その美しい手に憧れる。
厚く張った胸と肩、くびれた腰にも。360度、どこから撮っても麗しい姿の持ち主は、黄金色に輝くマスクをもつお方。
1250年という時を超えて、多くの人に愛される観音さまに迫ります。
天平時代最高の仏像が東京に初降臨
パーフェクト・ボディの主はこちら。
東京国立博物館(トーハク)で開催中の特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ」の主役、国宝「十一面観音菩薩立像」(聖林寺蔵)だ。随筆家の白洲正子、写真家の土門拳といった仏像の目利きたちが押し並べて絶賛した仏像界のスーパースター。誕生から1250年あまり、はじめて奈良を出て東京へお出ましになるチャンスを逃すことはできない。
日本で古くから最も信仰されてきた観音菩薩。十一面観音菩薩は、33通りに変化するという観音菩薩が変身したお姿で、名前のとおり頭上に11の顔(化仏)をもつ。正面と頭上のお顔が全方位にくまなく目を配って人々をもらさず救ってくださる。なんともありがたい仏さまだ。
特別展では360度ぐるりと鑑賞ができるトーハクならではの展示がされているから、あらゆる角度から観察して撮影を試みる。まずは正面、本体のお顔。目は細く、吊り上がって神々しくもキビシイ。視線をあげて、頭上の顔を覗くと、穏やかな菩薩の顔だけでなく、怒ったり、牙が生えていたりとさまざまな表情が見える。
そして、後ろ姿。むっちりとして肉厚な肩や背中に対して、グッとくびれた腰。背の高さ(像の高さ)は209.1㎝、重さ約70㎏と聞けば、超人的スタイルにも納得か。
いや、しかし。
私の心を大きく揺さぶったのは……。おおらかに伸びた腕と、しなやかに曲がる指先のしぐさ! なんと、惚れ惚れとする美しさなんだろう。両腕からゆったりと垂れる天衣が艶やかさを強調。これほどまでに美しい手は、仏像随一といっていいんじゃない?
時代の理想を投影した完全無欠な観音さま
聖林寺の十一面観音菩薩立像は、奈良盆地東に位置する古代大和のシンボル、三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺(大御輪寺、旧大神寺)の秘仏本尊だった。1868(明治元)年の神仏分離令によって大御輪寺は廃されるも、観音像は聖林寺に移されて破壊をまぬがれた。このとき、何か間違いがあれば……私たちはこの美しい仏像を知ることさえなかったかもしれないのだ。
ここからは、特別展を担当した東京国立博物館 学芸企画部企画課長の丸山士郎さんに解説をいただこう。「聖林寺の十一面観音菩薩立像が制作されたのは天平時代とも呼ばれる奈良時代の760年代。東大寺の大仏(廬舎那仏座像)がつくられた華やかな時代で、このころは本当にいい仏像がつくられました。十一面観音菩薩は端正で厳しくも少し柔らかなお顔をしている。本尊として正面から拝むことを強く意識してつくられた非常に均整のとれたお姿です」。観音菩薩も東大寺造仏所の制作とされる。
「十一面観音菩薩立像は、木心乾漆造り(もくしんかんしつづくり)という技法でつくられています。これは、阿修羅像が有名な興福寺の八部衆立像などに用いられた脱活乾漆造り(だっかつかんしつづくり)に続く技法です。脱活乾漆造りでは粘土でだいたいの型をつくって、その上に漆と麻布を貼り重ねる。最後に中はくり抜くので空洞です」
対して木心乾漆造りでは木で大まかな型をつくった上に漆で麻布を貼りつけ、さらに漆と木の粉を混ぜてペースト状にした木屎漆(こくそうるし)を塗り重ねて塑形する。「頭、身体、腕と、木で単純な形をつくるだけで、眼や鼻も彫らず、衣の襞も施しません。顔の表情、肩や胸の肉付き、衣はすべて木屎漆で盛り上げていくのです」
エレガントな天衣と指先のヒミツ
「衣の波打つさま、ねっとりとした感じは木屎漆を盛り付けていく表現です。粘土を盛って麻布を重ねても、こうしたゆったりとした優雅な感じは表現できないんじゃないかな、と思います。非常に写実的な表現です。平安時代以降、木彫が仏像制作の主流になると表現はより形式的になっていく。同じく会場に展示されている国宝の地蔵菩薩立像や日光・月光菩薩立像と表現を見比べるとよいですよ」(丸山さん)
仏像彫刻には大きく分けて木彫のように彫り上げるものと、粘土などを付けて造型していく2つの技法がある。奈良時代までは材料を盛り上げ成形する技法が主流だ。木心乾漆造りでは盛り上げる漆の厚みを変えてふくらみを付けたり、鋭く仕上げたりすることで豊かな表現になる、という。
――天衣や指先も、漆を盛り付けるゆえの美しさなのでしょうか?
「天衣と指先のような細い部分では、鉄線を芯として用いています。それでやわらかく、繊細な表現が可能になっているのだと思います」
木心乾漆造りでの仏像制作が行われたのはわずか50年あまり。平安時代になると木彫の仏像が爆発的に広まった。手間がかかることと、漆が高価であったことが廃れた一因と考えられている。だから、木心乾漆造りの仏像はつくられた数が少ないうえに、残されたものも少ない。聖林寺「十一面観音菩薩立像」は、頭上の化仏の3つが亡失し、光背の大部分が失われているとはいえ、保存状態が極めて良く非常に希少なのだ。
見せたいところをより美しく
実は展示にも、国宝「十一面観音菩薩立像」をいっそう美しく見せる工夫があった。
「展示ケースはドイツのメーカーに特注したもので、低反射、かつ視認性が高いものです。四隅にフレームがなく、ガラスだけでできた大きなケースはチャレンジでした。また、会場の本館特別5室は照明をきちんと打てるようになっているので、像の見せ場を狙って光を当てています」と丸山さん。文化財用の照明は締まりがよく、観賞をするときのまぶしさもない。「スポットライトは形に合わせてといったら言い過ぎかもしれないけれど、余計なところに光が広がらないように使っています」
「仏像は自然と目が合うところから見るとよいと言われますが、ご自由にいろんな角度から像を見てもらえたら。自分が好きだと思える姿を探して鑑賞を楽しんでいただきたいですね」(丸山さん)
展覧会基本情報
展覧会名:特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」
会期:2021年6月22日(火)〜9月12日(日)
会場:東京国立博物館 本館特別5室(東京都台東区上野公園13-9)
※本展は事前予約制(日時指定券)です。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
巡回展:奈良国立博物館で2022年2月5日(土)~3月27日(日)に巡回展示されます。