「上杉達也は朝倉南を愛しています。世界中のだれよりも」
野球漫画の金字塔『タッチ』(あだち充)。主人公の上杉達也と、双子の弟和也は、2人そろって幼なじみの朝倉南に恋をしています。兄弟で同じ女性を愛した恋の行方に、胸ときめかせ涙した方も多いのではないでしょうか。
さかのぼること千数百年、兄弟で同じ女性を愛してしまった、おそらく日本最古の三角関係が、記録に残っていることをご存知ですか?
ひとりの女性をめぐって兄と弟が…
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
(美しい紫色を染め出す紫草の野を行き、立ち入りを禁じられた野を行き、野の番人が見るではありませんか。あなたがしきりに私に袖を振るのを。)
きっと誰もが教科書で目にしたことのあるこの和歌の作者は額田王という女性。日本最古の和歌集『万葉集』に収められた歌です。この歌に登場する「君」は、額田王のかつての夫、大海人皇子です。次期天皇と目されている大海人皇子には、兄がいました。天智天皇(中大兄皇子)。額田王の現在の夫です。額田王は最初に弟である大海人皇子と、後に兄である天智天皇と結ばれたということになります。
額田王は、中大兄皇子・大海人皇子兄弟の母であった斉明天皇に詩の才能を見出され、天皇に成り代わって歌を詠む女官として、天皇に仕えていた女性と考えられています。弟・大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれ、娘も産んだ彼女が、いつ大海人皇子の元を離れ、どのような経緯で兄・天智天皇(中大兄皇子)の後宮に入ることになったのか、記録には残っていません。
当時は一夫一婦制ではありませんし、婚姻に対する考え方も現代とはまったく違っていました。それでも、3人がそれぞれ複雑な感情を抱いていたであろうことは想像に難くありません。
誰かに向かって「袖を振る」ことは当時、愛の告白を意味していました。かつて愛した女性であり、現在は兄の妻になっている額田王から「野守は見ずや 君が袖振る(あなたが大胆にも私に向かって袖を振るのを、番人に見られてしまいますよ)」といさめられた大海人皇子は、こんな返歌で応じました。
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも
(美しい紫草のように匂い立つあなたが憎いのなら、もう人妻なのに何で私が恋をするだろうか。)
額田王の歌に詠み込まれた「紫」の言葉を受け、「人妻」「恋ひ」というどきっとするような言葉を織り込んで、まっすぐな情熱を歌った一首です。
現在の夫の前で、かつての夫と恋の歌を贈り合う!?
2首の歌の背景に、紫草が一面に咲く野原で、人目を気にしながら佇む2人の姿が見えるようですが、実は、額田王がこの歌を披露したのは、宮廷の人びとがそろって参加した酒宴の席であったと考えられています。当時都があった近江大津からほど近い、蒲生野という狩猟場で行われた宮廷行事の後、設けられた宴席には、大海人皇子と額田王はもちろん、天智天皇(中大兄皇子)の姿がありました。
現在の夫がいる場所で、かつての夫と恋の歌をやりとりする。
そんな光景を思い浮かべると、ロマンティックな忍ぶ恋の物語が一転、一触即発の場面にも思えてきます。
額田王の大胆さに驚くかもしれませんが、当時、額田王は35歳くらいだったと考えられます。平均寿命が現代よりずっと短かった古代においては、決して若いとは言えない年齢です。額田王は宮廷歌人として、既に確固たる地位を築いていました。
天智天皇、大海人皇子と額田王の関係は、おそらくその場にいる誰もが知っていたことでしょう。そんな酒宴の場で、ベテランの歌い手である額田王が、恋の駆け引きを想起させる歌を詠じるのは、言ってみれば宴会の座興。巧みなテーマ設定で皆を楽しませた額田王も、座興とわかっていて見事に応じる大海人皇子も粋な遊び心の持ち主だと、宴席は大いに盛り上がったのではないでしょうか。
天皇に向けられた、隠れたメッセージ
ここまでが、「あかねさす」贈答歌のやり取りにおける、現代の一般的な解釈です。
さらに言えば、この歌が詠まれたのは天皇の御前です。当時の天皇は国の最高権力者であり、神のような存在。2首の贈答歌は、宴会の座興である以上に、天智天皇の存在を十分に意識し、天皇に捧げるものであったはずです。
額田王は、あえて大海人皇子をいさめるような歌を詠むことで、自分の心が弟皇子ではなく、兄である天皇の元にあることを、隠れたメッセージとして天皇に伝えたのかもしれません。
そして大海人皇子も、額田王の意図を理解した上で「人妻」と言い切り、自分と額田王の関係が過去のものであると示すことで、天皇を立てたのではないかという見方もできます。
当時即位して間もなかった天智天皇も、紫野での晴れやかな宮廷行事を締めくくる2人の座興を、笑みを浮かべて見守っていたかもしれません。
天皇の御前で、このように遊び心ある歌のやり取りをすることが許された時代の、大らかな風を至るところに感じることができるのは、万葉集、特に初期の歌の魅力のひとつです。
座興の形を借りて、本当の気持ちを伝える
しかし、額田王と大海人皇子が交わした言葉は、本当に単なる座興、酒席の言葉遊びだったのでしょうか?
