歌川広重、風景画の名作には秘密があった!

歌川広重、風景画の名作には秘密があった!

広重は日本の原風景を浮世絵に忠実に描いた唯一の人でした

解説 大久保純一 名古屋大学文学部、東京国立博物館、跡見学園女子大学での勤務を経て、現在国立歴史民俗博物館研究部教授、博士(文学)。

江戸時代を代表する絵画・版画のひとつ、浮世絵。今日では浮世絵版画の最終発展形、多色摺り(たしょくずり)の「錦絵(にしきえ)」が一般的には浮世絵と認識されています。江戸末期をみると、錦絵の分野のなかでもはやりすたりの大きかったのが役者絵や美人画、短期間で爆発的に売れたのは政治風刺や時事的なネタを扱ったもの。対してロングセラーとして取り扱われたのが日本各地の風景を描いた「名所絵(めいしょえ)」でした。歌川広重(寛政9年〜安政5年1797〜1858)は、その名所絵において、質と量、いずれをみても日本の頂点に達した浮世絵師です。
DMA-U0066700L実質的なデビュー作 「東都名所」 「両国之宵月」 両国橋の橋桁を画面の中央に据えた「近像型構図」で、当時の人々を驚かせたであろう一枚。まだ名所絵を描き始めて間もないころ。

名所絵といえば、忘れてはならないのが葛飾北斎(宝暦10年〜嘉永2年 1760〜1849)の存在。北斎が70歳のころに発表した「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」は、それまでマイナーだと思われていた名所絵というジャンルに人々の目を集めるきっかけをつくりました。好調な売れ行きに、浮世絵の版元や絵師たちは「名所絵はいける!」と開眼したのです。名所絵の先陣を切ったのは北斎でしたが、あるときから広重が名所絵の分野で第一人者となれたのはなぜ?広重の研究を専門とする国立歴史民俗博物館教授、大久保純一先生にうかがいました。

「広重が風景画家としてようやく頭角を現したのが35歳のころ、「冨嶽三十六景」の発売が始まってから数年後になります。その2年後に「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」を発表しますが、この時点ですでに北斎を抜きつつあったと私は考えています。なぜなら広重の描いた景色のほうが北斎を上回るほどに真実味があり、絵のもっともらしさが人々に受けたから。広重の風景画に人気が移ったところで、北斎はもういいや、と思ってしまったのではないかな。そもそも、北斎は広重のように風景を本物らしく描くことにはさほど興味もなかったんでしょう。北斎が「冨嶽三十六景」を出せたのも、すでに大物画家としてのポジションがあったから。風景をデフォルメしすぎていて当時の人は実際の景色を想像できなかったでしょう」
DMA-U0082500L風景画家の出世作 「東海道五拾三次」 「大磯虎ケ雨」 梅雨時に降る「虎ケ雨」をまばらに配した線と抑えた色調で表現。本作で叙情豊かな名所画絵師としての実力を存分に示している。

広重が支持された理由は「リアリズム」にある、と大久保先生。その背景には江戸末期の人々の風景表現に対する成熟した「眼」があった、と言います。

「日本に遠近法(透視図法)が伝わったのが18世紀前半。北斎の『冨嶽三十六景』が出るまで100年の時間があり、その間に人々の眼も真実味のある風景画に慣れていた。さらには、旅先でいい景色に出合ったらその場で筆を出して描く習慣も始まっていましたからね。素人のスケッチにも遠近法が使われていたことが資料で残っていますが、そのくらい、人々は旅に出て名所に親しんでいたのです。中途半端な名所絵は受け入れられなかったと思いますよ」
DMA-U0066900L「東都名所」(喜鶴堂版)史上最高と評判 「吉原仲之町夜桜」 画歴の最高潮を迎えた天保時代の作。画面左右両方向へ奥行きを描いた二点透視法を駆使。人物衣装の色も巧みに変化させている。

浮世絵が登場するまではモノクロの名所図会(俯瞰図とともに名所を詳細に解説した本)でしか地理を把握することができませんでした。当時、名所図会が流行したのも、人々がそこに描かれた風景の挿絵を見たがったから、といいます。古から歌に詠まれる場所とはどんな景色なのか、モノクロの挿絵を見ながら想像を膨らませていたに違いありません。そこに登場したのが、フルカラーの名所絵です。今でいう絵葉書のように、当時の人は一枚、また一枚とさまざまな場所の風景を集めて、手元に置いて楽しんだのでしょう。特に「江戸名所」ものは地方から上京した人にとっては格好の土産物になりました。
DMA-U0104000L集大成の舞台は江戸 「名所江戸百景」 「浅草金龍山」 時代の要望で派手な赤を選ぶものの、白とのコントラストで美しく収める手法はさすが。後の浮世絵に大きな影響を与えた構図。

「広重が名所風景画の絵師として優れていたのは、透視図法的な空間の認識力です。生涯に国内のあらゆる名所絵を描きましたが、すべての場所に足を運んでいるわけではない。むしろ、江戸近郊以外はほとんど行っていません。風景を描く際には、名所図会やほかの絵師の描いた風景絵本を種本(たねほん)とするわけですが、その選び方がまず優れていました。その絵の景観を元に奥行き感のある風景を構築し、さらに遠景の山に青く霞かすみをかける空気遠近法や雨や霧、雪などを肉付けしてよりリアリティのある名所風景をつくり出した。自身の風景画に対して『写真(しょううつし)』という言葉を用いていますが、写生したように表現できるという広重の自負でしょう」
 
先に述べたように、名所絵は錦絵のなかでもゆっくりと売り上げを伸ばすジャンル。確実に人気のとれる広重がいればほかの絵師はあまりいらない、と版元も広重に名所絵の発注を続けました。浮世絵版画という性質上、版木がつぶれない限りは売り続けることができる。結果的に、広重は名所風景画のトップ絵師として君臨し続けたというわけです。
 
さて、今回紹介した「六十余州名所図会」は日本全国68の国々の名所を描いた揃い物(そろいもの)で、広重晩年の作品。揃い物では本作から風景を縦長の画面に描く「竪絵(たてえ)」が始まり、最晩年に発表された「名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)」につながります。風景を描くには扱いづらい「竪絵」が求められた背景には、ひとまとめにして本に綴じる鑑賞法が流行したからだとか。『名所江戸百景』の「亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」の梅や「深川万年橋」の亀などに見られる「極端に拡大した近景の事物の向こうに遠景で名所を見せる」大胆な手法は、本作ではさほどなく、平淡ともいえる風景画が続きます。

「芸術として評価すると単調な絵かもしれません。でも名所絵が絵葉書的な商品だったと考えると、このわかりやすさが受け入れられた。広重は版元にとっては非常にいい絵描きだったと思いますよ。「こう売りたい」という要求を理解して、それに応えた。実は『六十余州名所図会』は海外では日本の地理がわかるという意味でも、人気がある。時代を超えて、今私たちが同じ風景を眺めることができるのも広重のとらえた視点が確かだからなんですね」

※掲載の作品はすべて山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵

大久保純一(おおくぼじゅんいち)

1959年生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。主な著書に『千変万化に描く北斎の冨嶽三十六景』(小学館)『広重と浮世絵風景画』(東京大学出版会)、『浮世絵出版論』(吉川弘文館)がある。

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