最高傑作「アダンの海辺」を描いた田中一村ってどんな人?

最高傑作「アダンの海辺」を描いた田中一村ってどんな人?

幼少期より南画(中国の南宗画に由来する絵画)を描いたという早熟の天才、田中一村。奄美大島の自然を愛し、昭和期に活動していた日本画家です。東京、千葉と活動の場を移し奄美にたどり着いた一村。いったいどんな人生を歩んでいたのでしょうか。

田中一村(たなかいっそん)とは何者?

幼少期から絵画の才能を発揮

明治41(1908)年に栃木に生まれた一村。幼少期から南画を描き、その画才を発揮しました。数え年8歳のころに描いた「菊図」には、彫刻家であった父・田中稲村からもらった雅号「米邨(べいそん)」の落款が押されています。

田中一村「菊図」1915年 個人蔵 ©2018 Hiroshi Niiyama

東京美術学校では東山魁夷と同期

大正15(1926)年に東京美術学校へ入学。同期には、東山魁夷や橋本明治など、近代日本画を代表する画家たちがいました。しかし、たった2か月で学校を退学。その後は独学で画家人生を歩み、新しい絵画への挑戦を目ざしていったのです。

千葉で20年間写生を極める

30歳のころには、母方の親戚を頼って千葉に移住。それから約20年間、農村の風景、自然景色、動植物の写生に没頭します。昭和22(1947)年に「白い花」で画壇デビューを果たすとともに、米邨から一村へと改名。その翌年に発表した「秋晴」は、南画で獲得した自由な筆さばきと、写生で培った自然観察をもとに描かれた大作です。

田中一村「秋晴」1948年 田中一村記念美術館蔵 ©2018 Hiroshi Niiyama

奄美の自然を愛し、50代で移住

新天地・奄美大島へ移住したのは50歳のころでした。晩年の傑作「アダンの海辺」を描いたのも、この奄美時代。絵を描くための資金は、大島袖の染色工として働きながら蓄えました。働く、描く、を繰り返し、69歳で亡くなるまで、奄美の自然を描き続けたのです。

作品を常設展示!「田中一村記念美術館」

田中一村記念美術館は、田中一村のコレクションを常設展示している美術館。奄美空港から車で約5分、奄美の自然や歴史、文化を学べる「鹿児島県奄美パーク」の一角にあります。一村作品約80点が、地元の素材をふんだんに使ってつくられた、奄美の高倉をイメージした展示室に並んでいます(展示替えあり)。

◆田中一村記念美術館
住所 鹿児島県奄美市笠利町節田1834 鹿児島県奄美パーク内
開館時間 9:00〜16:00
※7月・8月は9:00〜17:00
※入館は閉館時間の30分前まで
TEL 0997-55-2635
公式サイト

代表作品「アダンの海辺」を期間限定で公開!(※会期終了しています)

一村が奄美時代に描き、生涯手放さなかった作品「不喰芋と蘇鉄」と「アダンの海辺」。今回の展覧会では、「アダンの海辺」を2018年7月14日から8月19日までの期間限定で特別公開します。モチーフは、奄美の熱帯植物であるアダン。その先に広がる砂の粒や海辺の波までもが、とても精緻に描かれています。

田中一村「アダンの海辺」1969年 個人蔵(千葉市美術館寄託)© Hiroshi Niiyama

開館20周年特別企画展 生誕110年 田中一村展(※会期終了しています)

生涯独身で画業のみを追求した一村。幼少期から晩年までの作品を順に見ていくことで、一村の画家人生をたどっていくことができます。名作「アダンの海辺」はもちろん、奄美に行くための資金準備として描いたとされる襖絵なども、見どころのひとつ。今回の展覧会には、田中一村記念美術館所蔵作品をはじめ、普段見ることのできない個人蔵の作品が数多く出品されます。この貴重な機会、佐川美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか?

会場 佐川美術館
会期 2018年7月14日〜9月17日
公式サイト

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