日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。
各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。
今回は、仏に明かりを捧げるオニ「天燈鬼・龍燈鬼」と、空海が開いた霊場「金剛峯寺」です。
鎌倉彫刻の人気者「天燈鬼・龍燈鬼」
奈良・興福寺の国宝館に安置されている天燈鬼・龍燈鬼立像は、ともに像高が80㎝に満たない小像ですが、日本の仏像のみならず、東アジアの仏像のなかでもほとんど類例のない、ユニークな存在です。通常は四天王像の足もとで踏みつけられている邪鬼を、独立した一対の立像とし、仏前で燈籠を捧げ持つ役目を与えたのです。
この仏像の名は、「享保弐丁酉日次記」という江戸時代の興福寺の記録にはじめて登場します。西金堂にあった龍燈鬼の像内に建保3年(1215)、大法師・聖勝を願主として康弁が造ったと書いた紙が入っていたという記述です。この紙は現存しませんが、ここから龍燈鬼像の作者は、鎌倉時代前期の仏師・運慶の3男・康弁であることが判明します。天燈鬼の作者は不明ですが、康弁周辺の慶派の仏師の作と推定されます。
興福寺の西金堂は、奈良時代に光明皇后が母・橘三千代の菩提のために建立した堂で、霊鷲山(古代インドの山)で行なわれた釈迦説法の場面を再現した29軀の群像が安置されていました。そのなかの1軀が有名な阿修羅像です(本誌1号参照)。天燈鬼・龍燈鬼立像は、奈良時代創建の西金堂の群像には含まれておらず、治承4年(1180)、平氏による南都焼討ちで焼亡した西金堂を復興する際、新たに製作されたと考えられています。天燈鬼・龍燈鬼は経典には記載のない鬼で、図像としても類例がありません。どのような意図で製作されたかは、現在のところ不明です。
彩色は剝落していますが、肩で燈籠を担いで口を大きく開けた天燈鬼は朱色に塗られ、頭上に燈籠を載せて下唇をぎゅっと結んだ龍燈鬼は緑に塗られていました。口を開いた阿形と閉じた吽形で「阿吽」の一対とし、腰をひねって上半身を傾ける天燈鬼と、両足を踏ん張って立つ龍燈鬼の動と静が、対比的に見事に造形された木像です。
写実的な筋肉表現に、運慶一派ならではの生き生きとした躍動感と力強さがあふれています。いっぽう表情はユーモラスで人間味に満ち、微笑みを誘います。親しみ深く愛らしい、鎌倉彫刻の珠玉の名作です。
国宝プロフィール
天燈鬼立像・龍燈鬼立像
木造 彩色 玉眼 天燈鬼/建保3年(1215)頃 像高77.9cm 龍燈鬼/康弁作 建保3年(1215)像高77.3cm 興福寺 奈良
興福寺に伝来する燈籠を捧げ持つ2体一組の木彫像。鎌倉時代前期の作で、もとは興福寺西金堂に安置されていた。現在は興福寺の国宝館に安置。龍燈鬼は江戸時代の記録から、建保3年(1215)に仏師・運慶の3男である康弁が造立したと知れる。
空海スピリット「金剛峯寺」
和歌山県の北東部、紀ノ川の南に位置する高野山は、弘仁7年(816)に弘法大師空海が開いた真言密教の聖地。標高約800メートルの山上の盆地に、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺を中心に117の寺院が建ち並び、僧侶の養成機関である高野山大学も所在する、世界でもまれな山上の宗教都市です。
金剛峯寺の名は、空海が真言密教の秘経とされる「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」から命名したもので、古くは高野山全体の総称でした。現在の金剛峯寺は、桃山時代に豊臣秀吉が建立した青巌寺と、真言僧の木食応其が建立した興山寺を、明治2年(1869)に合併して金剛峯寺と称した歴史をもちます。
金剛峯寺の伽藍は空海の生前には完成せず、弟子の真然が建造を引き継ぎ、仁和3年(887)に完成しました。その後たび重なる落雷などで伽藍の大半を失う大きな火災を4度経験、そのつど朝廷貴族や武家の寄進を受けて再建されました。境内には、壇上伽藍と奥之院という2大聖地があります。寺の中心である壇上伽藍には、金堂や大塔など19の建造物があり、そのうち不動堂は国宝です。奥之院は、承和2年(835)に空海が生身のまま永遠の瞑想に入り、生きとし生けるものの救済を祈っているとされる場所。現在も奥之院に祀られる空海には、1日2回、欠かさず食事が捧げられています。
高野山は仏教美術の宝庫であり、金剛峯寺と子院に伝来する国宝21件を含む8万点近い文化財が、高野山霊宝館に収蔵・展示されています。そこには空海が唐から持ち帰った仏典・仏具など、真言密教の教義の根本をなす至宝や、能書家で知られる空海自筆の書が含まれます。ほかに高野山に信仰を寄せた各時代の権力者が奉納した多数の品々があり、真言密教以外の仏教美術も豊富に含まれている点でも注目されます。また、子院の金剛三昧院には鎌倉時代の優美な多宝塔が現存し、国宝の指定を受けています。
高野山は、開創以来1200年の間、宗教都市としての伝統と文化を守り続けており、平成16年(2004)に世界遺産に登録されました。
国宝プロフィール
金剛峯寺
平安時代初期の弘仁7年(816)、真言宗の開祖である空海が高野山(和歌山県)上に草創した、高野山真言宗の総本山。「金剛峯寺」は空海の命名で、古くは高野山全体の総称でもあった。空海が中国・唐から請来した仏典・仏画・法具をはじめ、朝廷貴族や大名らから寄進された宝物など膨大な文化財を有し、それらは高野山霊宝館に収蔵されている。