菅原孝標女 (すがわらのたかすえのむすめ)は平安時代の女性。大河ドラマ『光る君へ』では吉柳 咲良(きりゅう さくら)さんが演じます。
父方の祖先は学問の神様として祀られている菅原道真(みちざね)、母親の異母姉は『蜻蛉日記(かげろうにっき)』の作者・藤原道綱母(ふじわらみちつなはは)です。残念ながら、本名は伝えられていません。
孝標女が生まれたのは寛弘5(1008年)。紫式部が『源氏物語』の執筆に着手して、おもしろい物語があると宮中で評判になったころです。
孝標女は、物語に憧れた少女時代の思い出を『更級日記(さらしなにっき)』に書き残しました。
世の中には「物語」というものがあるという
『更級日記』は孝標女が父の仕事にともなって赴き、幼い日を過ごした上総(かずさ、現在の千葉県中央部)での暮らしからから始まります。
世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思いつつ(中略)光源氏のあるようなど、ところどころ語るを聞くに……
菅原孝標が上総に赴任していたのは、寛仁元(1017)年から寛仁4(1020)年。寛弘5(1008年)生まれの孝標女が、10代にさしかかるころです。
孝標女は、家族が都で評判の物語について話しているのに聞き耳を立てて、「世の中には物語というものがあるらしい、なんとかして読んでみたいわ」と考えています。
伝え聞いた『源氏物語』の主人公、光源氏の暮らしぶりなどを想像しては、物語への憧れを募らせていました。
『源氏物語』を読む時間が最高に幸せ
父の任期が終わり、一家が上総から京の都へと戻ったのは、孝標女が13歳のときです。都の暮らしに慣れない孝標女を気づかって、家族が『源氏物語』の紫の上が登場する巻を入手してきてくれましたが、途中から読んでも話のすじがよく分かりません。
ある日のこと。親戚の家を訪ねた孝標女は、おみやげに『源氏物語』全巻を譲り受けます。
源氏の五十余巻、(中略)ふくろとり入れて、得てかへる心地のうれしさぞいみじきや。はしるはしるわずかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳(きちょう、部屋の仕切りのこと)のうちにうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。
大喜びで家に帰り、部屋に寝そべって、最初の巻から読む幸せといったら!
「后の位も何になろうか」、帝のお后様になれたとしたって、これほど幸せではないと思うわ。
孝標女は50代になってから『更級日記』を書いたと思われますが、『源氏物語』の世界に没頭した体験は年を経ても、はじけるような喜びに包まれています。
そして「私は美人ではなかったけれど、年ごろになればきっと光源氏に愛された夕顔の君や、薫の大将の想い人だった浮舟の君のように、きっと美しくなれるはずと思っていたのですよ、おかしいでしょう」と、静かに少女時代を振り返るのです。
空想の世界では、誰もが自由
物語は、人を空想の世界へといざなってくれます。その世界では、誰もが自由です。
平安時代の少女も物語と出会い、空想する力を身につけました。
『更級日記』には、飼い猫を亡くなった大納言家のお姫様の生まれ変わりだと信じて、姉と二人で大切にしていたというエピソードも残されています。
一方で現実の世界では、物語のような幸せが訪れるとは限りません。
仲の良かった姉が出産で命を落とし、孝標女は残された子どもたちの母代わりとなります。まだ17~18歳だというのに、自分の幸せは後回し。
なぐさめてくれたのは、やっぱり物語です。
物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はしたてまつりて、浮舟の女君のやうに、山里にかくし据えられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめ
物語に出てくる光源氏のような人が、年に1回でもいいから通っていらっしゃらないかしら。浮舟の君のように山里に隠されて、花や紅葉を眺めながらさみしげに過ごすの。時々すばらしい(達筆の)お手紙をいただいたりして……。
と、空想の世界へ出かけていました。
宮仕え、そして結婚。物語のようにいかない人生
あっというまに月日は流れ、孝標女は30代になりました。両親も年老いて、孝標女は一家の主婦をまかされています。
「このまま家の中に隠れるようにして生きていくのかしら」とさみしく思っていたところ、「外で働いてみたら? 幸運に巡り会えるかもしれませんよ」と宮家の女房に推薦してくれる人がいました。
孝標女は「物語ばかり読んで、行き来する親類さえなく、親のかげに隠れていた私につとまるかしら」と不安ながらも、宮仕えに挑戦します。
ところがやっと仕事に慣れたころ、孝標女は家に連れ戻されて、親の決めた相手と結婚することになります。
さても宮仕えの方にもたち馴れ、(中略)親たちも、いと心得ず、ほどもなくこめ据えつ
結婚を「こめ据えつ」、家に閉じ込めるという言葉であらわしています。孝標女が望んだ結婚ではなかったのでしょう。
「たしかに私は物語のことばかり考えて、浮ついていたかもしれないけれど……」
現実にがっかりした孝標女は、「光源氏のような人が、本当にこの世にいるものかしら。薫の大将がかくまっていた浮舟の君のような人だって、いないわよ。くだらないことばかり考えて、ばかだったわ」と、物語を心から捨て去ってしまいました。
孤独な晩年、もういちど物語とともに
その後の孝標女は、意外や元気に過ごします。宮仕えを再開して、胸がときめくような男性との出会いも経験しました。
家族の幸せを祈って、寺社に参拝する「物詣で」にもあけくれています。
そして迎えた50代。夫に先立たれた孝標女は「若い頃から物語にうつつを抜かさず、昼夜神仏に祈っていれば、夢を見ているのだと思うような、こんなはかない世を見ることはなかっただろう」と後悔します。
一人さみしく過ごしていたある夜、思いがけず甥が訪ねてきてくれました。
孝標女は姨捨山(おばすてやま)の伝説を思い出して、歌を詠みます。
「月も出でで 闇にくれたる 姨捨に なにとて今宵 たづね来つらむ」
月も出ていない闇夜の姨捨山にいるような私を、どうして今夜たずねてくれたのでしょう。
伝説では、男が年老いたおばを山に捨てに行きます。しかしその山を明るい月が照らしているのを見て、後悔し迎えに行くのです。
『更級日記』の成立は康平3(1060)年ごろ。タイトルは姨捨山のある長野県の更級(さらしな)にちなんで命名されたといわれています。
孤独のふちで孝標女は筆を取り、『更級日記』という日記文学を残しました。
輪廻転生をテーマにした『夜の寝覚』、『浜松中納言物語』も、孝標女の作と伝えられています。
アイキャッチ:『源氏五十四帖 五 若紫』著者:尾形月耕 出典:国立国会図書館デジタルコレクションより、一部をトリミング
参考書籍:
『日本古典文学全集 更級日記』(小学館)
『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 更級日記』(角川書店)
『新版 更級日記』(講談社学術文庫)
『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)