10年ほど前から、新年会と称したお餅つきを開催している。きっかけは、心游舎の理事に1月2日生まれの人がいて、せっかくならおめでたくて、お正月らしいお祝いをしたいという話になり、「お餅つきは?」と提案した人がいたことだった。それは楽しそうだと大いに盛り上がり、開催が決定。心游舎だけでなく、私の友人や友人の子どもたちもやってくる毎年恒例の行事になった。
お餅を食べて、神様の力を体内に頂く
日本では、古くから神祭りや通過儀礼など、非日常の場面で餅をつく習慣があるが、これは稲には霊力が宿っているという稲霊(いなだま)信仰に由来すると言われている。米一粒が芽を出し、田植えをするとその芽が分かれて多くの穂を実らせる。その繁殖力の強さと豊穣性に神の力を感じたのだろう。餅は、稲霊がカタチになった極めて神聖なものとして、様々な儀礼に使われるようになったのである。「御飯」「御餅」など、「御」がつくのは、それだけ米が大切なものとして尊重されてきた証なのだと思う。
『豊後国風土記』などに、餅を的にして矢を射たところ、その餅が白鳥となって飛んでいき、長者が滅びてしまったという伝説があるように、餅は神そのものと考えられてきた。そうした餅を食べるということは、神の力を体内に頂き、生命力を高めるという意味があったのだろう。新年のお「年玉」は、「年魂(としだま)」であり、年神様からの賜りもの。家族の数だけ小餅を神棚にお供えし、それを家長が新年に一つずつ配ったり、それでお雑煮を作ったりという慣習が全国に残っているのは、このような理由があると言われている。
宮家のお年玉は?
余談であるが、宮家にはお年玉の文化はない。でも、毎年桂宮殿下だけが年始のご挨拶回りにうかがうと、私たちにお年玉を下さった。お子様がいらっしゃらなかったので、甥っ子姪っ子たちをとてもかわいがってくださり、新年の御祝詞を申し上げるときに、毎年ちょっとはにかんだ笑顔で「おめでとう」と、ポチ袋に入ったお年玉を手渡してくださった。おじちゃまのところでしか頂けないお年玉は、本当に特別で、とてもうれしいものだった。「成年までは」「学生のうちは」とお年玉年齢を延長してくださり、私が長すぎる学生生活を終えた後も、「結婚するまでは」と、お隠れの年のお正月もご寝室の枕辺にお年玉を用意してくださっていた。「うまいだろう?」「いっぱい食えよ」と勧めてくださる桂宮家のおいしい御祝膳と共に、おじちゃまのお年玉はお正月の思い出として記憶に色濃く刻まれている。
人とのご縁をつなぐ、「お餅つき」という文化
閑話休題。そんなわけで、昔はお正月前に各家庭でお餅つきをしたものだし、町内会や幼稚園での年末の行事としてお餅つきをするところも多かったけれど、ノロウィルスや新型コロナウィルスの流行をきっかけに中止になるなど、町中でのお餅つき開催の貼り紙は年々少なくなっている印象がある。私は、幼稚園にお相撲さんが来てくれて、一緒にお餅つきをしたのが初めての経験だったと思うけれど、ほかほかのご飯がぺったんぺったんしているうちに、ねばねばのお餅になることがとても不思議だった記憶がある。そして、つきたてのお餅がやわらかくてとてもとてもおいしかったこと、普段家で頂くお餅と全然違う!と思ったことをよく覚えている。
最近は、お餅がお米でできていることも知らない子どもも多いと聞く。我が家の新年会では、蒸したてのもち米を臼に移すときに、職人さんがほかほかの白蒸しを子どもたちの手に少しずつ載せてくれる。(私も毎回ちゃっかりご相伴にあずかる)口にそっと運ぶと、「あったかーい」「あまい!」と子どもたちはいつも目を輝かせてくれる。小さい頃はお父さんやお母さんと一緒に杵を持ってお餅をついていた子が、一人でついている姿を見ると、成長をしみじみと感じてしまう。子どもたちの様子を見るたびに、お餅つきを始めてよかったと思うのである。
我が家のお餅つきで初めてお餅を食べるという子も多く、つきたてのやわらかいお餅がおいしすぎるせいか、外でお餅を食べたときに「これはわたしのおもっているおもちとちがう」と言い出すというちょっとした弊害を生んだりもしているが、年に一回我が家でしか会わない友人同士が、「あらー、大きくなって!」と参加している子どもたちの年ごとの成長を楽しみに見守ってくれたり、これをきっかけにお餅に心奪われ、「プロの餅つき士」を目指し出した友人がいたりと、お餅が人のご縁をつないでくれていると感じている。
以前心游舎で、お餅つきのワークショップを北海道神宮で開催したことがあった。寒すぎるからか、北海道ではお餅つきをする文化があまりないようで、お餅つきをしたことも見たこともないという子どもたちがほとんどだった。「よいしょ!」と声をかけ、餅をつくたびに道場の床が振動する。我も我もとお餅つきは大いに盛り上がった。
つきあがったお餅をお汁粉にして、外のかまくらで食べたのだが、食べていない子がいた。「食べないの?」と聞くと、「おもちもあんこもきらい」と言う。(なぜお餅つきに来てくれたんだ?)と心の中で突っ込みつつ、「だまされたと思って一口お母さんの食べてみてよ。虎屋さんのお汁粉おいしいよ~なかなか北海道じゃ食べられないよ!」と声をかけて、しばらくしてからまたのぞいてみると、彼は普通にお椀を持ってお汁粉をすすっていた。我が家に来ている子どもたちのように、「とらやさんのおもちならたべられる!」と言う子になってしまっただろうか。
撮影:永田忠彦