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2023.11.01

お茶ではないのに…なぜご飯を“茶碗”で食べるの?【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

心游舎を始めて気付いたことの一つに、「なんで?」の力がある。子どもは、わからないことがあると、なんでも「なんで?なんで?」と聞いてくる。「お茶ってなんでにがいの?」とか、「なんで神社で手を洗うの?」とか。

私たちは大人になるに従って、「なんで?」とあまり考えなくなる気がする。「なんでかようわからへんけど、そういうもんや」と思っていることが多くなってはいないだろうか。間違ったことを正しいこととして認識しているかもしれないし、いざという時にきちんとした判断ができないことも出てくるかもしれない。この「考えることをやめる」のはとても危険なことだと思うようになった。

神様に対する「なんで?」

以前石清水八幡宮でワークショップをした際、境内散策をしたことがあった。そのとき参加していた子どもの一人に、境内に点在する摂社・末社を横目に見ながら「この神さんは三人でちっちゃいおうちに住んでるのに、こっちの神さんはなんで一人でおっきいおうちに住んではるの?」と聞かれた。「確かに三人やったらぎゅうぎゅうかもしれへんね」と返したのだけれど、そんなことを今まで疑問に思ったこともなく、私はその質問にきちんと答えてあげることができなかったのである。

後日宮司様にお伺いしたところ、本来は大半の神社が産土神をお祀りするので一社に一柱が基本だが、時代が重なるにつれて、八幡さんや天神さん、大国さんやお諏訪さんなど、様々な神様を合祀するようになったと考えられる。本来は一社に一柱が当然のお祀りの仕方だけれど、御殿にお祀りするのは御霊代(みたましろ)なので小さなお社でも何柱でもお祀りできる。その神社を信仰されるその時代の氏子などの要請によって、何柱もの神々が祀られているのであって、お社の大小には関係なく、神々の神威はすべてに照り輝くのですよ、とお教えくださった。

何も考えずに、その子に「そういうもんやねん」と言ってしまうのは簡単なこと。でも、それはせっかく芽生えた彼女の興味の芽を摘んでしまうことになる。この時以来、私は子どもの質問には正確な答えを返さなければいけないと思うようになった。

ご飯はなぜ茶碗で食べる?

そんなとき、漆芸家の室瀬和美先生に「なんで茶碗でご飯を食べるのか考えたことある?」と聞かれた。確かに、茶碗はお茶を飲むための器である。ご飯を食べるための器であれば、飯椀という言葉がある。なぜ、お茶を飲むための器でご飯を食べているのだろう。考えても答えが出るはずもなく、「なんでですか?」と聞いてしまった。

「ヒントはワンの字だよ。」と先生。茶碗のワンは石偏で、飯椀のワンは木偏。つまり、茶碗は陶磁器でできているので、石偏。飯椀は、元々木地の椀なので木偏なのだそうだ。陶磁器というのは、熱伝導率が高い素材。熱いお湯を注いでも、すぐに熱が逃げるので、口元に持ってくるころには、ちょうどいい温度に冷めてくれる。お抹茶であれば、三口半で飲みきってしまうので、長時間保温する必要もない。そのため、陶磁器というのが熱いお茶を飲むには一番適した素材ということになる。

『色絵月に蟷螂文茶碗』永樂保全作 江戸時代・19世紀 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 

陶磁器とは反対に、木は熱伝導率の低い素材である。蓋をすれば、さらに保温効果は高まる。ご飯やお味噌汁は、食事の最後まで冷めてほしくないもの。木地に漆を塗った漆器であれば、あたたかい料理を入れても、ゆるやかにその温度を保ってくれる上に、防腐、防水、防虫効果もあるので、ただの木椀よりもご飯や汁物を入れる器としては適しているし、長持ちする。茶碗は陶磁器でも、汁椀は漆器というご家庭はいまだに多いはず。何気なく、当たり前のように使っている器にも、使われている理由があることが、漢字からわかるのである。

『黒漆飯椀』江戸時代 19世紀 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

そして、漆器が飯椀としてあまり使われなくなってしまったのにも理由がある。文化14(1817)年に大田南畝が記した随筆の中で、「今の陶器は尾州の瀬戸より多く出る故に、なべての陶器を瀬戸物といふに同じ」とあるように、江戸時代の中頃くらいから「瀬戸物」とも言われる安価な陶磁器が市場に出回るようになった。高価な漆器の飯椀ではなく、似たような形状の陶磁器の茶碗でご飯を食べたほうが、安上がりで使いやすいと思った人がいたのだろう。それが全国的に広まり、現在のように「茶碗でご飯を食べる」ことが主流になっていったようだ。

漆器の飯椀で頂く、ご飯のおいしさ

室瀬先生からそのお話を聞いて以来、私は漆器の飯椀でご飯を頂くようにしている。何より、ご飯を飯椀によそった時の高揚感がある。黒の器に真っ白なご飯が映えて、本当においしそうに見えるのである。器が余分な水分を吸ってくれるし、ご飯は乾燥しにくくなる。そして、お茶漬けなどを頂くとき、飯椀に唇をつけた時の感触がとてもやさしく、あたたかい。ご飯は漆器で頂くのが一番おいしいと確信させてくれるのである。

漆器はお手入れが面倒と思われている方が多いかもしれないが、漆は塩酸や硫酸をかけても、エベレストの山頂という過酷な環境で使ってもびくともしない素材である。食器用洗剤で洗っても問題はないし、洗った後に放置せず、やわらかい布巾で拭いて乾燥させておけばいいので、面倒くさがりの私でも毎日使える。傷ついたり、擦れたりしても、塗り直しをしてもらえば長く使えるし、使っているうちにまろやかな艶が出てくる。漆器は高価だけれど、それだけの手間と時間がかかっているし、一生使えると思えば、決して高い買い物ではない。おいしい新米の季節、ぜひぴかぴかのご飯を漆の飯椀で召し上がっていただきたい。

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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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