子どもの「ぬり絵」好きは万国共通ですよね。 ぐるり見渡すと、「三つ子の魂百まで」を実践している方がいらっしゃいます。
夢中になった記憶が蘇ってきましたか? でも本当は絵を描くことってムズカシイって思ってませんでした? 特に形を描くことが、一生懸命やってもなかなか上手く描くことがむずかしい、思うように描けない事が多いですよね。
でも「形」はもう出来ていて、そこに自由に楽しんで色を塗るよろこび、記憶の彼方にありませんか?「色」の持つ魅力でしょうか? ちょっと気になります。
そこで「色」に関する、色々なことを探る「旅」にでることに致しました。まずは、現代ではなく、古いところから探ってみようかと思います。
そして、「社寺仏閣」を中心とした「板絵修復」の専門家の門を叩くことに致しました。葛飾北斎の「鳳凰図」などの保存修復を手がけた、山内章さんです。山内さんが代表理事を務める「天野山文化遺産研究所」を覗かせていただく事になりました。
北斎の色彩のひみつを追う
北斎が描いた風景画には独特な青の色彩、通称「北斎ブルー」が多く使われています。これが、ベルリンで発見されたことから「ベロ藍」と呼ばれ、「プルシアンブルー」の事だと明らかになったのは、今や世界の常識になっているとは知っていました。ですが、未だに明かされていない事だってきっとあるはずです。
熟成度高まった北斎翁(雅号・画狂老人卍の頃)が、他にどんな「絵具類」を使用していたか知りたいところです。 卍翁の使った色が何だったのか、そして、どんな「顔料」をどの様に使っていたのでしょう。
彩色の材料研究も行なっている山内さんにうかがえば、卍翁の色彩の秘密に、近づけるかもしれません。ですが快く教えていただけるでしょうか? 簡単ではないでしょう。無理は承知の上です。
ところが、驚いたことに、なんと! 卍翁自身がそれらの秘密を惜しげも無く、本に書いて残してあったのです。
『繪本彩色通(えほんさいしきつう)』という、初編・二編の二冊本でございます。
内容は、花・鳥・獣・魚・文様などを墨で描いて、その周りに、どの色で、どのように彩色すれば良いのかが書いてあります。
拝見して驚きました。まさに「ぬり絵」ではありませんか。思わぬ収穫でございました。 「ぬり絵」の事から、「色」を調べようとしましたら、ぐるりと廻って、「ぬり絵の嚆矢※」そのものに出逢ったようです。
これは、卍翁が、自分の知識、技術を伝える為の絵手本の一種の様です。 卍翁には、有名な『北斎漫画』『一筆画譜』『北斎画苑』等々の「形」についての本がたくさんあるのは知っていましたが、「色」について書いた本があるのは知りませんでした。
これらの本が書かれた理由は、卍翁が書き溜めた「手本帖」を火事によって全て失ってしまったという苦い経験から、それらを後生に遺す為であったようです。
北斎先生の弟子になる
そんな卍翁の想いを、現代に伝えたいという思いから、修復家の山内さんは、市販の色鉛筆の中から、それにふさわしい色使いが出来る様に、似合いの色を選び出す研究をされています。 それについて山内さんは「これは普通の塗り絵ではない」と、おっしゃいます。
「これは色鉛筆で描く『北斎絵入門書』と考えています。北斎先生が各種図柄に添え書きした『彩色の仕方』を読み解きながら、それをお手本に色鉛筆で彩色するのです。図柄は、私が本の中から40点ほど選び、弟子になった心持ちで色を施します。同じお手本でも、塗り手各人の作品に仕上がります。本には、筆使い、色の塗り重ね、絵を描くコツを北斎先生が話し、それを書き写したような指示書きもあります。ずいぶん難解でしたが、それも現代の言葉に訳しました」。
これは、単なる楽しい、遊びの次元を遥かに超えて、卍翁が指示なさった、色を塗るところから得られる経験は、まったく別の経験になるはずです。
さらに、本格的に卍翁に肉迫する為に、色鉛筆ではなく、筆を使って描くことができるように、卍翁が『繪本彩色通』に記述された「顔料」や「展色材※」を使った絵具の再現の研究も進めていらっしゃるとの事です。
『繪本彩色通』のはじめの方には、絵具の名称が書き連ねてありますが、彼はそれを使い易いように、顔彩※で再現する研究も進めています。
山内さんの研究が「形」となり、北斎翁の使ったものと同じ顔彩が市販される日も近いのではないでしょうか? 先ずは近づきやすい色鉛筆を使った「ぬり絵」から始まる一歩は、北斎翁に導かれて、どこか遠くまで進んでいける初めの一歩になるかもしれません。