歴史が刻まれた 美術館
文/藤原えりみ
ルーヴル美術館、プラド美術館、ウィーン美術史美術館など、ヨーロッパの名だたる美術館は、かつての王侯貴族の蒐集品を中核に創設されたものが多い。300万点の収蔵品を誇るサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館もそのひとつ。その立役者は、ドイツの小貴族の出身ながら、ロシア帝国の皇太子ピョートル3世に嫁いだゾフィー・アウグスタ・フレデリーケ。
彼女はロシア語を猛勉強し、ルター派の新教からロシア正教に改宗、名前もロシア風にエカテリーナと改めた。だが夫との仲は疎遠。政策方針も異なっていたため、クーデタにより夫から帝位を剥奪し、エカテリーナ2世として即位。領土拡大とともにロシアの近代化を図り、フランスやスペイン、神聖ローマ帝国と並ぶ文化国家としてのロシア帝国を形成していく。
1764年に始まる彼女のヨーロッパ美術の蒐集は、文化的には後進国であったロシア帝国の威信を内外に示すための重要な手段だったのだ。莫大な資金を投入し、14000点の絵画と素描、38000点の書籍、10000点のカメオなどの宝飾品、16000点のコインを獲得したという。「大エルミタージュ展」に出品された、堂々たる存在感を示す戴冠式姿のエカテリーナの肖像画には、その豪放磊落(ごうほうらいらく)と言えるほどのスケールの大きさが充ち満ちている。ウィギリウス・エリクセン『戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像』1760年代 油彩・カンヴァス ©The State Hermitage Museum,StPetersburg, 2017-18
エカテリーナの後継者たちも美術品収集を継続していく。だが、ロシア革命によるロマノフ王朝の断絶、第二次世界大戦中のドイツ軍によるレニングラード抱囲戦、スターリン時代の過酷な弾圧と、エルミタージュにはロシアの歴史そのものが刻印されていくことになる。
そうした歴史に触れることのできるドキュメンタリー映画も公開された。なかでも約900日にわたるレニングラード抱囲戦の有り様は衝撃的だ。抱囲によって物資が途絶え、市民の三分の一が亡くなるという過酷な状況下、美術館の地下に避難した館長および職員たちは饑餓に苦しみながらも研究を続けたという。美術と政治の絡み合いが織り成す歴史絵巻。展覧会と映画を通じて、その一端に触れる絶好のチャンスである。Hermitage Revealed © Foxtrot Hermitage Ltd. All Rights Reserved.配給ファインフィルムズ
「大エルミタージュ美術館展」で観られます!※会期は終了しました
戴冠は33歳の時。夫であったピョートル3世がドイツ好みであったのに対して、ドイツ出身の彼女はロシア人以上にロシア人たろうとした。戴冠式の衣装をまとう自信に満ちた姿には、その血の滲むような努力が秘められているのだろうか。美術品収集だけでなく、フランスのディドロらの啓蒙思想家とも交流し、知的君主であろうとした強い意志の感じられる肖像画である。
映画『エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』で観られます!
ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中
現館長ミハイル・ピオトロスキーの父親は、第2次世界大戦からスターリン時代にかけての過酷な時代に館長を務めたボリス・ピオトロスキー。スターリン時代には「人民の敵」として他の職員とともに強制収容所に送られたこともあるという。それゆえ「美術館は政治とは無縁ではありえません」という現館長の言葉には、華麗な美術品の陰に畳みこまれた「歴史の重さ」がこめられている。
藤原えりみ(ふじはらえりみ)
東京藝術大学美術研究科修士課程修了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。