浮世絵はいまや世界的に親しまれるアートとなりましたが、現代の「版画」は日本でもまだあまり注目されているジャンルとは言えないのではないでしょうか。
そんな版画を自身で収集し、展覧会などを北欧デンマークで企画している女性がいます。イギリスの美術出版社やオークション業界での勤務経験を持つマリーヌ・ワグナーさんは、現在コペンハーゲンを拠点に、日本の浮世絵や現代の創作版画・新版画などの魅力について発信しています。
日本と西洋の文化交流を「版画」の観点から読み解く彼女の活動について、デンマーク・コペンハーゲンの「デザインミュージアム」でお話を伺いました。
創作版画は美しい
——どのような活動をしておられるのですか。
ワグナー 日本の版画のキュレーターとしてデンマークで展覧会を催したり、市民大学の講座で講義をしたり、日本のアーティストについての記事をメディアに寄稿したりもしています。
大学卒業後、ロンドンの美術出版社「ポール・ホルバートン・パブリッシング」で働きつつ、ヴィクトリア&アルバート博物館(※)の日本部門でボランティアアシスタントをしたり、デンマークのオークションハウスで勤務したりもしました。今はフリーランスの立場でアートディーラーとアートアドバイザーをしています。
——特に日本の版画を専門にしていると聞きました。
ワグナー はい。葛飾北斎や歌川広重といった江戸期の版画家だけでなく、そこから始まった20世紀の日本の創作版画運動に興味があります。
——すみません、日本人なのにそんな運動があったことも知りませんでした。
ワグナー いえいえ(笑)。 創作版画は、第二次世界大戦後にブームとなった日本の版画の芸術運動です。浮世絵は図案家、彫師、摺師、版元の4人の手によって制作されていましたが、多くの日本人作家は西洋の芸術運動に触発され、作家が単独で制作するという考え方を取り入れました。創作版画では、ほとんどの場合、絵師が最初から最後まで一人で版画を制作します。
これとは別に、1915年頃に渡辺省三郎のもとで始まった「新版画」というジャンルがあります。これは1915年頃、渡辺省三郎が絵師に依頼し、新しい、けれども同時にロマンチックな日本の姿を描いたものです。吉田博や川瀬巴水が代表的な作家ですね。新版画もまた、そのほとんどが版元からの依頼で制作されました。
版画を専門に学ぼうと思ったのは、浮世絵など名画と呼ばれる作品でも複製画を比較的手に入れやすいということもあるのですが、20世紀以降の日本の版画家の多くは、西洋の美術に多くの影響を受けていて、さらにその西洋のアートが日本の版画に影響を受けているという、二重構造が面白く感じたからです。
たとえば、靉嘔(※ あいおう)などの作品は非常に興味深いですね。靉嘔さんには実際に東京でお会いもしたのですが、戦後の時代に活躍した存命の版画作家たちにインタビューをし、将来の作家のために近くそれを本にまとめようと思っています。
父からもらった茶碗に金継ぎ
——そもそもどうして日本の文化に興味を?
ワグナー 私の両親は結構ヒッピーな人たちで、二人ともデンマーク人ですが若いころから仏教の禅に興味があったみたいです。父は中国に関する研究者でもあったので、私も2歳のときから両親に連れられて日本や韓国、中国を旅行していました。
いまでも覚えているのですが、8歳のときに父がくれた誕生日プレゼントは茶の湯で使う茶碗でしたね(笑)。うれしかったですよ。その後割れてしまいましたが、金継ぎをしていまでも持っています。そのようにしてアジアンテイストの物、特に日本の物は常に家の中にあふれていました。
その後、コペンハーゲン大学(※)で日本の美術史を学び、大学院に進んだ際、西洋の芸術の影響を受けた日本の版画についても詳しく学びました。それがすごく自分にもしっくりくるというか、異国の芸術という感じではなく、自分にとって自然な感じがしたんです。それでより深く学んでみようと思い、一方で自分でもコレクションを始めました。
一種のメディアでもある浮世絵
——版画の魅力はどこにあると思いますか。
ワグナー たとえば浮世絵は当時のポップカルチャーですよね。皆自分の贔屓にしている歌舞伎役者や好きな美人画を買って飾ったりしていたわけです。春画もそうですね。
同じ時代、西洋では王室などのコレクションが一般にも開放されることはほとんどありませんでした。誰もが気軽に楽しめるという点に、日本の美術に対する考え方の面白さがあると思います。
また、油画は当然すべて1点ものですが、浮世絵は「コピーされること」を前提にしていることも興味深いです。一種のメディアですよね。
——デンマークでは、日本の版画はどのように受け入れられているのでしょうか。
ワグナー そうですね、たとえば葛飾北斎はデンマークでも多くの人がひと目見れば「日本の版画だ」と認識できます。けれども、歌川国芳のおもしろさなどまで理解しているかと言えばそうではないでしょうね。
現代アートで言えば、草間彌生は多くの人が親しんでいますが、創作版画や新版画などはほとんど注目されていないのが現状です。
版画というとすごくオールドファッションなアートという感じがするのですが、私としてはそこにはまだまだ新しい表現の領域があると思いますし、その魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。それは日本の人も含めてですね。現代版画のことに詳しい日本の人って、あまりいませんよね?
