武士たちが意匠を凝らした陣羽織
「夕鶴」で名高い劇作家・木下順二に、「赤い陣羽織」という作品があることをご存じだろうか。スペインの作家・アラルコンの喜劇「三角帽子」を下敷きにしたものと言われており、物語の舞台ははっきりと指定されていないが、恐らく江戸時代。いつも赤い陣羽織を着ている代官さまが、領地のとある女房をわがものにしようとするところから物語が始まる。アラルコン版では角のある帽子が、木下版では陣羽織が、その地域の権力者の力を示すモチーフとして使われている。
陣羽織は当節では、一般の生活をしているとまずお目にかかることのない着物だが、その名の通り、武士が戦陣においてまとっていた上着である。甲冑の上からうちかけるため、丈長で裾部分から背中にかけては縫いがない背割れ形。袖も存在しない。今日でいえば、ちゃんちゃんこが比較的、形が近いかもしれない。
戦国時代、武士は甲冑や冑の意匠にそれぞれ工夫を凝らした。陣羽織は更にそれらの上に打ちかけるもの。ゆえに武将たちは羅紗や緞子、毛織物やビロードなど舶来の高価な布地までも用い、個性の強い陣羽織を作らせた。
秀吉が好んだデザインは
たとえば現在、京都・高台院に伝来する豊臣秀吉所用の陣羽織は、サファヴィー朝ペルシアの宮廷工房で制作されたと推測される綴織地。金銀の箔を置いた糸などを華やかに使って、戦う獣たちや花を織りなしており、本来はカーペットや壁掛けに用いるものだったと考えられている。それが日本に伝来したのは、当時盛んに行き来していた南蛮船によるものだが、金銀赤緑で織りなされた眩いほど華やかな布を身にまとってしまう点に、秀吉の好みがうかがわれる。ただどう考えても生地が厚いため、羽織りものとしてはかなり重かったのではと心配になるが、なにせオシャレとは今日でも我慢を強いることが多いものだ。天下人たる秀吉はもしかしたら、これしきの重さは自らの権勢の現れと前向きに受け止めていたのかもしれない。
一方でオシャレと実用を兼ね備えた陣羽織も、伝世している。東京国立博物館所蔵の「黒鳥毛揚羽蝶模様」の陣羽織は、伝・織田信長所用。織田家の家紋である揚羽蝶紋様を、山鳥の毛で表した陣羽織である。羽毛は撥水性があることから、戦国末期に好んで陣羽織に用いられているが、その中でも紋様を描き出す作品は珍しい。蝶の長い触角までがデザイン的に表現され、今から四百年も昔の意匠とは思えぬ斬新さだ。

ちなみにわたしが大変面白いと思う陣羽織は、これまた豊臣秀吉の所用との伝承を持つ「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」。裾から背中にかけて左右非対称に描かれる富士山は鮮やかな黄色、その背景にあたる肩部分は黄色に染め抜かれ、どことなく大阪ではお馴染み阪神タイガースを思わせるカラーリングだが、面白いことに富士山の山頂部分には炎らしきものが表現され、山裾には噴石を思わせる黒い丸が幾つも描かれている。そう、これは噴火している富士山を模様にしているのだ。
ただ戦国時代は富士山の火山活動が小康状態にあったと考えられており、確実な噴火の例は永正八年(一五一一)まで遡る。となるとこの陣羽織をデザインした人物は、想像だけで作ったのだろうか。それとも古老にかつての噴火の詳細を聞いて、イメージを膨らませたのか。いずれにしても今日のように、過去の出来事をたやすく写真・動画で確認できなかった時代に、自然現象をこうも斬新なデザインで切り取る人物がおり、しかもそれを許容する武将がいたという事実は、我々が持つ過去のイメージすら塗り替える。
「脅威であり信頼の的であった」
ところで江戸時代初期に編纂された逸話集『明良洪範続編』には、そんな陣羽織を巡る興味深い逸話が収録されている。現在の大阪府西部在住の中村新兵衛は、猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織と唐冠形の兜――つまり深みのある紅と中国風の冠の形をした変わり兜の装いで戦場に出る力自慢。敵はそんな彼を見るだけで、いつも恐れをなして逃げてしまっていた。そんな新兵衛はある時、親しい者からこの陣羽織と兜を求められ、断り切れずに譲ってしまう。すると次の戦から、敵は誰一人、新兵衛をあの有名な剛の者とは思わず、討ち取りやすい相手だと思い込んでかかってくるようになった。新兵衛はそこで初めて、陣羽織・兜を手放したことを後悔するが、結局、そのまま敵に討ち取られてしまったという。

兜にしても陣羽織にしても、その特徴的な形や色彩は、当の武将のアイデンティティとも密接にかかわり合う。それこそ写真も動画もなかった時代、戦に臨む人々は敵を顔かたちではなく、「こんな陣羽織の」「あんな柄をまとった」という陣羽織の柄で認識することも多かっただろう。そしてそれは同時にただの個人の識別だけではなく、相手を驚かせ、ひるませる、美しき武具としても働いていたはずだ。
ちなみに小説家・菊池寛はこの逸話をもとに、「形」という短編を書いている。ここでは新兵衛は守役として、幼い頃から世話をしていた主の側室腹の子の初陣に際し、己の陣羽織と甲冑を貸してしまう。
――中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的であった。
ストーリーにいささかの差はあるとしても、菊池のこの一文ほど戦国の世における陣羽織の性質を的確に指摘したものはない。ただそう考えると今日、この陣羽織に相当する衣服は果たして存在するのだろうか。もしかしたら我々の服飾生活は、かつてに比べると単調なものになってはいまいかと、ふと考えさせられてしまう。

