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2023.09.11

なくてはならないものが貴重品に。美濃手漉き和紙職人の、まばゆい和紙を訪ねて

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身近にある和紙はふすま紙に障子紙でしょうか。庭から差し込む朝日を障子が吸収し柔らかい光が目に届きます。イサム・ノグチはそこからヒントを得て照明の名品を作り出しましたが、商品化され今は若い人たちにも人気があります。子どもなら習字、美大生の日本画の素材、オリンピックの賞状にも和紙が使われています。

和紙は無くなったら困る紙なのです。しかし、和紙の作り手は年々減っています。岐阜県美濃市で和紙作りをする寺田幸代さんを訪ねました。

子どもの頃、年末の大掃除で、障子紙張り替えを手伝ったのが思い出されます。真新しい和紙を貼った障子戸が白くて美しくて、清々しい気分になりました。

身近な和紙が貴重品に

さて、和紙の独特の厚みと手触りはクラフト製品として国内外で今でも人気があります。しかし、昔は、お札、版画、和本などに多様に使われてきました。洋紙が輸入される前は和紙しかなかったので、当たり前の話です。
また、和紙は日本だけで使われてきたのではありません。西洋の本は高級が故に、新たに個人でルリユール(綴じ直す)する文化がありました。限定10冊ぐらいを、最高級の本としてジャパニーズペーパーを用いて活字や図版が印刷されることもあったようです。今や、出版社に勤めていても、美しいルリユール本を知らない編集者も多いことでしょう。特装本を何冊もコレクションする私としては、魅力を広く知ってもらいたいと思います。本は博物館ではなく、手元に置いて楽しむものですし、これは木版画にも言えることです。

私はNYに住まうアーティストから、和紙を使った作品を見せてもらった時に、和紙の作り手が減少傾向にあると教えられました。同じくNYに住む日本画家からは、膠(にかわ・動物の骨などから抽出した物質)の作り手がいなくなってしまうとも聞きました。和紙や膠は文化財の修復になくてはならない大切な素材です。文化庁の文化財の修復を巡っては、使用する原材料や道具の生産量が減り、入手困難になっているものが多いと、一部報道があったばかりです。文化庁は昨年度、「文化財の 匠プロジェクト」として、原材料や道具、和紙の原料となるコウゾを25種類の中にリストアップし、将来的に安定した供給ができるよう支援していくと発表しました。

和紙職人・寺田さんとの出会い

さて、この手漉き和紙の職人はだんだん減っている現状です。岐阜県の美濃市で和紙作りをする寺田幸代さんを知ったのは、偶然の出会いからです。彼女のお父様とたまたま横浜の料亭カウンターで隣り合わせになり、彼女の話を聞いて、電話を繋いでもらいました。そして、熱弁を振るう寺田さんに逢いたくなりました。若手ながら、その仕事はプロからも認められ、多くのアーティストが作品の素材として採用されています。照明作家は和紙を通した優しい光を求め、寺田さんが作る和紙に辿り着くのだとか。

美濃市の古民家ホテルNIPPONIA 美濃商家町の障子

実際に触った和紙の手触り

 
彼女のInstagramから様々な和紙作りや、美濃の水辺の紹介、和紙の模様作りの審美眼に、いつも目を見張っていました。この度、コロナ禍もやっと落ち着き、やっと美濃へ伺う事が出来ました。Instagramでたくさんの作品を観てきましたが、実際、紙に触らなくては、鑑賞した事になりませんからね。

赤い橋を渡ると、古民家をリフォームしたテラダ和紙工房に着きます。入り口すぐには、家紋をあしらった障子の見本がいくつか飾ってありました。机が並べられているのは、和紙を藍で染めたり、キツネのお面を作るワークショップを開いたりするからだそうです。近々、墨のワークショップも奈良から墨職人を招いて開かれるそうですが、その積極性に頭が下がります。工房の2階に上がると、和紙がたくさんストックされていました。寺田さんが和紙の束をどんどん出してくれます。なんと良い手触り、絹の様に薄い和紙から、名刺を刷る和紙まで、めくるめく眩い和紙の束。美しい模様があったり、異素材を混ぜ込んだり、まさに白い束が心の花束みたいです。ひと巻、ふた巻と魅せられてしまいました。

