焼き物の町「五条坂」に佇む寬次郎の旧宅
「河井寬次郎記念館」は、京都駅から清水寺方面のバスに揺られること10分ちょっと、京都観光で人気の京都国立博物館や清水寺から近い「五条坂」にあります。
五条坂は清水焼発祥の地で、古くから焼き物の窯元が集まり、数多くの名工を輩出してきた「焼き物の聖地」。現在も、窯元や陶器を扱うお店が多く、毎年8月には、約400もの陶器店が集結する陶器まつりも開催されています。
そんな五条坂の歴史を感じさせる町家が並ぶ路地に、ひっそりと佇む趣のある古民家が「河井寬次郎記念館」です。
細部まで寬次郎好み! いざ、お宅拝見。
がらがらっ。記念館の引き戸を引くと、中にはひんやりとした土間が現れました。玄関から裏口へ抜ける細長い土間は、京町家によく見られる「通り庭」と呼ばれるもの。
昭和12年に建築された河井寬次郎の旧宅は、寬次郎が自ら設計を手がけ、大工をしていた寬次郎の兄をはじめ、故郷島根の職人たちを京に呼び寄せ、約半年の歳月をかけて造られたものです。
石畳の土間を通って受付を済ませると、中庭に面した、明るく広々とした板の間が広がっていました。
こちらは、寬次郎が客人の対応をしたサロンのようなスペース。「当時、河井邸はとてもお客さんの多いお家でした。」そう話してくださったのは、当館の学芸員をされている鷺珠江(さぎたまえ)さんです。河井寬次郎のお孫さんで、幼い頃は寬次郎とともに実際にこの家で暮らしていました。
来訪者の中には、「民藝運動」の仲間だった柳宗悦、濱田庄司、棟方志功、 芹沢銈介、バーナード・リーチや当時活躍していた芸術家や文化人の姿もあり、寬次郎と妻・つねは毎日のように客人をもてなしていたそうです。
1階の囲炉裏の奥には、今でいうリビングダイニングにあたるスペースがあります。奥の部屋のテーブルで、家族、時には客人たちも一緒に食卓を囲み、食後は手前の部屋でくろいでいたそう。
2階に上がると、目に飛び込んでくるのが、こちらの障子に囲まれた大きな吹き抜け。
吹き抜け部分の天井には滑車が付いていますが、これは建築時に資材の搬入用に使われていたものをそのまま残したもの。この吹き抜けのおかげで2階部分はとても風通しがよく、取材日はじっとりと汗ばむ蒸し暑い日でしたが、気持ちの良い風が吹き抜けていました。見学者の方からも「あぁ、いい風だね」との声が聞こえてきました。
2階には、寬次郎が書斎として使っていたスペースと、寬次郎や客人が寝室として使用していた部屋があり、ユニークな造形の木彫や木彫を元にしたブロンズ像などが展示されていました。
生活と創作の空間を繋ぐ中庭
河井邸の中心には、プライベートな空間と創作の場を繋ぐ中庭があります。
「寬次郎はよくこの中庭で作業をしていて、いつもたくさんの作品が並べられていました。その上では洗濯物がたなびいていました。」(鷺)
「鰻の寝床」と形容される、間口が狭く細長い土地に建てられた町家では、中庭は住まい全体の風通しをよくし、すべての部屋に光が入るようにする大切な存在。また、中庭に草木を植えれば、プライバシーを確保しながら自然を感じられ、開放感を得ることができます。
河井邸でも、中庭は邸内全体に心地のよい光と風、そしてゆったりとした空気感をもたらしていました。
中庭には、2畳の小さなはなれが設けられています。中に入ると、窓からは中庭の草木が眺められ、茶室の小間を思わせる落ち着いた空間。寬次郎が仕事の合間に休憩をしたり、思索に耽ったりした場所だそう。