——私も含めてあまり知らないと思います。
ワグナー なので、いつか日本のギャラリーで日本の現代版画の展覧会をやってみたいなと思っています。どんな反応があるか知りたい。
また、デンマークでも版画を広く知ってもらいたいと思う一方で、現代的な見せ方もしたいと思っていて、数年前には浮世絵Tシャツをデザインした「ユニクロ」のデンマーク法人とコラボレーションしたりもしました。先日も、コペンハーゲン市内の「無印良品」のショップで浮世絵展を開催しました。
そのような企画や展示をするたびに感じることは、デンマークの人は日本のアートに「日本らしさ」を求めているということです。北斎や広重のような、古典的な「日本」を常に探しています。
そのこと自体は好ましいことでもあると思うのですが、私としては、版画も当然ながら進化していること、表面的には「日本らしさ」がないように見えても、よく観察してみると非常に日本的な要素を持っていたり、そこがモダンな版画の魅力だったりすることを知ってほしいと思うのですが、やはりすぐには難しいでしょうね。
デンマークの学校では西洋以外の美術について学ぶ時間はほとんどありませんし、デンマークの大学で日本の美術史を専門している教員はおそらくいないので、仕方のないことでもあると思います。
不思議な名前のサイト「タイガータヌキ」
——「タイガータヌキ」というご自身のサイトでもいろいろなアートを発信していますね。サイトの名前がおもしろいです。
ワグナー 2014年に始めました。「タイガー」は私が寅年生まれだから、ということもあるのですが、西洋ではアジアの伝承と強さを象徴する動物だと思うんですね。反対に「タヌキ」はコミカルなイメージで語られますし、それが東洋的だと感じて、タイガーとタヌキをくっつけて名前にしました。西洋と東洋を融合させたところにあるおもしろさを発信したいなと思ったからです。
——今後はどのような活動を?
ワグナー やはり、日本の文化の浸透につながることができればと思います。たとえばここ「デザインミュージアム・デンマーク」は、スカンジナビアのデザインミュージアムの中でも世界有数の版画コレクションを持っており、日本に関する資料なども膨大な数を所蔵しています。
一方で、日本に関する知識を持ったキュレーターがいないため、うまくそれらの所蔵品を展示できていないんです。私はここで働いていたこともあるので、素晴らしいコレクションがあることを知っているのですが、それを広く知ってもらうことができていない。
デンマークは家具のデザインなどで有名ですが、1950年代から60年代の家具デザイナーの多くが日本の美学に影響を受けています。例えば、東京都美術館にはデンマークの有名なデザイナー、フィン・ユールに関するコレクションがありますが、その展示ではギリシャやイギリスの文化からの影響に触れるだけで、日本の美学からの影響については触れられていないのです。それは残念なことだと思います。
さまざまな部分で繋がりあう二つの国を、さらにいろいろな見せ方で結びつけていければと思っています。
(英語での発言を翻訳)
【Malene Wagner】キュレーター、アートディレクター、「Tiger Tanuki: Japanese Art & Aesthetics」創設者。日本美術史の修士号取得後、出版業界やオークション業界を経て、現在はさまざまな観点から日本美術に関する執筆やキュレーション、アートディレクションを行っている。専門は日本の版画と19世紀から20世紀にかけての日本と西洋の文化交流。