私たちの存在は雲をつかむようなもの
今回の禅語:「しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(ぐうじん)と同生(どうしょう)し同参(どうさん)するゆゑにしかあるなり」
「得処(とくしょ)かならず自己の知見となりて、慮知(りょち)にしられんずるとならふことなかれ。証究(しょうきゅう)すみやかに現成(げんじょう)すといへども、密有(みつう)かならずしも見成(げんじょう)にあらず。見成これ何必(かひつ)なり」
(いずれも『正法眼蔵』のうち「現成公案」より)
この禅語を読んで、まず浮かんだのが「この世はまやかし」という言葉です(笑)。
お釈迦さまは「世間における一切のものは虚妄(陽炎の如く実体を持たないこと)である」と説かれていて、この連載を監修してくださっている横山泰賢氏は「さとりの親密さは、必ずしも目に見えるものとしてかたちを成すものではない」とおっしゃっています。
仏教だけでなく、古代のインド哲学でも、この世のことを「マーヤー」(=幻想世界)だと解いていて、現実に存在すると考えられる物質世界が幻影であるとされています。
今、私たちのいるこの世界が、幻想だなんて!
実際に私たちはいま「存在」しているはずで、にわかには信じられないことですが、量子力学の世界でも、1918年にノーベル物理学賞を受賞したドイツの物理学者マックス・プランク氏は「全ては振動であり、その影響である。現実に何の物質も存在しない。全てのものは振動で構成されている」と述べたとされています。
もしも私たちの存在が振動によって構成されているとすれば、この禅語は、スッと理解できるような気がします。全てを手に入れることなんて到底できないということですよね。
認知される境界がはっきりとせず、私たちの存在は雲をつかむようなものだからこそ、道元禅師は、何を軸として日常生活に目を向け、行動するのかを問いかけてくださっているように思います。
身なりや立ち居振る舞いから
道元禅師の別の言葉に「威儀即仏法 作法是宗旨(いぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし)」という教えがあります。
「日常生活の身なりや立ち居振る舞い、全てが仏の道であり、是が宗門の教えである」という意味だそうですが、立ち居振る舞いはほとんどが無意識に行われることから、教えが身につけば無意識のうちにそれに適った身なりや立ち居振る舞いが出来るようになってくるそう。
永平寺におられる修行僧の方々は、皆さん同じ格好をしていながらも、歩き方をはじめ立ち居振る舞いを見れば、入門したての雲水さんなのか、修行を積み重ねている雲水さんなのかがすぐにわかってしまうそうです。そう思うと、心掛けや意識次第で自分は変われるし、その逆も言えることになりますよね。
きっと修行僧の方々は、仏の道を基準にして、全てをお釈迦さまに近づけるように気遣って行動されていると思うのですが、私たちはどうでしょう。
取り巻く環境や精神状態、体調は日々変わるため、常に同じ状態を保って生きていくことは難しいですし、無意識でいると、ますますその時の環境や状況、感情などに左右されやすくなります。道元禅師がおっしゃっているのは、普段の暮らしの中で、物質だけに心を向けるのではなく、そうではないものへ意識を向け、当たり前の日常を見直すことの大切さを教えてくださっているように思うのです。
「生かされている」という謙虚な立ち位置
真理や仏の道となると、出家しなくては! という話になってしまいますが、日本に古来から根付いている「感謝」や「お陰さま」という謙虚な思いや慎みの精神を持って、全ての日常に向き合うとすれば、人や物事に対する向き合い方や接し方、話し方はきっとかなり変わってきますよね。
娘と接していても「ありがとう」や「大好きだよ」と声がけするとお互いの心はとっても穏やかになって安定するし、そうではなく何か言い合いをしてしまうときは、お互い笑顔どころか感情的でイライラし始めて、愛犬もその部屋から即座に出て行ってしまいます(笑)。
まさに、言霊! 選ぶ言葉や捉え方、発し方がポジティブかネガティブかでも自分自身や周りへの影響は変わってきますし、それは、未来や運命さえも変えてしまう力を持っているようにも感じます。
より幸せに、より健康に、より美しく生きたいとするならば、その要素を自らが発するという意志や自覚を持つべきなのかも。もっというなら、人だけでなく、動物や植物、この世に存在するもの、地球全体の平和を考えて、自分たちがどんな意志や自覚、選択を持つべきなのかを考える必要があるのでしょう。
「生かされている」という、より謙虚な立ち位置を再確信し、目に見えるものに気をとらわれたり、より多く手に入れようとするよりも、感謝や謙虚さを優先して日常生活を積み重ねていくと、身なりや立ち居振る舞いが変わってくるのかもしれません。
皆さんは、周りにどんな影響を与え、そして受け取っていますか。心地いい毎日を創り出していける存在でありたいですね。
監修:横山泰賢(日光山 禅昌寺住職・曹洞禅インターナショナル会長)