竹工芸は3エリアの特徴をチェックすべし!
また展示室は、竹工芸が盛んだった3つのエリア<東日本><西日本><九州>別に分類。土地柄で竹工芸の発展の仕方も大きく違っており、それがとてもわかりやすい構成に。
【東日本】職人が「作家」としての地位を確立していく舞台となりました。もともと竹工芸が盛んな栃木から作家が東京に進出し、帝展などの美術展覧会に出品することで、竹のもつ可能性や魅力を存分にアピール。竹工芸を芸術品にまで高め、ドイツの建築家、ブルーノ・タウトにも高く評価された竹工芸の大家・飯塚琅玕斎(いいづかろうかんさい)をはじめとする大家たちの作品を観ることができます。
【西日本】大阪を中心に流行した茶の文化が、竹工芸に大きく関わっています。江戸時代末期から明治時代の初めの大阪では、「唐物(からもの)」と呼ばれる中国製の道具類が流行。その影響を受けて西日本の職人たちも唐物風の煎茶道具をつくるようになり、籠師と呼ばれた専門の職人によって独自の編みの手法や様式が発展したそうです。初代早川尚古斎(はやかわしょうこさい)、初代田辺竹雲斎(たなべちくうんさい)などの作品がこのエリアを彩ります。
【九州】大分の別府は竹林が多く、資源豊かな場所だったことから、竹細工産業が盛り上がったエリアです。技術者の養成にも力を入れ、多くの名工が生まれたとか(余談ですが、大分には全国で唯一の竹細工を学べる公立学校「大分県竹工芸訓練センター」が現在もあります)。竹工芸では初の重要無形文化財保持者となった生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)も、大分で活躍しました。