1755年の創業以来、途絶えることなく歴史を紡いできた世界最古のマニュファクチュール「ヴァシュロン・コンスタンタン」。精巧な技術と造形美が融合して生まれる時計は、〝時を刻む芸術〟と讃えられてきました。その270年の壮大な歩みを名品タイムピースとともに3回の連載でご紹介します。第2回は、時計製造における装飾芸術の歴史をウォッチ&ジュエリー ジャーナリストの本間恵子さんが解説。時代を象徴する華麗な作品をご覧ください。
職人たちの至芸が描き出す、芸術への尽きせぬオマージュ
文・本間恵子 ● ウォッチ&ジュエリー ジャーナリスト
遥かなる高みを目ざして磨き上げたエナメルの美
ムーブメントという名の人類の英知、理知的な機械。それを包み込むために「ヴァシュロン・コンスタンタン」は、人の手の技を尽くす。創業以来培ってきた装飾の技を、時計という小さな芸術品に注ぎ込むのだ。
装飾の技の集大成ともいえる大作が「レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ−ヨハネス・フェルメールへ敬意を表して−」。依頼主のオーダーメイドに応じて製作された懐中時計で、極めて高度な手技が惜しみなく注ぎ込まれたユニークピースだ。エナメルで完璧に写し取られた「真珠の耳飾りの少女」とともに、手の込んだ彫金の比類ない精密さが熱いため息を誘う。
エナメルはメゾンの本拠地であるジュネーブで古くから栄えた伝統の職人技。ガラス質の釉薬を高温で焼きつけて製作するため、色鮮やかで経年劣化が少なく、時計の文字盤には最適の装飾技法といえる。ただ、油絵のように絵の具を混ぜながら塗り重ねることができないため、微妙な色の階調を出すには、釉薬を一層さして炉で焼く、という作業を根気よく繰り返していかなければならない。天井画のように巨大な作品を小さな文字盤に正確に模写するのも容易なことではなく、ときには細密描写に面相筆よりさらに細い筆が必要となり、サボテンのトゲを使うこともあるほどだ。
超絶技巧を後世に伝える メゾンのさまざまな取り組み
かつて隆盛を極めたスイスのエナメルだが、実は1970年代に衰退してしまった。そして今もなお、利便性の追求や大量生産の波にのまれ、多くの伝統工芸が消え去ろうとしている。「ヴァシュロン・コンスタンタン」はエナメル、彫金、ギヨシェ彫り、ジェムセッティングの4つの装飾技術を未来に継承するため、自社に時計装飾専門のアトリエを構えて後進を育成。彫金のアトリエには緻密なレリーフを自在にゴールドに刻みつける入神の技に達した金細工職人もいる。
また、フェルメールの名画を再現したのは当代きってのエナメルの名手、アニタ・ポルシェ。彼女はスイスエナメルの復興にも尽力した人。メゾンはときにアニタのように傑出した才能と手を取り合い、その洗練された表現に磨きをかけることを怠らない。
こうして「ヴァシュロン・コンスタンタン」は職人の至芸、ひいては芸術そのものを高らかに讃える。また世界の多様な文化に敬意を払い、その美を共有し、学ぶ。ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館、北京故宮博物院教育機関とのパートナーシップは、そうした精神を表すものだ。
傑出した時計とは、時刻を示す装置ではない。美術館に並ぶオールドマスターの傑作と同じく、歴史に彩られた小さな芸術品なのだから。

美術コレクターからのオーダーにより作られた「レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ – ヨハネス・フェルメールへ敬意を表して -」(ケース径98㎜、手巻き)。グラン・ソヌリとプチ・ソヌリ、トゥールビヨンを搭載する超複雑ムーブメントは「リファレンス 57260」を手がけた時計師のチームが開発。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を描いたエナメルだけでも2年が費やされ、すべての完成には8年の月日を要した。
メティエ・ダールと先端技術を駆使して生まれた
270年の歴史を彩る、エポックメイキングな名品時計
1755年の創業から今日まで、比類なき時計製造の歴史を誇る「ヴァシュロン・コンスタンタン」。その270年の歩みのなかでもエポックメイキングな時計を集めました。装飾芸術の名品は本間さんが厳選。第一人者ならではの解説は、物語を読んでいくような楽しさがあります。
Decorative arts ●本間恵子セレクト
1815
花束が甘く香り立つ、ロマンティックなデザイン

