なんだか、不安しかない道である。
「ホントに…これであってる?」
つい1分前に放り投げたセリフを無意識に繰り返す。もちろん、言わずもがな。運転中のカメラマンも同様だ。面倒くさそうに「ナビ通り」と、3度目のセリフが返ってきた。
左折するまでは店の大きな看板があった。それは覚えている。目的地は近いと思ったし、何より取材の約束の時間に十分間に合うと安心した。しかし、左折直後からどんどん道幅は狭くなる一方で。何をどう考えても、今、車で走っているのは完全なる山道である。
このまま行き着く先は、どこなのか。もう、ナビの画面を追いかけることも止め、半ば諦めかけていたそんな時。なんと前方を走る車が見えてきた。追いつけば、どうやら車が3台も連なっているようだ。
令和2(2020)年11月の3連休の最終日。時刻は朝の9時を少し回ったところ。
それにしても不可解だ。こんな朝早く、そして、こんな山道に、他府県ナンバーも混ざった車が4台。不思議に思いつつそのまま走行すると、急に道が開けてきた。安堵したのもつかの間、ボブスレーのように、前の3台がキレイに連なって同じ場所に吸い込まれていく。
見上げれば、先ほど見た看板が。
吸い込まれた先こそ、まさしくナビの目的地。本日の取材先である。
その名も、大正14(1925)年創業の油あげの老舗「谷口屋(たにぐちや)」。
レストランが開店する1時間前から、既に駐車場は多くの車で賑わっている。県外からも、その味を求めてファンが訪れるという谷口屋。1度食べればやみつきになる理由とは、一体、何なのか。
今回は、この噂の油あげを徹底解剖するために、福井県丸岡町にある谷口屋本店へお邪魔した。1枚1枚手作業で作り出される「谷口屋の油あげ」。
その魅力を、早速、ご紹介していこう。
「油あげ」が示すのは僧侶の袈裟?
「11月の3連休、ピーク時は『20組80分待ち』でしたね。ヤバいですね。いろんなところに怒られそうですね」
そう苦笑いするのは、谷口屋の4代目、現在は常務取締役である谷口弘晃(ひろあき)氏だ。
確かに、このコロナ禍のご時世でありながら、この集客力には恐れ入る。一体、どんな油あげなのかと、気になる方も多いだろう。まずは、多くのファンがお目当ての「谷口屋の油あげ」からご紹介しよう。
最初に目を見張るのが、そのサイズだ。
なんといっても、デカい。面積も広いし、厚さも尋常ではない。実際に計測すると、面積は14㎝四方、厚さは3㎝弱。ただ数字で見るのと、目の前の実物を見るのとでは、その迫力が違う。
「このサイズは3代目になってから。2代目までは10㎝四方くらいでした」と4代目弘晃氏。
油あげのサイズの変遷には、土地柄も関係するようだ。というのも、福井県北部は浄土真宗が盛んな地域で、定期的に「報恩講(ほうおんこう)」が営まれる。この報恩講とは、仏教各宗派で行われる宗祖や派祖への報恩を表す法会(ほうえ)のこと。簡単にいえば、寺のお坊さんの法話を聞いて、そのあとに皆で精進料理を食べるという催し物である。
この精進料理の時に、必ず出てくるのが「油あげ」。
「浄土真宗の報恩講の精進料理って、親鸞聖人の体を表す御膳なんですね。『油あげ』はお袈裟(けさ)の代わり。『サトイモ』は枕にしていた石で、『ゴボウ』は杖だとか。精進料理の内容には意味があるんです」(※地域によって異なる場合があります)
なるほど。そんな意味があったとは驚きだ。
「親鸞聖人を表すものだから、豪華にしないといけないって感じで。ご飯も、日本昔話に出てくるような盛り方の、あんなのが出てきたりして。その中で、油あげは絶対欠かせないもの。3代目(現在の社長)が、『これじゃ寂しいな』と。で、どんどん(サイズを)大きくしていった結果、お皿からはみ出すほどになりました」
このような過程を経て、谷口屋では、現在の大きさの油あげが定着したそうだ。なんでも、これ以上大きくすると、揚げたときの皮と中見のバランスが取れなくなるのだとか。口に入れたときのあの絶妙なバランスを保つには、現在のサイズがちょうどなのだという。
福井県には「中揚げ」があるってホント?
