日本文化の入り口マガジン和樂web
11月30日(火)
念仏者は無碍の一道なり。(親鸞)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
11月30日(火)

念仏者は無碍の一道なり。(親鸞)

読み物
Gourmet
2019.09.27

釜石ラグビーが今、復興の狼煙をあげるぞ! 実は深い鉄の歴史と北の鉄人が愛したグルメ

この記事を書いた人

実は深い、釜石の鉄の歴史

釜石の鉄の歴史は古く、日本古代からの砂鉄を使った「たたら製鉄」が行われていたという記録があります。
鉄鉱石が発見されたのは1727(享保12)年。徳川8代将軍吉宗の時代です。

黒船に対抗するため近代製鉄へ

近代製鉄の父と呼ばれる盛岡藩士、大島高任が釜石に洋式高炉を築き、日本で初めて鉄鉱石からの安定した製鉄に成功したのが1857(安政4)年。黒船来航が1853(嘉永6)年ですから、開国を迫る軍艦に対抗できる大砲を作るために、幕府が良質な鉄を必要としていたことがわかります。

原寸大で復元された高炉とともに、釜石の鉄の歴史を学ぶことができる鉄の歴史館。写真:かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

釜石市鉄の歴史館
岩手県釜石市大平町3-12-7

産業革命を支えた釜石の鉄

その後、1880(明治13)年に官営製鉄所の操業がスタート。鉄の輸送のために釜石鉄道が開通しました。鉄道の開通は日本で3番目だったことから、製鉄がいかに重要な産業であったかを知ることができます。
その後製鉄所は民営化され、1934(昭和9)年に日本製鐵株式會社釜石製鐵所となりました。

2015年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に認定された橋野鉄鉱山・高炉跡。写真:かまいし情報ポータルサイト〜縁とらんす

橋野鉄鉱山
岩手県釜石市橋野町第2地割15

戦後、焼け野原からの復興

しかし鉄は釜石に繁栄だけでなく、苦難ももたらしました。鉄が軍事的に重要だったため、第二次世界大戦終戦間際である1945(昭和20)年7月14日と8月9日、2回の艦砲射撃にさらされたのです。製鉄所は壊滅的な被害を受け、釜石のまちは焼け野原となり、多くの命が失われました。

そこから釜石は、戦後日本の高度成長を製鉄で支えるまでに復興したのです。そして歴史は、冒頭でご紹介した逆境からのラグビー7連覇へと続いていきます。

書いた人

岩手生まれ、埼玉在住。書店アルバイト、足袋靴下メーカー営業事務、小学校の通知表ソフトのユーザー対応などを経て、Web編集&ライター業へ。趣味は茶の湯と少女マンガ、好きな言葉は「くう ねる あそぶ」。30代は子育てに身も心も捧げたが、40代はもう捧げきれないと自分自身へIターンを計画中。