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読み物
Craft
2019.09.13

現代根付の知られざる世界。名工・齊藤美洲を訪ねて 

この記事を書いた人

印籠や煙草入れ、巾着などを腰から提げるために用いられた留め具・根付は、江戸時代には日常的に使われていました。ところが洋装化などに伴い需要を失い、一方で欧米に人気を集めた日本の工芸の一つとして多くの根付が海外へ流出。明治以降は海外に輸出するために、古典を模した根付制作が盛んに行われました。

その後、作家の個性を前に出した「現代根付」が作られるようになる一つの転換点となったのが、70年代に起こった「現代根付運動」です。作家が各々の感性を発揮し、現代の感性に合った根付をつくるようになったことで歴史は引き継がれ、今の根付工芸があります。

この現代根付運動の旗手の1人であり、根付の名工である齋藤美洲(さいとう びしゅう)先生の仕事場にお邪魔しました。美洲先生の仕事を拝見しつつ、どのようにして「現代根付」が夜明けを迎えたか、お話いただきました。

根付の仕事

まずは、仕事の様子を見学させていただきました。

根付は数センチの小さい彫刻で、使われることを前提に作られ、身につける際に着物を破損させたり、根付自体が欠損することがないように、出っ張りのない丸みを帯びたデフォルメされたデザインをしています。

根付を作るおおまかな作業工程は、大まかな形を取る「荒取り」、小刀で彫刻する「彫り」、研磨剤を使った「磨き」、さらにその後「仕上げ」(動物の毛並みを繊細に入れる「毛彫り」や、目などを別の素材で入れる「象嵌」、染料を使った「染色」や顔料などを用いた「着色」などが行われます)。


「偲」 黄楊、べっ甲 高さ3.2cm

美洲先生は彫りの工程を終えると、その作品を一度“寝かせる”といいます。

「小刀仕事が終わったら別の仕事をしてその根付は放っておいて、磨く前にもう一度確認します。制作しているときはその仕事に自分が惚れているでしょう。一旦寝かせてから、冷静な目で調整をするんです」

父である齋藤昇齋氏に師事し、72年に初代・齋藤美洲の名を継いだ象牙彫刻一家の4代目である美洲先生。「(ワシントン条約制定後、象牙を使うことが難しくなってから)木彫もやっていましたが、象牙彫刻出身なので、やはり牙材の方がしっくりきます」とのこと。現在は鹿角(かづの)、河馬の牙といった素材を用いることが多いとか。

美洲根付の美の魅力

ムチを想像して、美しいS字を描く

次に根付の造形について、お話いただきました。美洲先生の根付は見れば齋藤美洲の仕事だと分かるものです。その特徴の一つとして見られるのが「ひねり」。曲線を描くことで、造形的な美しさと骨格が伝わる強度が備わっています。その曲線を想定するためのモデルがムチだといいます。


「豊年踊り」 象牙、犀鳥嘴 高さ4.5cm

「動物を作る時のデザインは、一本のムチを考えればいい。ムチを持つところが頭で、首のライン、背骨のライン、尻尾の先までをムチがうねる動きに置き換えて考えると、美しい線ができるでしょう。背骨のラインが決まると、その左右に手足を付けていく。一本のつながりができて、動きも出ます。大きなS字を描くことで、一つの美の基本に沿っていくわけです」

美しい曲線に行き着くまでのヒントは、美術学校で学んだクロッキーにあったのだそう。

「1分ポーズの人体クロッキーでは必ず全身を一本のムチに見立てます。その一本のムチのカーブのラインを見極めないと短時間では描けません」

美洲先生の根付は、置くと立つものがほとんど。根付は帯に引っ掛けて使いますが、根付によっては立たせることを想定して制作されたものも少なくありません。とはいえ、このひねる動きをした動物の根付が立つということにも驚かされ、魅了されてしまいます。

