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ヴァシュロン・コンスタンタン「レ・キャビノティエ」アールデコ様式をモチーフにした新作を発表
歴史ある名門が取り組む時計の文化と技術の継承
ヴァシュロン・コンスタンタンは、1755年に創業し、以来一度も途絶えることなく時計の自社一貫製造を続ける世界最古のマニュファクチュールとして知られています。そしてそこにはただ歴史の長さだけでなく、スイス時計の伝統と文化を継承し、現代からさらに次世代へと続ける強い理念が貫かれます。そのひとつの象徴が「レ・キャビノティエ」です。
もともと「レ・キャビノティエ」は一点もののユニークピースであり、社内でも同じ名が付けられた独立部署が製作を担います。そこではエングレービング(彫金)、エナメル、ジェムセッティング、ギヨシェ彫りといった工芸装飾と、独創的なオリジナルキャリバーの開発が行なわれ、特別な顧客が依頼する世界に1本の時計作りに応えます。じつはこうしたオーダーメイドの専門部署を設け、伝統的な装飾技法を社内で研鑽する時計ブランドはスイスでも稀少で、それもヴァシュロン・コンスタンタンの名門たる所以でしょう。
しかしここで手がけるタイムピースのほとんどが公開されることはありません。そこで用いられた独自の機構や装飾の一部を「レ・キャビノティエ」というコレクションとして昇華し、継承とともに進化を続ける技術の現在形とその価値を広く伝えているのです。
栄華を築いた美しきパリへの時空を超えた旅へ
今回お披露目されたテーマは「レ・キャビノティエ – レシ・ドゥ・ヴォヤージュ(旅の見聞録)–」。「レ・キャビノティエ・マルタ・トゥールビヨン – オスマン様式への賛辞 –」は、ヴァシュロン・コンスタンタンが自社の代理店を構えた1820年当時、縁の深いパリを旅した時をイメージして制作。
当時、中世以来の城塞都市だったパリの街は、狭く曲がりくねった道路と密集したアパートで日差しや風通しも遮られ、衛生環境も悪く、下水道の不備でセーヌ川も汚染されていました。さらに増え続ける人や馬車で交通渋滞の絶えないありさま。そこでセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによって都市大改造が行なわれました。
1850年代の着手から20年以上に及ぶプロジェクトでは、街路や建造物始め、公園や上下水道といった生活インフラから美観に到るまで抜本的に変えられ、大都市パリの基盤が整えられました。そして生まれ変わったパリの象徴となったのが、1889年に建造されたエッフェル塔です。
エッフェル塔は完成当初こそ賛否両論でしたが、その年開催されたパリ万博の目玉となり、ヨーロッパばかりでなく世界中の注目を集めました。これを目当てに多くの観光客が訪れ、国際都市としての発展を促します。そして華やかな文化と芸術の繁栄とともに、いよいよパリはベル・エポックの時代を迎えるのです。
卓越した彫金の技で蘇った歴史的な街の風景
「レ・キャビノティエ・マルタ・トゥールビヨン – オスマン様式への賛辞 –」は、優美なトノー形ケースに美しい彫金を施します。ベゼルはオスマンスタイルの建造物の外壁ファサードをモチーフにした丸ひだ装飾が取り巻き、ケースサイドには建物を飾った帯状のフリーズ装飾を模すともに中央にはライオンのレリーフが刻まれています。
当時ライオンは力強さと荘厳のシンボルとして、広場や公園、庭園に彫像が設置され、ドア、外壁、街頭、バルコニーなどのモチーフにも多用されました。バ・ルリエフ(浅浮き彫り)と呼ばれる彫金技法により、わずか0.4㎜という薄さで力強くたなびくたてがみを表現するとともに、花柄の周囲の地板も削り取り、細かなグレイン(微粒子)仕上げを施します。
美しいオープンワークが施された文字盤とムーブメントには、中央からややオフセットした時分針と対をなす大径のトゥールビヨン、さらに左右には日付とパワーリザーブがシンメトリーに並びます。施された装飾デザインのモチーフになったのがエッフェル塔であり、くり抜かれた地板とブリッジ状になった受けの表面はまさにトラス構造(三角の骨組み)の鉄骨を思わせます。
オスマン様式で整備されたパリの建造物と、より近代的なエッフェル塔の革新性を融合した繊細な彫金は、一人の彫金師がすべて手作業で完成まで150時間を要しました。
エレガントなトノー型には、パリの洗練と品格が漂います。ヴァシュロン・コンスタンタンではこのフォルムを1912年に初めて手がけ、当時丸型が主流だった懐中時計や腕時計の慣習を覆しました。それは、近代的な都市計画の実現を目指し、既成の概念を打ち破ったオスマンの偉業にも通じます。そしてその情熱への賛辞がこのタイムピースにも注がれているのです。
文/柴田 充