名刀三口
展示されている国宝の太刀と短刀は、いずれも武蔵武士の大河原氏が備前長船派の刀工、景光と景政に作刀を依頼したとされています。作刀された順番は《国宝短刀(1323年)→ 御物太刀(1325年)→ 国宝太刀(1329年) 》とされていて、いずれも備前刀の特徴ともいえる「乱れ映り」が立つ作風です。(備前刀についての参考記事:教えて末兼先生! 備前は日本刀界のトヨタってどういうこと?)
国宝『短刀 銘 備州長船住景光』(号 謙信景光)附 小サ刀拵
備前長船派の刀工、景光が元亨(げんこう)3年(1323年)に作刀した短刀です。最も特徴的なのは、平造の刀身に彫られた「秩父大菩薩」の文字。同様の文字が御物太刀にも彫られています。二口とも当時播磨国(現在の兵庫県)に住んでいた大河原氏が、故郷にある秩父神社(埼玉県秩父市)へ奉納するために作刀させたと考えられています。
謙信景光の号の通り、上杉謙信が愛用していたと伝わっていますが、なぜ秩父神社から上杉謙信の手元に渡ったのかは分かっていません。
実のところ秩父神社に奉納されたというのも、明確ではありません。刀身に文字が彫ってあること、兄弟刀である国宝太刀が廣峯神社に奉納されたこと、という状況証拠のもとに推測されているものです。
刃文は作刀した景光が創始したと言われる片落互の目(かたおちぐのめ)。刀身自体にはほとんど反りがなく、茎(なかご)に反りをつける振袖風です。刀身の裏には大威徳明王を表す梵字が彫られています。
国宝『太刀(景光・景政作)』
(※刃文を鑑賞しやすくするために、刃を上にした刀置きで展示されています)
嘉暦(かりゃく)4年(1329年)に大河原氏の依頼により景光と景政が作刀した太刀です。
廣峯神社(兵庫県姫路市)に奉納することが目的であったことが、茎に刻まれた「廣峯山御劔」から始まる銘により分かります。この銘文により、国宝短刀と御物太刀が秩父神社への奉納が目的で作刀されたのではないかと推測されています。
刃文は直刃(すぐは)、互の目ごころに小乱れが混じっています。備前刀の特徴といえる、地鉄の乱れ映りがある美しい刀身です。
御物『太刀 銘 景光・景政』写
国宝短刀と国宝太刀の兄弟刀で、御物になっている太刀の写しが展示されています。元の太刀は正中(しょうちゅう)2年(1325年)に大河原氏の依頼により景光と景政が作刀したものです。
国宝短刀と同様に刀身表に「秩父大菩薩」の文字があり、裏には毘沙門天を表す梵字が彫られています。
こちらは写真撮影禁止のため、実際に足を運んで地鉄の乱れ映りの美しさを確認してみてください。