NHK連続テレビ小説、「スカーレット」がこの秋に始まり、信楽焼に興味を持っている方も多いのではないでしょうか。
信楽焼と聞くと、どっしりと重くて渋い焼き物であるとか、あるいはひょうきんな狸の置物のイメージが強いですよね。
でも近年は、陶芸家の個性を生かした多様な信楽焼があるんです。
今回は、女性陶芸家として信楽で活躍している栗田千弦(くりたちづる)さんを訪ね、ご自身の考える信楽焼について教えていただきました。
いざ信楽焼の工房へ!
11月の晴れた日、私は滋賀県甲賀市信楽にあるお店兼工房「CLAY STUDIOくり」にお邪魔しました。
京都駅からJR琵琶湖線、草津線と乗り継いで、信楽高原鐵道に乗車し、紅葉に染まる木々を車窓から楽しんでいると、あっという間に信楽駅に到着。
駅にも、町の中にもたくさんの狸、そして「スカーレット(=緋色)」ののれんが出迎えてくれました。
少し歩くと、古民家をお洒落に改装したカフェやお店が目に入り、なんとなく古くて渋い街並みを想像していた私の目に新鮮に映ります。
駅から10分ほど歩いたところで、通りの奥にかわいい栗の看板が見えてきました!
こちらの「CLAY STUDIOくり」で、店主で陶芸家の栗田千弦さんが信楽焼の器を中心とした作品を製作し、販売を行っています。
父の想いを継ぐ女性陶芸家
陶芸家になったきっかけ
――こちらのお店兼工房は、いつ頃どのようにして始められたのでしょうか。
「この店は、陶芸家の父が20年前に始めたものでした。私は2007年に古美術の会社を退職してから、しばらく他の仕事を見つけるまでのつなぎとして、軽い気持ちで父の仕事を手伝っていたんです。」
その後、お父様のすすめで信楽窯業技術試験場の素地釉薬科で一年間の研修を終えたのが2011年のこと。
研修期間の終盤からお父様の体調が悪化し、同じ年の11月に他界したため、二代目店主となった栗田さん。
「父の病気がなければこんなに早く陶芸家になることはなかった。」と言います。
また、栗田さんが以前勤めていた会社の先輩にあたる方が、生前のお父様の個展を見に行った際、お父様が「娘が店を継いでくれることを望んでいる」と話していたそうです。
後でそれを聞いた栗田さん。「父は、私には『べつに手伝いもいらんし、(この世界に)入ってくるな』くらいに言っていたのに、本当は継いで欲しかったのだと知って継ぐ決意をしました。」
「この先輩は、独立して貸ギャラリーを兼ねた古美術店を経営しています。初めての個展を『お祝いだから』と格安で貸してくれ、その後も2回の個展を開かせいただきました。」
こんな風に応援してくれる人がいるからこそ頑張れた、と栗田さん。
この日も、お話しているとご近所の方が「いま焼けたから~!」とお芋を持って来てくれ、周囲に愛される栗田さんのふだんの様子を垣間見ることができました。
会社員時代の経験を作品づくりに活かす
実は、栗田さんとは、私が以前働いていた会社で知り合いました。
日本画や骨董などを扱い、美術館やギャラリー経営をおこなう大手古美術商。その京都本社が栗田さんと私の職場でした。
栗田さんは私の二年先輩で、細身のパンツスーツをびしっと着こなし、当時は部署の取りまとめと社長秘書を兼任する、社内で評判の「仕事のできる人」。
ばりばりと仕事をこなす一方で、そのチャーミングで明るいキャラクターで誰からも慕われる人柄が印象的でした。
――会社員時代が、現在のお仕事に影響していることもあったのでしょうか?