「なぜ根付が立つことにこだわるかというと、彫刻の要の一つは、バランスなんです。ポーズが片足であっても、バランスを完全把握した彫刻であれば立ちます。

古典根付でも、あえて立つ事を強調したバランスを見せる根付というものがあります。例えば、小さい人が大俵を担いでいる根付で、俵が大きく一見立たないように見えますが、置けば立つと。すると注目を集めることができるでしょう。江戸時代に根付は自慢のネタでしたから」


「女占師」 鹿角、べっ甲(裏彩色) 高さ12.4cm

抽象形に落とし込むことで生まれる美

美洲先生が輸出用の根付を作っていた頃に年間で制作した数は、約千点。この時期に、今の美洲根付を形づくる一つの要素である「アブストラクト(抽象形)に落とし込む」視点を発見したのだとか。

「私が粗彫りをして、次の工程をする職人さんに渡していきました。1日に5個ほど仕上げることもありましたから、早く仕事をするにはどうすればいいかと考えたわけです。根付に必要な大きさに材料を切って、削ろうというときに『ここが手で、ここが頭』といちいち割り振っていたら、到底早くできない。その時に着想を得たのが、造形を一旦アブストラクト(抽象形)に落とし込む方法です。

例えば、オリジナルの根付に粘土のような柔らかい素材で覆って全て真っ平らにしたら、一つのアブストラクトができるでしょう。そこには作りたい形が確実に入っています。ですから、オリジナルが入ったアブストラクトが球であれば、まず球をつくって、あとはそこから彫り出していけばいい。これは、根付彫刻方法の重要な要素の一つの発見でした」

現代根付の夜明け

20歳で父の工房を継ぐ

続いて、現代根付をつくる以前の美洲先生の修行時代に遡り、現代根付運動が起こるまでの変遷について教えていただきました。

現代の根付作家たちは、すべての工程を1人で仕上げますが、以前は分担制です。美洲先生が幼い頃に工房にいたお弟子さんは5、6人。この時代は輸出用の根付を制作していたそう。当時は根付も他の工芸の分野と違わず師弟制で、師匠に付いて仕事を覚えると独り立ちするという流れでした。ただ、美洲先生がご尊父に付いて仕事をした修行期間は非常に短かったといいます。

「高校の時から美大受験の為太平洋美術学校に通い、西洋美術の彫塑やデッサンを学んでいたのですが、私が仕事を始めたのは19のときです。ただ、物心がついた頃から仕事場に入れてもらって父親の仕事を見たり手伝っていたので、普通のお弟子さんが3、4年で覚えるぐらいの仕事はできていました。父親は相当呑ん兵衛だったし、40の時の子だから、19のときに昔の平均寿命の60に近い年齢です。『やばいな』という感覚はありました。

仕事を始めてから2年で父親が倒れてしまって、ある意味、修行時代はなかったとも言えます。師匠がいないため、それからは独学です。その時に職人さんが7人いましたから、20そこらの若造がその職人さん達に回すための仕事の算段や、職人さんの仕事をつくっていたんです」

ご尊父が逝去されてからは、生業としてやっていた仕事の中で数多くの古典根付を観察し、さらに象牙彫刻家が所属する象牙彫刻会で作品を見せ合ったり、初代・齋藤美洲を知る明治生まれの先生方から話を聞き、学んだそう。

「仕事を始める前から道具の使い方は分かっていましたが、重要なのは、象牙屋の根付と古典根付は全然違うことを知っていた、ということです。まず、骨董屋さんが工房に出入りして持ってきていたため、古典根付はよく見ていました。そして当時の象牙界の根付とは、象牙彫刻家が制作する、写実を重視した根付のことです。

古典根付は江戸の浮世絵に見るような独自の感覚で作られた工芸品で、明治になるまでは実用品として制作されていました。ところが、西洋の芸術が入って写実全盛になった時に、リアリズムを重視する西洋理論に基づいてつくられたものの一つが、明治の象牙彫刻だったわけです。ちなみに、明治時代に花開いた象牙彫刻の基となる技術は根付から習得されたものです。石川光明も練習のために根付を作っていました」

