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北斎AtoZ
Y=【読本】一色摺りでも迫力満点の北斎の挿絵

〝春朗〟〝宗理〟の画号で頭角を現した時期を経て、北斎が40代半ばから精力的に取り組むようになったのが「読本(よみほん)」の挿絵(さしえ)です。
寛政の改革による出版統制によって黄表紙(きびょうし)や洒落本(しゃれぼん)はすっかり廃れてしまい、それにかわって出版物の主流となったのが、幕府の意向にそった、道徳的かつ教訓的な読本でした。
戯作者・曲亭馬琴と組んで奇抜な挿絵を担当

文化年間(1804~1818年)には全盛時代を迎えることとなった読本。その人気は、挿絵のインパクトに支えられていた部分が大きかったといわれます。
読本挿絵は、物語の内容を把握して、墨一色という限られた色数で読み手を引き付けるような画力が求められます。
そんな条件下で、北斎のダイナミックな画風や奇抜なアイディアは威力を発揮し、まさに引く手あまたとなるのです。
のちの『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の大波の原点!?

当時大人気だった戯作者(げさくしゃ)・曲亭馬琴(きょくていばきん)と組んだ『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』。これこそ、才能あふれる戯作者と絵師のタッグによる、読本の金字塔的な作品。
馬琴が書いた荒唐無稽(こうとうむけい)なストーリーは、北斎のアイディアに富んだ挿絵によってさらに評判を呼び、大ヒットにつながったといわれているほどです。
降りかかってくる矢の躍動感がスゴい!

さらに、北斎は馬琴のみならず、山東京伝(さんとうきょうでん)や柳亭種彦(りゅうていたねひこ)といった、当時の流行作家の読本にわくわくするような挿絵を描いて人気作を連発し名をあげていきました。
そして、北斎が読本挿絵をとおして身につけた、わかりやすくて印象的な画風は、その後の自らの画業にも影響を与えることになるのです。
こんなインパクトある戦いの描写は前代未聞!