「会社で、毎日たくさんの素晴らしい作品を目にすることができたことは貴重な経験だったと思います。」
たとえば、会社が名古屋で行った美術品の展示イベントで、「これ、いいな!」と、なにげなく手に取った器があったそうです。
「それが唐九郎(=加藤唐九郎。愛知県の現瀬戸市出身の陶芸家の作品)ということは後で知りましたが、そういう経験をたくさんさせてもらったことで、自分の好み、作りたいものの方向性が決まったような気がしています。」
そういった経験の中で自分の感性が磨かれ、作り手としての自信にも繋がっている、と栗田さんは話します。
自分のお店
現在の場所に移転したのは2013年のこと。「父が亡くなってしばらくは、父が建てた店兼工房をそのまま使っていましたが、古民家を借りて、水道や電気を引いて、と何もかも一人でスタートさせたことで、はじめて『自分の店になった』と感じました。」と栗田さん。
――ご苦労が多かったと思います。特に大変だったことはどんなことでしょう。
亡くなる前に店を継いだけれど、父はその頃はもうあまり体が動かず、引き継ぎらしい引き継ぎができなくて。お世話になるお客さんや業者さんのことがわからなくて、最初はちょっと苦労しました。
あとは、体力面ではやはり大変なことも。ろくろを回す時はじっと同じ姿勢なので腰が痛かったり、「菊練り」といって、空気が抜けるように練っていく時は力がいるので・・この頃ずっと左手が痛いです(笑)
粘土は20㎏が一塊。でも菊練りをこの一塊でするのは男性でも大変なので、ここから7㎏くらいずつ取って練るよう試験場でも指導されるのだそう。
道具が重かったり、立ち仕事が多かったりと、やはり力仕事を一人でこなすのは大変です。
「でも、嬉しいことのほうがずっと多いんですよ。」
小さい作品なら乾燥の時間もかからないので、土の状態から3日間くらいで完成します。『たった数日前まで土だったものが、焼き物(=硬くて丈夫なもの)に化ける』ことに毎回、感動するのだそう。
心を込めて作った作品が思う通りに完成した時、そして何よりも「お客さんに作品を喜んでもらえた時が一番嬉しい」と語ります。
作品ができるまで
――信楽焼の制作過程について教えていただけますか?
「まずは粘土を捏ねるところから。練りやすい状態になるよう土の空気を抜いて、それから全体が均一になるように練っていきます。さっきの話にも出た菊練りですね」
栗田さんのところで行われている手順は下記のとおりですが、こんなに工程があるとは知りませんでした!
成型→乾燥→素焼き→釉掛け→窯詰め→焼成(=本焼き)→窯出し→仕上げ
素地釉薬科で勉強された栗田さん。「作品に使う釉薬は、長石(チョウセキ)やカオリン(=粘土の種類)金属酸化物などの粉を調合して作るのですが、それぞれの分量を微調整して色の発色を決めていくんです。」
元の調合に手を加え、テストを繰り返して作った、栗田さんオリジナルの調合といえる釉薬を使った作品も。
また、作品を焼くための窯はお店から車で40分ほど離れた日野町のご自宅にあり、窯焚きの日はお店を閉めてそちらで作業をします。
「父が遺してくれた窯は、個人の窯としてはとても大きくて、一度にたくさんの作品が焼けます。そのぶん失敗するとすごくがっかりするけれど、上手くいったときの喜びは大きいんです。」
父の跡を継いで作り続けるということ
――作品を通じて伝えたかった想いはありますか?
「はじめは、父の作っていたものを忠実に引き継ぐことを考えていました。自分の想いを伝えるというよりは、父を支えてくれていたお客さんの期待に応えなくては、という気持ちが強かったんだと思います。」
そう話す栗田さんが作る作品には、お父様のデザインを引き継いだものがたくさんあります。
たとえばお店のトレードマークにもなっている、栗が笑っているかわいらしいデザインは、意外にもお父様が考案されたもの。
父の面影を大切にしながら、自分らしい表現へ
お客さまから「購入した作品をこんな風に使っています!」というメッセージや写真を送ってもらうことも多い栗田さん。
そういったお客さまとのコミュニケーションの中で、もっとこうしたら使いやすいのではないか、お客さまに喜んでもらえるものができるのではないかと、栗田さん自身がデザインを考案することも増えていったそうです。
「今でも父の作品の延長上に自分の作品はあるけれど、しだいに『自分で表現することの楽しさ』に夢中になっていきました。」
クラフトと伝統
――いま、栗田さんの作品作りの根底にはどのような意識があると思いますか。
「私たち陶芸家は『クラフトと伝統』という言い方をしていますが」と栗田さん。
「伝統」とは、釉薬のかかっていない、薪の窯で焼いた、信楽らしい荒々しい焼き物。それに対して「クラフト」は、近代的な、釉薬ものや、古くからの技法に縛られない焼き物、というのが栗田さんの認識です。
「伝統的な信楽焼のイメージを守る、という使命感を私自身はそれほど意識していないんです。ただ、父は窯元に30年勤めており、信楽らしい器を作っていました。その父の跡を継いでやっていくのだから、必然的に信楽の伝統的な焼き物の流れは汲んでいるのでしょうね。」
一方で、ふだん使いする器なら、持った時に手にやさしい、ざらざらしないものを追及することは大切なこと。
お客さまの立場に立って、日常的に使うものを、たとえば洗いやすくて食べ物のにおいが移りにくいなど、いかに使いやすくするか。
栗田さんの作る器は「用途あっての器」なのだと話してくれました。
信楽焼の魅力とは
信楽焼の特徴とその歴史
信楽焼は、良質の陶土が得られる滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる焼き物で、瀬戸焼や備前焼などとともに、「日本六古窯(にほんろっこよう)」のひとつとして知られています。
信楽の土は、耐火性があって腰が強いといわれ、甕のような大きな物にも向いていながら、小さな物も細工がしやすい粘性を持っています。
狸の置物が有名ですが、これが作られるようになったのは実は明治時代のこと。
昭和天皇が信楽町行幸の際に、たくさんの信楽焼の狸に日の丸の小旗を持たせて沿道に設置したところ、その情景を見た天皇が歌を詠んだという逸話が新聞で報道され、全国に知られるようになりました。
たぬきが「他を抜く」に通じることから、商売繁盛の縁起物として店の軒先に置かれるようになったのだとか。
粗さが持つ面白み
――信楽焼と聞くと、狸とか、ずっしり重くて渋い焼き物、といったイメージが強いと思うのですが、栗田さんの考える信楽焼の魅力はどういうところでしょうか?
