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2024.11.04

藤原妍子が産んだのは「運命の皇女」?三条天皇との結婚の行方

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藤原妍子(ふじわらのけんし/きよこ)は、摂関政治で栄華を築いた藤原道長の次女で、三条天皇の中宮(ちゅうぐう、后のこと)となった女性。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』では倉沢 杏菜さんが演じています。

『光る君へ』の中で妍子は「私が結婚する東宮様は、18歳も年上のお年寄りなのよ。若くてイケメンの一条天皇と結婚できたお姉ちゃんがうらやましいわ」と姉の彰子(しょうし/あきこ)にこぼしています。一条天皇との間に2人の皇子を生んだ彰子と同じように、妍子もまた次期天皇となる居貞(いやさだ/おきさだ)親王の皇子を生むことを期待されていました。妍子の結婚の行方を見てみましょう。

40人の精鋭女房を引き連れて、いざ結婚

妍子が東宮・居貞親王と結婚したのは寛弘7 (1010)年、17歳のときです。結婚相手の居貞親王は35歳。東宮妃として長く連れ添ってきた藤原娍子(せいし/すけこ)との間にはすでにたくさんの皇子・皇女がいて、第1皇子の敦明(あつあきら)親王は妍子と同い年でした。お年寄りというのは言い過ぎにしても、妍子は父親ほども年の離れた相手と結婚したことになります。

道長とその妻・倫子(りんし/ともこ)は、娘のために周囲が驚くほどのしたくを整えました。妍子が実家から東宮に連れていった女房は40人。「これまで道長に仕えてきた人の妻や娘が、全て妍子のために集まった(『栄花物語』巻第八 はつはな)」というほどの人数です。

妍子に仕えた女房たちのなかには、太政大臣をつとめた藤原為光(ためみつ)の娘など、自らが天皇の女御や后になるべく育てられたような姫君もいました。人々は道長の権勢に驚き「そのうちどこぞの上皇の娘も出仕するのでは(『栄花物語』巻第一 月の宴)」と噂をしています。

後宮のトップはとうぜん私でしょ

居貞親王は、妍子と結婚した翌寛弘8(1011)年に天皇に即位。摂関家の姫である妍子を中宮つまり天皇の正妻にすると宣言します。ところがその後、娍子のことは皇后にしたいと告げるのです。

このやり方は、道長が娘の彰子を一条天皇の中宮にするために、先に結婚していた定子(ていし/さだこ)を皇后にしたのと同じ無茶振りです。本来であれば中宮と皇后は同じ女性を意味していたのですから。でも、先にその無茶を通した道長に、文句を言えるはずもありません。

怒った道長は、娍子の立后(りっこう)の儀式が予定されていた日に、妍子の内裏参入の儀式をぶつけて公卿たちを集めるという、大人げのない嫌がらせをしています。

▼道長が先にやった無茶振りについては、こちらで。
父・道長を怨んだことも。「藤原彰子」波乱に満ちた87年の生涯

十二単?衣装はもっと重ねるべきよ

後宮(こうきゅう)入りした妍子は、摂関家のお姫様らしいといえばらしい派手好き宴好きのお后ライフを過ごしています。とくに美しい衣装が大好きで、きっとセンスもよかったのでしょう。何枚も重ね着をした袖口や褄の色合いの素晴らしさは、道長が「ますます立派な衣装を着せてさしあげたい(『栄花物語』巻第八 はつはな)」と張り切るほどだったとか。

ところが妍子の着道楽はとどまることを知らず、のちには女房達の装いまでコーディネート。色合わせにこだわって18枚、20枚と衣装を重ねた女房達の姿に朝廷のご意見番、藤原実資(さねすけ)は「あんな装いは見たことがない。(豪華すぎて)感心できない」と呆れ、道長も苦笑いをしています(『栄花物語』巻第二十四 わかばえ)。

『源氏物語絵色紙帖 玉鬘 詞近衛信尹』女房達が衣装のしたくをしている様子 出典:ColBase

運命の皇女を出産

長和2(1013)年、妍子は三条天皇との間に娘を出産しました。生まれたのは女の子、禎子(ていし)内親王です。男の子ではなかったので、道長は落胆を隠しませんでした。

この当時、病気で早くに退位した冷泉天皇の皇子と、冷泉天皇の次に即位した弟の円融天皇の皇子とが、交互に天皇に即位していました。道長は、円融天皇系の一条天皇に長女の彰子を、冷泉天皇系の三条天皇に次女の妍子を入内させて、両方の皇子の外祖父になることを目指していたのです。

もしも妍子が皇子を生んでいたら、道長はなんとしてもその子を次の東宮にしたのでしょう。

禎子内親王はすくすくと成長し、のちに彰子が生んだ後朱雀(ごすざく)天皇の中宮となって、ひとりの皇子を出産します。
その皇子こそが、摂関家を外戚としない天皇として即位する後三条天皇。後三条天皇の即位とともに摂関の権勢は衰えていき、やがて院政の時代が幕を開けるのです。

政略に政略を重ねて天皇の外祖父となり、摂関時代を象徴する権力者となった道長。しかしその孫同士が結婚して生まれた皇子が摂関時代に終止符を打つとは、思ってもいなかったことでしょう。なんとも皮肉で、ドラマティックな展開ではありませんか。

三条天皇、後三条天皇など、文中の登場人物の詳細は、ページ下部へGO!

*名前の訓読みは一説です。平安時代の人物の読み仮名は正確には伝わっていないことが多く、音読みにする習慣もあります。

アイキャッチ:『男踏歌』より 易祇画 出典:メトロポリタン美術館

参考書籍:
『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)
『日本古典文学全集 栄花物語』(小学館)
『藤原道長を創った女たち』編著:服部早苗・高松百香(明石書店)
『三条天皇』著:倉本一宏(ミネルヴァ書房)

書いた人

岩手生まれ、埼玉在住。書店アルバイト、足袋靴下メーカー営業事務、小学校の通知表ソフトのユーザー対応などを経て、Web編集&ライター業へ。趣味は茶の湯と少女マンガ、好きな言葉は「くう ねる あそぶ」。30代は子育てに身も心も捧げたが、40代はもう捧げきれないと自分自身へIターンを計画中。