お気に入りのマイうちわを、夏の間はずっと愛用。細長くてスリムな形なので、バッグに入れて外出先でもあおいでいます。薄いオレンジ色の和紙が貼られていて、和紙と竹が運んでくれる柔らかい風がお気に入り。

和紙職人としての歩み

寺田さんは横浜生まれで、高校を卒業して横浜で職を得ましたが、30歳を目前にして何か手に職を、出来れば日本の伝統工芸を職にしたいと思ったそうです。そして子どもの頃から紙を集めるくらい紙が好きだったので和紙職人になろうと決意します。

昔は日本全国和紙が生産されていましたが、今は産地が限られています。福井の越前和紙、岐阜の美濃和紙、高知の土佐和紙が有名ですが、産地減少を危惧するアーティストもいます。寺田さんは三重、徳島、鳥取、岐阜と和紙産地を旅して回り、美濃和紙は家内制手工業で家族で和紙を作ることを知ったそうです。

ただ重労働であり、採用されるのが難しい現実に直面しました。美濃の紙漉きの求人はハローワークにはありません。寺田さんは岐阜県の美濃和紙の里会館で観光客なども参加できる一週間の体験コースなどに潜り込み、「弟子にしてくれる人はいませんか?」と、関係者に声が届くよう、積極的に行動しました。その努力が実り、半年後に師匠になってくれる職人を見つけられました。


 
「弟子入り直後は紙を干す板の重さは一枚15キロだったので毎日筋肉痛でした。紙漉きだけは、昔から女の仕事ですが、材料の楮(こうぞ)を煮たりするのは重労働なので男の仕事だったから大変ですよ!」と、にこやかに話をされます。寺田さんは持ち前の粘り強さで、師匠の仕事を見事にサポートできるようになりました。寺田さん無しでは、年老いた師匠の紙作りは成り立たなくなってしまうほどで、師匠や周囲の信頼を獲得したのです。

スーパーで5キロのお米をカートに入れるだけで、フーフー言ってます。15キロの重さって、想像するだけでスゴい。。。

和紙のクオリティを保つことが大切

そして、4年の修行期間を経て、住む家と工房を入手し、テラダ和紙工房を2017年にオープンしました。「いやぁ、家買っちゃいましたよ! 川の目の前の家は、なかなかのんびりしてていいでしょ? 落ち着ける場所がみつかって最高ですよ! 令和5年の目標は遊びも仕事も全力でやる!」と嬉しそうに話されました。どんな事が大変ですか? と質問すると、「和紙のクオリティーを同じにするのがなかなか大変で、天気にも左右されますからね。プロの仕事はやはり、同じクオリティーの商品を出せる事だと思うんです。15キロの板を30回持ち上げて、紙を干す作業は、流石に体に辛かったですが、今はへっちゃらです!」と、スリムな体から元気がみなぎっています。

過酷な作業の手漉き和紙。全国的に紙漉き職人の高齢化は進み、後継問題が発生し、ほとんどの家が廃業に追い込まれています。美濃では家族単位で紙を作り、紙問屋に卸すまでが仕事なのです。「紙漉きの道具を作る人が減っているのが、今は問題」と彼女は言います。確かに、文化庁は和紙漉きの道具と材料のコウゾがレッドゾーンにあると危惧し、保護を行うと宣言しました。彼女をはじめとする伝統工芸の担い手が、文化財修復の鍵を握っている事がわかりました。

国宝を守る大切な人材なのです。文化庁の指定する和紙になる事を心から願います。テラダ和紙がんばれ! わたしたちも、建材などで和紙を使い、買い支えなければならないですね。

和紙の製品を使ったり、アート作品を購入したりという応援もありますよね!!

さて、寺田さんは、SNSで情報を発信しています。和紙世界をご堪能ください。楽しく賑やかに紙漉きする姿がとても愛らしいです。

公式インスタグラム・寺田和紙工房:https://www.instagram.com/terada_washi/