。

「ひげのとんかつ」は現在は、伊那市中心部から車で10分ほどの信州大学農学部近くに「ひげのとんかつ 青い塔」という看板を掲げて営業中。確かに肉はいまでも分厚い。

ある伊那市民からは、こんな話を聞いた。

「確かに駒ヶ根市に戦前から、ソースカツ丼はあったかもしれない。でも、現在のような肉厚のソースカツ丼は、ひげのとんかつから広がっていった、二度揚げして火を通す技術を真似たものですよ」。

ひとまず美味しいことはいいことだ

結局どちらが先なのか。明確に発祥以来の同じものがある伊那市のほうが有利に見えるのは確かだ。それでも、駒ヶ根市のソースカツ丼のほうがメジャーになっている理由。それは、町おこしで積極的にアピールしたからにほかならない。

伊那市が、そうしなかった理由。それは、ほかにも街の名物となる美味しいものがいくつもあったからだ。とりわけ伊那市が推しているのは、ほぼ伊那市にしかないマトンを用いた独特の麺料理であるローメン。前述の牧田さんは、駒ヶ根市の人とソースカツ丼の話題になった時に「いいじゃないか、伊那市にはローメンがあるから」といわれたことがあるという。

伊那市の名物・ローメンは独特の食感がそそる麺料理である

伊那市と駒ヶ根市は、共に戦後の1954(昭和29)年に合併で誕生した自治体だ。ただ、伊那市の中心部は明治になっていち早く開発され銀行や郵便局が設置されて発展してきた地域の中心地。ゆえに名物も数限りない。それでも発祥を奪われることには許せないものがあるのか。この土地を訪れてソースカツ丼が話題になった時には十分に注意したい。

そうはいっても、どちらの街でもソースカツ丼はうまい。

伊那谷のどこでも、そばと馬刺しは美味い。蕎麦3人前を前にして至福のボク(チャリで来た)

【参考文献】
山口真一『信州駒ヶ根ソースカツ丼物語』 ほおずき書籍 2014年

北尾トロ「3泊4日、ソースカツ丼の旅」『dancyu』2016年11月号

「列島縦断 カツ丼 22箇所巡礼」『週刊文春』2010年03月04日号

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。