2018年9月3日まで、国立新美術館で「ルーヴル美術館展 肖像芸術-人は人をどう表現してきたか」が開催中です。美術ジャーナリストの藤原えりみさんにみどころを解説していただきました。
二度目の死を超えて
「人は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、みんなに忘れ去られた時だ。」その厳粛な響きから古代の哲学者の格言かと思いこんでいたのだが、改めて調べてみると出典元はどうも俳優・松田優作の言葉らしい。このところ写真や映像にとらえられた過去の人々の姿や生活風景、絵や彫刻として遺された肖像などを見る度に、このフレーズが脳裏を過るようになった。
歴史に名を刻むような権力者や著名人であれば、肖像画や肖像彫刻は像主の名前とともに次世代に受け継がれていく。だが、像主の情報が時と共に忘れ去られ、今となっては「青年貴族の肖像」とか「貴婦人の肖像」としか呼びようのない作例が多いのも事実だ。17世紀のオランダでは、あえて像主を特定しない「トローニー」と呼ばれる庶民的な人物画の人気が高まったというが、基本的に肖像とは、権力誇示やある一族の記録、社会的な承認など、なんらかの機能を持っていたはずなのだ。
パルミジャニーノ「アンテア(若い女性の肖像)」提供:アフロ
だが、そうした機能が失われてしまっても、とてつもない吸引力を発揮する作例もある。たとえば、イタリアのパルマ出身の画家パルミジャニーノの「アンテア(若い女性の肖像)」。暗い背景に浮かび上がるほぼ等身大の女性の立像を初めて目にしたとき、まるでタイムトンネルがスパッと断ち切られて、この絵が描かれた1520年という時間に直面したような衝撃を覚えた。こちらを見据える彼女の目力の強さもあるだろうが、彼女は確かに絵の中で「生きている」。通称アンテアと呼ばれるこの作品が描かれてから約40年後、同じように胸に手を当てた女性像がヴェネツィアで描かれた。観客の眼差しを避けるようにやや目線を落とした姿なのだが、その眼差しの煌めきからは、彼女が呼吸していた当時の空気さえ感じ取れそうなほどの実在感が滲み出す。「ああ、あなたは確かに生きていたのですね」と、呟きたくなるほどに。
ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアーリ) 「女性の肖像」、通称「美しきナーニ」1560年ごろ Photo © RMN-Grand Palais(musée du Louvre)/ Michel Urtado /distributed by AMF-DNPartcom
松田優作は亡くなってしまったが、スクリーンでは彼は今も「生きている」。第二の死を宙づりにするイメージの力。愛おしくもあり、また考えようによっては恐ろしくもあり……。
比べてわかる美術のヒミツ
パルミジャニーノは、盛期ルネサンス後のマニエリスムに属する画家で、長く引き伸ばした身体表現や冷たい官能性を湛えた独特の画風で知られる。ヴェロネーゼ作品ほど豪華ではないが、髪飾りや光沢のあるガウンには気品が漂う。左右は異なるが、中指に薬指を沿わせる手のポーズは2作品ともほぼ同じ。胸に手を当てるポーズは伴侶への忠実を表すものとも言われている。
ヴェネツィアの貴族ナーニ家の所蔵品と想定されたため「美しきナーニ」と呼ばれる作品で、イタリア・ルネサンスのヴェネツィア派を代表する画家ヴェロネーゼによる肖像画。豪華なドレスや金の装飾品に加えて、胸元を四角に開けたドレスは当時既婚婦人のみに許されたものであること、また真珠の首飾りや左手の指輪からも、貴族の妻の肖像であると考えられている。
ふじわらえりみ/東京藝術大学美術研究科修士課程終了(専攻/美学)。女子美術大学・國學院大學非常勤講師。