さて、ここで1つの疑問が。
じつは、谷口屋のホームページには「厚揚げ」ではなく、「油あげ」と名付けられている。これほどご立派なのに、いやはや「厚揚げ」ではないというのだ。一般人からすれば、この分厚さは十分に「厚揚げ」の分類なのではと思うのだが。
「谷口屋での分類は『油あげ』です」
そう言い切る4代目弘晃氏。
じつは、製造工程が違うのだという。「油あげ」の製造工程は、油あげ専用の木綿豆腐を作って、低温と高温で2度揚げする。一方、「厚揚げ」は、高温で表面を揚げるのみ。つまり、「厚揚げ」の中には、しっかりと豆腐が残っているのだとか。
「うちの油あげは『ふわふわ』プラス『豆腐』の部分も少しあります。『分厚い薄揚げ』のような感覚です」
だから、あくまで谷口屋の「油あげ」は『油あげ』なのだという。
この説明を聞いて、納得できない顔をしていたのだろうか。4代目弘晃氏は、追加で、福井県独特の「油あげ」事情を話してくれた。
「福井県は『薄揚げ』と『厚揚げ』の中間に『中揚げ(ちゅうあげ)』というものがあります。これは福井県だけです。じつは、福井県だけ、とにかく油あげコーナーがデカい。色々なスーパーに行けば分かります。谷口屋の油あげは、『中揚げ』をさらに大きくしたような感じです。厚みがあって中がふかふかな『中揚げ』」
どうやら「油あげ」は、意外にも複雑らしい。色々な地域で、独自の文化が発達し現在に至るようだ。所変われば…というが、まさしく、油あげがその一例だろう。福井県は油あげの消費額も日本一。だからこそ、油あげが独自の進化を遂げたのかもしれない。
20を超える工程を1人で揚げるその職人芸とは?
油あげが大好きという4代目弘晃氏。
これだけ毎日食べていても、県外に出張すれば、油あげが恋しくなるのだとか。そんな4代目に谷口屋ならではの強みを訊いた。
「うちの強みは、食感の出し方がうまいんだろうなと思いますね。周りはサクサクで、中はふわふわで、じゅわっとジューシー。うちの特徴なんですね」
じつに、油あげは皮の作り方が難しいという。揚げ方や、使用する大豆の選定次第では、皮がごわごわになって噛み切れなかったり、ゴムみたいになる可能性も。一方で、分厚過ぎればバリバリし口の中で刺さることも。そんな両極端とならないように細心の注意を払う必要があるのだとか。
ただ、谷口屋の油あげの皮は、そのどちらにもならない。得てして、平均的に皮の作り方がうまいのが、谷口屋の特徴なのだという。
実際に、木綿豆腐を揚げている「油あげ」の製造工程を見学させて頂いた。
「こちらが、油あげ専用の木綿豆腐です。油に入れてから約1時間後に上がります。相当じっくり揚げますね。火をつけたり消したりしながら様子を見て、触って、その感触で温度を上げなきゃいけない、下げなきゃいけないって調節するんです」
「こちらは、最初に浮き上がってきて、裏側が膨らんできた状態。表側は木綿豆腐のままです」
「こちらはもう少し工程が進んだ段階です。真ん中の白い部分がまだ少し大きいですけど、これが段々なくなってきます。白い部分は豆腐の部分なんで、これがなくなってくるんですね」
「あとは、一番奥だけ高温の油で揚げています。ここまでじっくりと揚げて、最後だけは高温で揚げるという流れです」
谷口屋では、これら全てが職人の手作業で行われている。温度や引き上げるタイミングなど、全て職人の勘で調整するのだとか。トングで触った感触で、大体どれくらい揚がっているかが分かるというから驚きだ。
じつは、単純にただ木綿豆腐を揚げるだけなら、1週間でできるという。だが、難しいのは、常に同じ高品質の油あげを作ることができるかというコト。つまり、どんな生地の木綿豆腐でも、一定の油あげを作らなければいけないのである。
というのも、木綿豆腐は非常に繊細。その日の気温や湿度などで、生地自体が変わるからだ。もちろん、原料となる大豆の影響も受ける。同じ品種でも、作物ができる地域によって、やはり全然質が違うのだという。例えば、山側と海側で作られた大豆は全く異なるため、これに合わせて木綿豆腐の生地も変わってくるのだとか。
そんな繊細な木綿豆腐を全て使いこなすには、どれくらいの月日が要するかというと。勘が良ければ半年。普通の人であれば1年。一方で、勘が悪ければ2年、いや、一生無理な場合もあるという。何しろ、木綿豆腐を並べる際に、その持った感触で揚げ方を判断しなければいけない。そう簡単に、マスターできるものではないようだ。