象牙彫刻は明治中期頃から興隆を見せました。中には写実が身についた牙彫家も根付を制作しましたが、彫刻品としては優れているが実用には適さず、紐穴の位置がおかしい、といった作品が多く見られました。

インプレッション(感動をもった印象)

米国の根付愛好家であるキンゼイ夫妻が、現代根付の書籍『Contemporary Netsuke』を刊行するために、1971年に来日しました。そして日本の根付師に「古典を真似るのではなく、オリジナルをつくるように」と助言すると、その期待に応えた若い根付師たちは、作家性を発揮した制作を行うようになり、現代根付の夜明けを迎えることとなりました。

この時の様子について著書『根付を楽しむ―掌の上のアート』(日貿出版社)で、〈夫妻の言葉に呼応した有志の根付師たちは、「根付とは」という問いに、それぞれの作家性をもって応えた〉と描写されています。

もちろん美洲先生もキンゼイ夫妻の要望に応えた根付師の一人でした。

「初めてキンゼイさんにオリジナルをつくったは27のときです」

古典でもなく、リアリズムでもない根付を打ち出していく際に、初めて発表したのが《着水》という根付です。《着水》は、アブストラクトの方法論をさらに展開した発想で生まれたといいます。


「着水」 象牙 高さ4.0cm

「始めにたまたまテレビで白鳥が着水する格好を見て、インプレッションがありました。それでは根付の形にならないので、全フォルムを球体に還元し、その抽象体を具象表現したのです」

《着水》は、古典には全くない新しい造形でした。キンゼイさんは《着水》を見て感激し、本の表紙に掲載しました。この時、名人とされた曾祖父(初代)の名前を継ぐことにし、銘に「美洲」と付けたそうです。

後世の作家に向けて

作家性、独自性を求められる現代根付に対して、独特の感性でつくられた古典根付がもともと持っている根付らしさ、型について、どの程度踏襲する必要があるのでしょうか。美洲先生によると、「使えるということ」が大前提にあるといいます。

「要するに根付は使用目的のある工芸だから、それにかなわないと根付とはいえないでしょう。

また歴史的に見ても、根付の型から外れたものは、消えていきます。コレクターの思う根付の概念から外れていると、どんなにすごいテクニックを持っていようが、以降出てこないということがありますね。コレクターは肌で根付が何であるかを知っていますから」

つまり、帯に提げる必然性がない現代でも使えることが前提としてあり、そこに作家独自の個性をもって造形を作るという二つの要素で今の「現代根付」が成立しているといいます。

美洲先生は後世の作家についても気にかけておいでです。ただ、時代的に徒弟制は消滅し、弟子と云う言葉も無くなりました。

「仕事場で仕事を見せ合ってアドバイスすることはあるけれど、聞いた人が、どう理解して作品向上の糧にするかに懸かってくる時代なのでしょうね」

先代の仕事や古典根付を見て覚える環境にいらした美洲先生は、環境が変化した今の作家について、「どれくらい自分がいいと思う、感動する核心に出会えるかということが大切です。そのためには、数を見て経験することです」と語ります。

根付の歴史の分岐点を経験し、「現代の根付とは」という問いに応えた根付師・齋藤美洲は、現在もフロントランナーとして先端を走り続けています。

プロフィール

齋藤美洲

1943年生まれ。東京都出身。埼玉県在住。1962年から父・齋藤昇齋に師事。1977年に「根付研究会(現・国際根付彫刻会)」が発足し、会長を務める。1994年まで「国際根付彫刻会」の会長に就任。

書いた人

もともとはアーティスト志望でセンスがなく挫折。発信する側から工芸やアートに関わることに。今は根付の普及に力を注ぐ。日本根付研究会会員。滑舌が悪く、電話をして名乗る前の挨拶で噛み、「あ、石水さんですよね」と当てられる。東京都阿佐ヶ谷出身。中央線とカレーとサブカルが好き。