Craft
2017.06.08

明治期、欧米で熱愛された華麗なる超絶技巧、芝山細工

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日本の伝統工芸の高度なわざや美しさは世界中から熱い視線を集めています。しかし、作り手の現場に目を向ければ、決して楽観できる状況ではないこともまた事実です。ぜひとも未来につなげていきたい、華ある稀少工芸をご紹介します。

芝山細工

日本の工芸が高度な技術と美意識の結晶であることを実証したのが、明治という時代でした。政府は外貨獲得のために海外需要が高い品々を必死で輸出しました。生糸やお茶は有名ですが、工芸が大きな役割を担ったことはあまり知られていません。
 
蒔絵(まきえ)漆器、七宝細工、薩摩焼…と華やかな超絶技巧が歓迎された中で、ひときわ注目されたのが芝山と呼ばれる象嵌(ぞうがん)技法。江戸時代後期の創案で、漆や象牙のベースに貝、珊瑚、象牙、べっ甲などを立体的に嵌(は)め込み、花鳥や人物などを色とりどりに表現した装飾は、ジャポニズムブームに沸いた19世紀の欧米でひっぱりだこでした。

dma-PH004-3芝山象嵌硯筥「芦に川鵜の図」(25.8×横22.8×高4.8㎝)

「江戸の町で発展した芝山細工ですが、やがて輸出に便利な横浜の港近くで盛んにつくられるようになり、家具装飾などを手がける独自の横浜芝山漆器が誕生しました」と、横浜芝山漆器に携わる家に生まれた芝山細工職人の宮崎輝生(みやざきてるお)さん。しかし戦前戦後、家業を手伝う中で、次第に土産物化していくさまを目の当たりに。

本来の芝山細工に回帰すべく、里帰りした芝山細工の修理を多く手がけてわざの真髄を学び、分業で成り立っていた作業を一貫制作。明治期の高度な技法を受け継ぐ唯一の存在として高く評価されるようになりました。「とにかく時間がかかる仕事で、技法も多彩です。習得の大変な細工なんですよ」なんとか次世代に残したいと考える宮崎さんは、熱心に後継者指導を続けています。

最新の実状報告

現在、横浜芝山漆器にかかわる人は30名、実際に芝山師と呼ばれる細工ができるのは宮崎さんを含めて2名。芝山細工の作家として活動する人が数名。また、横浜市では、伝統ある地場産業の技術を継承しようと、横浜芝山漆器研究会を設立し、技術継承に努めている。宮崎さんも講師として指導。

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