浮世絵300年の歴史と名絵師たちの物語

浮世絵300年の歴史と名絵師たちの物語

目次

前半では、菱川師宣の「見返り美人」から始まり、美人画ブームが巻き起こるまでの流れを見ていきました。後半は10年もの間、トップ絵師として活躍をしていた喜多川歌麿なき後に、浮世絵の主流が美人画からどのように変化していったのかを探っていきます!

浮世絵300年の歴史 前半はこちらから!

美人画に続いたのは役者絵

歌麿を失った蔦屋は、興行的に不振が続いていた歌舞伎界に目をつけ、役者絵シリーズの刊行を思いつきます。そのプロジェクトに大抜擢されたのが東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)でした。写楽は長らく謎の人物とされてきましたが、現在は江戸八丁堀に住んでいた阿波藩のお抱え能楽師であった斎藤十郎兵衛だという説が有力になっています。十郎兵衛が面白い役者の似顔絵を描くという噂を聞きつけた蔦屋は、その才能を見抜き、謎の新人絵師として大々的に売り出したのです。

スクリーンショット 2017-04-12 15.55.51東洲斎写楽「市川鰕蔵の竹村定之進」重要文化財 大判錦絵 1枚 寛政6(1794)年 37.7×25㎝ 写真提供/Bridgeman Images:PPS通信社

写楽の役者絵の特徴は、「市川鰕蔵の竹村定之進(いちかわえびぞうのたけむらさだのしん)」のように、顔立ちや表情を前面に打ち出したデフォルメの技法。それは、眉目秀麗(びもくしゅうれい)なのがあたりまえだった役者絵に親しんでいた江戸庶民にとって驚愕的で、インパクトの強さから大いにもてはやされます。その似顔絵はあまりにリアルで、中には写楽に描かれることを好まない役者もいたというエピソードがあるほどです。写楽が活躍したのはほんの10か月ほど。これは副業としての契約であったがゆえのことだといわれています。

江戸時代も後期になってくると、たくさんの浮世絵師が積み上げてきた技法や画風が成熟を極め、浮世絵はついに爛熟期を迎えます。
そのころの浮世絵界を牛耳っていたのは、歌川派という大派閥。それを率いていた歌川豊国(うたがわとよくに)は、美人画から役者絵、黄表紙や合巻の挿絵まで手広く手がけ、絶大な人気を誇っていました。そんな豊国を慕ってたくさんの絵師が弟子入りを希望し、名実ともに巨大勢力を形成していたのです。

浮世絵の主流は風景画に

武士の家に生まれながら絵師を志した歌川広重(ひろしげ)も豊国に弟子入りを希望したひとりでした。しかし、素人同然だった広重はあっさり入門を断られ、しかたなく豊国の兄弟弟子であった豊広(とよひろ)に入門。それがかえって活路を開き、静かな画風であった豊広の影響を受けた広重は、やがて風景画に興味を示すようになります。この時代、浮世絵において重要視されたのは美人画や役者絵。風景画は傍流(ぼうりゅう)と見なされていたのですが、この判断が広重の絵師人生を大きく変えていくことになったのです。

広重にとって最初の風景画「東都名所」は、先達であった葛飾北斎(かつしかほくさい)の成功の陰に隠れてしまうものの、続いて発表した「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」は、旅行ブームに沸いていた江戸庶民にとって旅のバイブルにもなり、会心のヒットを記録。旅に生き、各地に生きる人を丹念に描き、写実の中に抒情性を秘めた独特のタッチで名所を描いた広重のおかげで、風景画は浮世絵の本流に仲間入りするようになります。

浮世絵300年の歴史と名絵師たちの物語歌川広重「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」大判錦絵 1枚 天保4(1833)年ごろ 26.0×38.4㎝ 写真提供/Mary Evans(PPS通信社)

この風景画ブームに先鞭をつけたのは、広重より37歳年上だった北斎の「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」。何よりも絵を描くことが好きで、だれに頼ることなく気ままに絵と向き合っていた北斎が齢72にして描いた富士山の連作は、浮世絵のみならず日本の美術を代表する名作として知られています。しかし、北斎の絵に対する興味は尽きることがなく、風景画での成功以後は肉筆画に精力的に取り組むようになり、90歳で亡くなるまで絵師としての人生を全うしました。

浮世絵300年の歴史と名絵師たちの物語葛飾北斎「冨嶽三十六景 尾州不二見原」大判錦絵 1枚 天保2(1831)年ごろ 写真提供/Heritage Image(PPS通信社)

歌川派隆盛の爛熟期にはもうひとり、忘れてはならない絵師がいました。それが歌川国芳(くによし)です。広重と同い年だった国芳は10代の前半というほぼ同時期に、広重が断られた豊国に入門を許され、早くからその才能が認められていた天才肌。無頼派ともいうべきその性格から独自路線を模索し、魚や動物をユーモラスに描いた作品や、「水滸伝(すいこでん)」の豪傑たちを勇猛に描いた武者絵などで頭角を現します。グロテスクなまでに誇張された表現はまさに国芳の独壇場。やがて大人気を博します。国芳の弟子には河鍋暁斎(かわなべきょうさい)や月岡芳年(つきおかよしとし)など明治時代を代表する絵師がおり、浮世絵の伝統は時代を超えて受け継がれていきました。

スクリーンショット 2017-04-12 15.57.47歌川国芳「魚の心」大判錦絵 1枚 天保(1830〜1844)末期 ギャラリー紅屋蔵

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