日本文化の入り口マガジン和樂web
9月22日(水)
元始、女性は太陽であった(平塚らいてう)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
9月22日(水)

元始、女性は太陽であった(平塚らいてう)

読み物
Art
2019.11.18

ムンクの「叫び」はなんであんな顔で叫んでいるの?その理由を解説!

この記事を書いた人

世に有名な美術品は数々あれど、この作品ほど、大人から子供まで知られている絵はないかもしれません。あの人物が見えていなくても、「叫び」と聞けば、はいそうです、ムンクです。どんなに一部分切り取ってみても、わかってしまうその圧倒的なクセの強さこそ、名画たるゆえん。しかし、この絵が多くの人に知られているのは、それだけが理由ではありません。オスロ市立ムンク美術館所蔵の「叫び」から、その本当の“凄さ”を探って行きましょう。

誰しもが知る名画!エドヴァルド・ムンク「叫び」

エドヴァルド・ムンク(1863-1944)といえば「アルコール依存症」「神経症」「死」「絶望」「孤独」といった、ネガティブなイメージでおなじみ(?)の画家。「叫び」は、そんなムンクを象徴する、人間が抱える不安を可視化した代表作です。

ムンクエドヴァルド・ムンク「叫び」 1910年? テンペラ・油彩画、厚紙 83.5×66㎝ オスロ市立ムンク美術館所蔵

「この絵は、ムンクの実体験から描かれたものです。夕暮れに道を歩いていて、フィヨルドの上に日没が赤く広がっていく光景を目にし、『自然をつらぬく叫びのようなものを感じた』、そしてこの絵を描いた、という言葉を残しています。幼いころに母親と姉を亡くし、自身も病気がちであったことから、死を身近なものとして感じていたムンクは、目に見える世界よりも、見ることのできない人間の内面や感情を描き出すことを、画家としての自分の仕事だと決意し、生涯にわたって制作を続けました」(東京都美術館 学芸員 小林明子さん)

ムンクは、自分の作品を「子供たち」と呼ぶほど愛していて、同じモチーフを繰り返し描きました。”叫び”も今作のほか複数点描かれており、最初に発表されたのは1893年、ムンクが30歳のときでした。

ムンク

「今回来日するテンペラ・油彩画の『叫び』は、1910年の作ではないかとされています。ムンクは1944年に80歳で亡くなるのですが、病や死の恐怖、孤独に悩まされながらも、晩年まで旺盛に制作を続けました。60年にわたる画業のなかで、特定の芸術運動に参加することもなく、コンスタントに、たくさんの作品を残している。そう考えると、精神力は強靭だったといえるかもしれません」(小林さん)確かに、その「描こう」という強さは、『叫び』からも感じとれます。

「『叫び』は普遍的な絵画です。表現は強烈ですが、時代を超えて共感できる。だからこそ、世界中で知られているのでしょう」(小林さん)
だれの心の中にも「叫び」はある。この絵はそれを教えてくれます。

▼和樂webおすすめ書籍 試し読みもできます
ムンク画集: (世界の名画シリーズ)