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Culture

2024.02.01

子どもたちも喜ぶ、本物のおいしさ。美しい和菓子のある日常【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

私はいつの頃からか、「和菓子の人」と思われている節がある。友人が、私の誕生日ケーキを担当の人に頼んだところ、「和菓子でなくてよいのでしょうか?」と聞き返されたらしい。日本の伝統文化に関わっているイメージからなのか、皇族は和のものしか食べないと思われているのか、私が和菓子について書いた文章を読んだ方だったのか、真意はわからないけれど、友人が「誕生日には彬子様もケーキ食べますよ」と伝えたそうで、その時は準備していただいたケーキをありがたく、おいしくいただいた。

和菓子から生まれた、新たな習慣とコミュニケーション

そんなわけで、私は和菓子も洋菓子もいただくのだけれど、どちらかと聞かれれば和菓子の方が断然好きだ。だから、「和菓子の人」のイメージはあながち間違っていないと言えるだろう。コロナ禍が始まってからは、散歩の目的地が和菓子屋さんになることが多くなった。今まではわざわざ歩いて行かなかった和菓子屋さんまで歩いていく。そのおかげで、随分と新しいお店を開拓できた。特に緊急事態宣言の頃は、時短営業やお客様が激減したことで苦労されているお店も多かったから、あれこれとお話を聞き、せめてもの応援に自分の分と警察の人の分の和菓子を買って、「あれおいしかったね」とか「先日頂いたふわふわしたのはなんやったんですか?」などと、皆と和菓子を通した他愛ない話をするのがやすらぎのひとときだった。

ケーキは年間通して、あまり大幅に品ぞろえが変わることはないけれど、和菓子はひと月ごとに必ず変わるし、二十四節気や年中行事によっても違うお菓子が出る。新顔のお菓子が出るたびに、和菓子屋さんに通うのがコロナ禍によってできた新たな習慣になった。おかげで、側衛さんや京都府警さんたちが今ではすっかり和菓子通になり、「どら焼きは、私はこちらの店の方が好きです」とか、「前回頂いてすごくおいしかったので、先日奥さんの実家に行ったときに手土産で持っていったらすごく喜ばれました」などと言われるようになってしまった。

季節の訪れを告げる和菓子。升箱に豆に見立てた黄粉のすはまとえんどう豆の甘納豆、赤鬼とお多福は山芋のお干菓子。
鈴懸「鬼はそと 福はうち」

日々の生活に和菓子がある、京都

緊急事態宣言が明けてしばらくした頃、和菓子好きの東京の友人に、京都で新しくできた和菓子屋さんの話をしていて、驚愕したことがある。「いいですね。東京では和菓子屋さんで全然生菓子売っていなくて、私は禁断症状が出そうですごくつらかったんですよ」と言われたのである。京都でも宣言中に、閉まっているお店はあった。でも、営業しているお店も多かったし、生菓子も普通に売っていたから、東京では売っていないなんて思ってもみなかった。「なんでですか?」と聞くと、それまた驚きの答え。「お茶のお稽古がなかったから」だそう。羊羹や最中など、日持ちのするお菓子は売っていたけれど、当日が賞味期限のいわゆる上生菓子は、お茶のお稽古がないと需要が見込めないので、作らないお店が多かったのだという。

京都でも、お茶のお稽古はなかったはずだ。でも、上生菓子は売っていた。それは、私もそうだけれど、京都の人たちが「おやつ」として、二個三個と日常的に和菓子を買う習慣があるからなのだろう。実際に、京都の日本料理屋さんは食後に和菓子というお店が多いし、骨董屋さんや個人宅などにお邪魔しても、「一服いかがですか?」とお薄とお干菓子を出していただくことがよくある。私がよく行く和菓子屋さんも、ご近所さんらしき方が自転車で乗り付けてこられたり、どうしても和菓子を買って帰りたいと、小さな子がお母さんと涙ながらに交渉している姿を見かけたりすることがあり、京都では和菓子が日々の生活に溶け込んでいることがよくわかる。

皆で同じものを食べる喜び

太宰府天満宮幼稚園で、和菓子作りのワークショップをするようになり、10年以上が経過した。初年度は、「和菓子は食べん」「あんこはきらいやけん」などと言って、あんこや和菓子の試食をしても食べない子が何人もいた。でも、博多の和菓子屋である鈴懸さんにご協力いただき、和菓子がどんなものかを知り、工場見学に行き、子どもたちのデザインによるオリジナルの和菓子を作るという一連のワークショップが終わるころには、園児全員が和菓子好きに変身する。「鈴懸さんの和菓子やったら食べられるっちゃん!」と得意げに言う子もいて、本物のおいしさは子どもにしっかりと伝わるのだと感じさせてくれる。

雛飾りを見立てた愛らしい上生菓子。鈴懸「雄雛・雌雛・菱羊羹・桜・橘」

天満宮幼稚園の子どもたちが粘土で作った和菓子

和菓子のワークショップを始めてから、天満宮幼稚園では隔月で開催されるお誕生祭のお菓子を和菓子に変えてくださった。ケーキだった頃は、アレルギーの子はご自宅から食べられるお菓子を持ってくるのだが、お友達と同じものを食べられないことに疎外感を覚えていたという。でも、和菓子にはアレルギー食材がほとんど入っていないので、皆と同じものが食べられる。うれしくて、みんなパクパクと食べるのだそうだ。

年少さんのときから和菓子を食べ続けている子どもたちは、みんな和菓子が大好きである。年長さんで工場見学に行けるのを楽しみに待っているので、みんな驚くほど和菓子に詳しい。「これはこしあん」「こっちはつぶあん」などと教えてくれるし、梅が枝餅作りの体験をするときは、あんこを包むのが妙にうまいので、係の人に「なんでこんなに上手なんですか?」とびっくりされるらしい。

太宰府天満宮幼稚園の子どもたちは、大きくなっても「和菓子の人」であり続けるだろう。そう確信している。

講師に「とらや」の皆さんを迎え、乃木神社で開催した心游舎の「和菓子体験ワークショップ」にて

干菓子、上生菓子の写真提供:鈴懸 suzukake.co.jp/
アイキャッチ画像:国立国会図書館デジタルコレクション『御菓子雛形』より作成

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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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