日本刀は武士の「精神的な支え」とされてきました。平安時代、馬に乗り戦った武士たちの主要武器は弓と矢。日本刀はあくまでもいざという局面でつかう武器であると同時に心の支えだったのです。しかし、これを覆したのが新撰組。「本気の武器」として刀を操った、幕末京都の剣客集団です。彼らが愛したのはどんな刀だったのでしょう。
これぞ「本気の武器!」新撰組の愛刀
近藤勇 「長曽祢虎徹」
局長の刀“コテツ”は四つ重ねた胴も一刀両断!
局長・近藤勇の愛刀は“虎徹”。江戸の刀工・長曽弥興里(ながそねおきさと)による「長曽祢虎徹」です。四つ胴の斬れ味、すなわち人間の胴を4つ重ねて斬れるほどの剛刀でした。
ながそねこてつ「刀 銘 長曽祢虎徹入道興里」 江戸時代 長曽祢興里作 刃長70.9㎝ 反り0.9㎝ 東京国立博物館
恐ろしいほど斬れる刀をつくった名刀工・興里の作。最上大業物と呼ばれ、剣豪たちの憧れとなった。本作は虎徹の代表的な一口。近藤が使った虎徹は行方不明。
こんどういさみ(1834~1868年)新選組局長。講談の決め台詞は「今宵の虎徹は血に餓えている」。
土方歳三 「和泉守兼定」
“鬼の副長”が最期までともに戦った愛刀
鬼の副長・土方歳三が所有したのは、会津藩お抱え鍛冶十一代兼定がつくった「和泉守兼定」。箱館・五稜郭の戦で倒れるまで身に付けていた、まさに愛刀です。
いずみのかみかねさだ 「刀 銘 和泉守兼定」 江戸時代 美濃 兼定作 刃長70.3㎝ 反り1.2㎝ 土方歳三資料館
土方が会津藩主・松平容保から下賜されたと伝わる打刀。作者は会津十一代兼定。京都に鍛冶場を設け新選組所用の刀を多く手がけた。土方は寸違いの兼定を複数所有した。
ひじかたとしぞう (1835~1869年)「男の一生は美しさをつくるためのもの」と語ったイケメン副長。
新選組一番隊隊長・沖田総司が使った刀は…
実は愛用と伝わる刀はいくつかあるものの、現存はせず。肖像写真さえ残さなかった沖田らしい顛末です。ですが、司馬遼太郎が小説で沖田総司の愛した刀としたのが一つあります。それは「菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)」。司馬遼太郎は小説「新選組血風録」でそう描きました。真実かどうかは謎ですが、この刀をつくった則宗は確かに、剣豪をも魅了しただろう名工。後鳥羽上皇の御番鍛冶としても活躍し、代表作に「二ツ銘則宗」があげられます。
名物 二ツ銘則宗 ふたつめいのりむね「太刀 銘 □□国則宗」 重要文化財 鎌倉時代 備前 一文字則宗作 刃長80.1㎝ 反り2.71㎝ 愛宕神社 銘の□□は判読不能。
「菊一文字則宗」は行方不明。同じ則宗による本作は、足利将軍家の宝刀とされ、後に秀吉の手に渡った。