「土っぽくて温かみを感じるところ、これは信楽焼の大きな魅力でもあると思います。粗さが持つ面白みというか。」
昔は信楽の山でとれた土で作った焼き物だけを信楽焼と呼んでいましたが、今は他地域の原料も交じり、従来の方法にとらわれず、新しい技法も取り入れられていることもあります。
「多様な信楽焼が増えているものの、根底にあるのはやはりどこか温かみを感じさせることだと私は思います。」と栗田さん。
土のもつ温かみを感じさせながら、柔軟に新しいことも取り入れる面があることも栗田さんにとっての信楽焼の魅力なんですね。
「しのぎ」って?
「たとえば、昔からある「しのぎ」と呼ばれる技法がこれ。かんなで削って模様をつける方法です」と、ある器を手に取って見せてくれました。
栗田さんの作品に多く使われ、信楽焼の雰囲気にもとても合う模様ですが、これも昔からある技法なのだそう。
「元からある技法を、工夫しながら取り入れる面白さを日々感じているところです。」
作品はどこで見られる?
栗田さんの作品は、こちらのお店やオンラインショップのほか、東京日本橋の「ここ滋賀」にも定期的に納品しています。
個展も年に数回行っており、現在も三重県桑名市で『栗田千弦陶展「秋から冬へ』を開催(2019年12月25日まで)。
妹さんがイラストのお仕事をしており、二人の作品をコラボした姉妹展をされることもあるそうです。姉妹で個展を開くなんて素敵ですね。
「CLAY STUDIOくり」基本情報
店舗名:「CLAY STUDIOくり」
住所: 〒529-1851 滋賀県甲賀市信楽町長野464-4
営業時間:10:00-17:00
定休日: 不定休
信楽町のおすすめスポット
信楽は、陶芸の町としての歴史を感じさせる一方で、お洒落なギャラリーやショップも立ち並び、美術館のMIHOMUSEUMなどの観光スポットも。
じっくりと時間をかけて散策したくなる信楽のまち。
特に栗田さんがおすすめのお店やお土産を、最後に教えていただきました。
■BROWN RiCE AND WATER
信楽産の有機コシヒカリの玄米と、発酵食をテーマにしたこちらのカフェ・レストランは、焼き物のテーマパーク「滋賀県立陶芸の森」の中にあるお店。
信楽を散策してお腹が空いたら、ぜひこちらのデトックス効果も期待できる酵素玄米ごはんと新鮮な野菜のランチをいただいてみたいですね。
■misin-ya
布作家やまだあやこさんの、アートと雑貨のお店。栗田さんもこちらの洋服やお財布を愛用しているのだとか。思わず目を奪われる鮮やかな色遣いの美しい刺繍の布は、ヴィンテージ生地を何枚も重ねてコラージュして作られており、どれも素敵で目移りしてしまいます。お気に入りを選んで自分へのお土産にしたいですね。
■茶のみやぐら
お茶の産地としても知られる信楽。寒暖差が大きく厳しい気候の中でたくましく育つ「朝宮茶」は、日本最古のお茶ともいわれ、1,200年の歴史を持つそう。日本五大銘茶の一つにも数えられています。このお茶を使って作られたお菓子もとてもおすすめ。中でも自家製の初摘み煎茶や一番茶の抹茶を使用し、大人の味に仕上げたロールケーキはぜひお土産にしたい逸品。
■信楽高原鐵道「信楽駅」
信楽焼のお土産がたくさん並ぶ「信楽駅」で、特におすすめなのはレトロかわいい「汽車土瓶」。
1889年に静岡駅の駅弁屋さんが信楽焼の土瓶に静岡茶を淹れて販売したのが始まりだそうです。
昭和40年代にはポリエチレン容器の登場により姿を消した汽車土瓶を、地元の「信楽学園」と「信楽高原鐵道」がタッグを組んで復元したもので、置物や一輪ざしにも。
問合せ先:信楽高原鐵道㈱ 電話:0748-82-3391
皆さんもぜひ信楽を訪れ、信楽焼の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。