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お酒や竹が好きだった!10の書から知る、良寛さん【前編】

江戸の僧侶・良寛和尚は、詩歌や書に優れ、多くの和歌や漢詩を残しました。純真で高貴な精神に溢れた書は、人間的で、見る者の心をなごませてくれます。今回は、良寛さんが書いた作品10をご紹介。そこに潜む純粋でナイーブな人柄をひもときます。

1 人を想い、心を込めて書いた詩

良寛さんのこの漢詩の楷書は悠々としたリズムで、ゆっくりと一本一本の線に心を込めて書かれています。

良寛「漢詩 聴於香積山有無縁法事随喜作」縦27.7×横35.7㎝

文政11(1829)年、新潟県の三条周辺で大地震が起こりました。古文書には「即死者76人」と記録があるほどの大災害。三条は良寛さんがよく托鉢に赴いた場所で、八幡宮の境内で一緒に手鞠をついて遊んだ子供たちも多く住んでおり、心配でたまらずに送った書簡も残っています。

翌年の春、藩主・井伊直経公が、香積山徳昌寺(こうしゃくざんとくしょうじ)に費用を寄進し、地震で亡くなった無縁仏の供養を行います。それを聞いて感激した良寛さんが書いたのがこの漢詩です。優しい人柄がうかがい知れます。

2 竹が好きすぎて、庵が火事に!

竹は艶やかな美しさではなく、涼やかで清らかな美を宿しています。竹の竿はまっすぐで節がしっかりしていながら、中は空洞で、根はどっしり。その姿はまさしく禅の理想の姿と重なります。良寛さんは、そうした「貞清の質」のある竹の精神を愛していました。

良寛「漢詩双幅 余家有竹林」各縦129.0×横48.8㎝

修行した玉島の円通寺の覚樹庵辺りにも、晩年を過ごした五合庵の周辺にも竹林があったようです。「余が家に竹林あり…」と、良寛さんはこの詩をたくさん書いています。この一気呵成に揮毫された草書は、良寛さんが五合庵時代に学んだ中唐時代の僧・懐素「自叙帖」にも似た趣があります。

また、竹の子のように涼やかで清らかな姿は、良寛さんの生き方の指針を示すものでもありました。ところが、良寛さんは、竹を好きすぎたがゆえの大失敗もやらかしています。五合庵に生えてきた竹の子が天井につかえそうなのを見て、かわいそうに思い、蠟燭で天井を焼いて穴を開けてやろうとしたら、火がまわり庵が火事になってしまったという有名なエピソードがあります。

3 良寛さんはお酒が好き

この書簡は、文政12(1829)年1月に、寺泊の入軽井村の豪農・山崎六右衛門にしたためたもの。

良寛「書簡 入軽ゐ六右衛門宛 昨日は濁酒一樽」縦16.0×横45.6㎝

小正月に、六右衛門から濁酒一樽を送られたことへの礼状です。また、人々と仲むつまじく暮らせば、満足のいく人生を送ることができる…というようなことが書かれています。

良寛さんは、お酒が好きでした。とはいえ、飲みすぎて酔狂に至ることはなかったようですが…。農民たちと酒を飲むときは割り勘で飲んで、飲む量も平等になるよう努めていました。良寛さんと農民が銭を出し合って割り勘でお酒を飲む様子を想い描くと、なんともほのぼのとした気持ちになります。

このころの良寛さんの仮名は、ますますの進化を遂げて生き生きと躍動しており、輝きを増しています。最高レベルのひらがなの書で、線は細いけれど凜とした気品があり、心に沁みます。

4 「足るを知る」の精神で

良寛さんは円通寺を辞すと寺の住職にもならず、托鉢をたよりに野に下りて、散聖として一生を過ごしました。

良寛「漢詩 生涯懶立身」縦27.5×横46.7㎝

「生涯 立身に懶(ものう)く 騰々として天真に任す」。立身出世にはなんとなく気が進まず、名利に対して何の価値も見出さない…と。この軽妙な草書は、自由自在に書かれていて、まさに詩の中にある「天に任す」の精神が紙面にも溢れています。

新潟の文人・厳田洲尾(いわたしゅうび)が、文化9(1812)年に良寛さんを訪ねて五合庵に行ったとき、庵の壁には「嚢底三升米 爐辺一束柴」の対句の幅が掛けられていたと記されています。良寛さんはこうした詩を庵の壁に掛けて、生きる指針として大切にしていたのです。そして、生涯「足るを知る」の精神を大切に、山中清棲の生活を貫き通した人でした。

5 己への戒語

良寛さんは、説教くさい話は好みませんでしたが、早くからしきりに知己に「戒語(かいご)」を書き与えています。

良寛「戒語(三)ねだんつけ」縦23.8×横27.1㎝

この戒語には「ねだんつけ」「物を買うに値切りておかぬ」とあり、物の値段にかかわる表現に注文をつけています。これは農作物をつくる農民の苦労に心して、簡単に値切ろうとする行為を戒しめているのです。「くちまね」「かたおどけ」など、ふざけて言葉を使ったり、我の強いことも戒めています。

良寛さんの「戒語」は多くの種類のものが伝わっていますが、いずれにも共通するのは、自己顕示欲の強い表現を戒め、互いに自己主張して争い続けることを忌み嫌い、身分の上の者が下の者に荒々しい言葉を吐いたり、人に対して心ない振る舞いをすることを戒めています。そこからは、良寛さんが日々思っていたことの一側面がうかがい知れます。言葉を嚙み締め、人と人をつなぐ言葉を大切にすることで、平和な生活をもたらしたいという意味が込められているようです。

10の書から知る、良寛さん【後編】はこちらから!

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