かつて貴婦人たちが愛用したスウィートな懐中時計。ブーケの浮彫には2種類のカラーゴールドを使い分け、葉脈やリボンにまで緻密な彫金を施していることに注目。華やぎを演出するのは赤いガーネット。地模様は細かな布目の梨地仕上げで、高度な彫金のテクニックがこの時代からすでに発揮されていたことがわかる。
1889
パリ万博で受賞を果たした、メゾン初の女性用腕時計

1889年のパリ万国博覧会での受賞作。メゾン初のレディスウォッチであり、量産を実現した世界初の腕時計のひとつともされる記念碑的な作品。ブレスレット部分にあしらわれているのは翼のある女神たち。リュウズはなく、ベゼルを回転させて巻き上げと時刻合わせができる機構を搭載し、技術力と審美生の両面を備えている。
1916
マハラジャのオーダー品は、まさにジュエリーのよう

宝石をこよなく愛したパティアラのマハラジャ、ブピンドラ・シンからの注文を受けて製作。トップにダイヤモンドをあしらい、透かし彫りで飾ったブレスレットの側面に小さな文字盤が配されている。女性が人前で時刻を確認するのはバッドマナーとされていた時代に、ジュエリーのように見える腕時計のデザインを工夫したものだろう。
1979
旋風を巻き起こした、世界で最も高価な輝き

「最も美しい」という意味のギリシャ語「カリスタ」と名づけられたジュエリーウォッチ。フランスの著名な画家・彫刻家として知られるレイモン・モレッティがデザインを手がけた。1キログラムの純金の延べ棒から台座を彫り上げ、総計約130カラットのダイヤモンドをセット。発表当時、世界で最も高価な時計として大きな話題となった。
2010
舞い散る桜の花びらは、日本ならではの情趣

1661年創業の京漆器の老舗「象彦」との協働で完成させた、和の美意識の宿る「メティエ・ダール – ラ・サンボリック・デ・ラック」。このモデルは〝春〟をテーマとしてつくられた3本のひとつで、花見をイメージした蒔絵が施されている。文字盤側からはムーブメントが透けて見え、静かに時を刻む動きも堪能できる。
2021
シャガールによる天井画の、華やいだミニアチュール

パリ・オペラ座ガルニエ宮を飾るシャガールの天井画をエナメルで再現した「メティエ・ダール − シャガール・エ・オペラ・ドゥ・パリ」。モーツァルト、ワーグナー、ムソルグスキー、ベルリオーズ、ラヴェルの作品をイメージした巨匠の絵が緻密に再現されている。天井の周囲にあしらわれたニンフの頭部までが、彫金で細やかに。
2024
胸元で白い煌めきを放つ、ジュエリーウォッチの系譜

「カリスタ」を継承した1980年のアイコニックな「キャラ」のデザインを踏襲し、発表された「グランド・レディ・キャラ」。ダイヤモンドで囲んだ時計のケースは取り外し可能で、ソートワールや腕時計など4通りにつけこなすことができる。ダイヤモンドは計46カラット超。タッセル部分にはアコヤ真珠が連なり、オニキスがアクセントを添えて。
2024
どこまでも味わい深い、木の象嵌による絵画的表現

「レ・キャビノティエ・トゥールビヨン – 四守護神への賛辞 – 〝白虎〟」は、古代中国の四守護神のうち白虎を描いた作品。微少な木片を切り出してはめ込み、豊かな表現を追求するウッドマルケトリーの技を駆使している。文字盤1枚あたりに使われる木片は平均200ピース以上。気の遠くなるような細かい作業には驚くばかり。

本間恵子 ● ウォッチ&ジュエリー ジャーナリスト
ジュエリーデザイナーから宝飾専門誌エディターに転身し、現在はフリーランスのジャーナリストとして国内外を取材。スイスのバーゼル市で開催されていた国際時計宝飾見本市を1990年代から取材した古株のひとり。金細工やエナメル、象嵌などの伝統技法に詳しく、独自の視点でウォッチの装飾性や表象性を語る。
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画像提供/ヴァシュロン・コンスタンタン
※本記事は『和樂』2025年12月号の転載です。