「野守は見ずや」の「や」は、反語や疑問を表す助詞。「野守に見られたらどうするのですか」と相手をやんわりたしなめる表現でありながら、どこか相手を試すような、女心のかすかな揺らぎが入り込んでしまったように、私には思えてならないのです。
額田王が言葉の裏に忍ばせた意味を読み取り、「我れ恋ひめやも」と正面から応じた大海人皇子の歌に、ひとかけらの真実も含まれていないと、本当に言い切れるでしょうか?
座興の形を借りて贈り合った歌の響きの底に、かつて愛した相手を想う真情が感じられる。そしてその心の動きが、千数百年の時を超えて現代に通じるものだからこそ、2人の贈答歌は、万葉集を代表する歌として読み継がれてきたのでしょう。
中大兄皇子が詠む「妻争い」の歌
やはり万葉集の中に、中大兄皇子が「大和三山の妻争い」という伝説を題材に詠んだ長歌が収められています。
香具山は 畝傍(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も しかにあれこそ うつせみも 妻も 争ふらしき
(香具山は畝傍山が愛しいといって、耳成山と争った。神代の時代からこんなふうであるらしい。昔もそうだからこそ、今の世でも妻を争うらしい。)
大和(今の奈良県)には「香具山」「畝傍山」「耳成山」という3つの大きな山がありました。このうち「畝傍山(女性)」をめぐり、「香具山(男性)」と「耳成山(男性)」が争ったという伝説を下敷きに詠まれた歌です。
(※どの山を女性と解釈するかは諸説あり)
この歌を詠んだ中大兄皇子の脳裏には、弟のこと、額田王のことが浮かんでいたかもしれません。そして現代の私たち同様、この歌を聞いた当時の人びとも、伝説の山々に中大兄皇子と大海人皇子、そして額田王の恋を重ね合わせて、想像を逞しくしたのではないでしょうか。
兄弟と額田王を巻き込む壮絶な運命
「あかねさす」の贈答歌が詠まれた3年後、天智天皇は病に倒れ、崩御します。翌年には、皇位継承をめぐり、大海人皇子が、天智天皇の子である大友皇子を討つという事件が起こります。有名な壬申の乱です。
そしてこのとき、大友皇子の妻となっていた十市皇女は、大海人皇子と額田王の娘でした。亡くなった夫の皇位継承をめぐり、かつての夫が娘婿と争うというあまりにも複雑に入り組んだ状況を、額田王がどう感じていたのか。天武天皇となった大海人皇子と額田王が何を語り合ったのか。記録には残っていません。2人の天皇に愛されながら、宮廷歌人として凛と立ち続けた額田王は、この出来事を機に、宮廷と距離を置くようになったと考えられています。
1000年以上前に生きていた人びとの恋心やなまなましい感情を、まるで今、友達から届いたLINEのメッセージを開くようにリアルに感じることができる、『万葉集』のような文学は、世界でもほかに例がありません。20巻、4500首の中には、壮大なドラマが秘められた和歌がまだまだたくさんあります。
家で過ごす休日、『万葉集』のページを開いて、上代の日本へ時空を超える旅に出かけてみてはいかがでしょうか?
はじめて万葉集を読む方におすすめの本
これからゆっくり万葉集を読みたいという方に、おすすめの入門書をご紹介します!
『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 万葉集』(角川ソフィア文庫)
万葉集全4500首の中でも、特に親しまれてきた歌、約140首を選びやさしく解説した1冊です。
(文中の現代語訳は、すべてこの本から引用しました。)
上野誠『はじめて楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫)
万葉学者、上野誠氏による入門書。歌人の肉声が聞こえてくるような解説が楽しめます。ぜひ万葉びとになりきって、歌を声に出して読み、音韻の美しさを味わってみてください!
井上靖『額田女王』(新潮文庫)
額田王と中大兄皇子、大海人皇子を主人公にした井上靖の名作。額田王の物語をもっと読みたい!という方におすすめです。
※アイキャッチは清水浜臣著 『万葉集』 国立国会図書館デジタルコレクションより