「油あげ1個を揚げるのに、20工程以上あります。これだけの枚数を同時並行するのは、本当に大変です。7分ごとに上がってきますが、谷口屋では、併設のレストランに5分以内で届けることが決まっています」
それにしても、不思議に思ったことがある。この調理場は、どぎつい油の匂いが、全くしないのだ。
じつは、ここにも谷口屋のこだわりがある。
使用している油は、「太白(たいはく)胡麻油」100%。胡麻を煎らずに「低温圧搾法」で絞っている手間暇かけた油なのだとか。そのため、一般的な胡麻油のような香りはしないのだが、胡麻の旨味が生かされ、あっさりとした油あげになるという。なるほど、ほぼ油の匂いがしないのも納得である。
もちろん、これは油あげの「味」にも影響してくる。
早速、アツアツの出来立ての「太白おあげ」を実食させて頂いた。
これまたウマい。
正直、この「太白おあげ」は、私の「油あげ」のイメージが一新した一品。ヘルシーとはいっても、やはり「おあげ」。失礼ながらそんな油ギッシュな想像を勝手にしていたのだが。その想像を遥かに通り越して、一周回ってきたという感じ。
たどり着いた結論は、「おあげって豆腐なんだ」というコト。ホントに周りはサクサクで、油で揚げたとは思えない。香ばしいけれども優しくて、「皮がうまい」とはこういうことなのかと、理解した。
中は「ふわふわ」なのだが、ジュ―っと汁が出る。ちなみに、このジューシーさは、油ではない。豆腐よりもふわふわした生地から出る汁だ。本来の豆腐自体の味と胡麻の風味が重なって凝縮した「旨味」がたまらない。もちろん、皮と中身のバランスもさすがである。
初心者には、是非とも、まずはこの「太白おあげ」をおススメしたい。さらに、リピーターの方には、もちろん変わり種のメニューもあるという。
「とうふカツ」や冬季限定の「ことこと鍋」など、盛りだくさんだ。
スイーツ展開にも果敢に挑戦
「もともとは豆腐屋。しかし、油あげがどんどん有名になっていって…って感じですね。初代、2代目の頃はずっと細々と、1日100枚くらいしか作らないような感じでやっていたんですけれども。3代目のときに『これは世界に出る油あげだ』って。一気に広まったのは、3代目が社長になってからですね」
創業は大正14(1925)年。もうすぐ100年となる長い歴史を持つ老舗の豆腐屋だ。選びぬかれた国産大豆のみを使用。竹田の清らかな水、越前の海で採取した天然にがりと材料にもこだわる。
「3代目が、ホントにいいモノを作る職人気質でして。いいモノを作ればお客さんは買ってくれると。まあ、いいモノとは言っても、限度があるだろってことなんですけど。世界に出るためには、皆に『いいモノ』と認められなければだめだって作ってきました」
ただ、理想が高ければ高いほど、ことさら、これを実現するのは難しい。採算度外視で「いいモノ」を作っても、価格設定があまりにも高ければ売れにくくなる。売れたとしても、その都度、社会を取り巻く経済状況にも左右され一定しない。理想と現実の妥協点をどこに求めるか、経営者の誰もがぶち当たる壁である。
「(経営が)厳しい状況の時があって、大きなお金を投資しなければならない。このままいつも通りの経営では潰れてしまうと。どうせ投資するのであれば、何か違うものにもう1つ投資して経営の主力を作ろうよと。柱をもう一つ増やすような感じですね」
こうして、主力の「油あげ」とは別に、小さな柱として育てようとしたのがスイーツである。最初はお菓子屋さんに依頼して、豆乳を使ったスイーツの開発を考えたのだとか。ただ、なかなか結果が出ず。ならば自分たちでと、一念発起。8か月も研究を重ねて出来上がったのが、このロールケーキだ。
「一番うちの弱い部分というのが、『食べなきゃわかんない』というところです」
悔しそうな表情を見せながら話す4代目弘晃氏。
「無添加で作っていて。白砂糖は使わないとか。国産の小麦粉を使用してとか。卵も平飼いの卵で、こだわって作っているんですけど、そのこだわりがうまく伝えられないんです。ロールケーキは、1本1,700円とかするんですよ。ちょっと高級で。食べてもらったら、ハマる人続出なんですけど。食べてもらうまでのハードルが高い」
「油あげもそうなんですよね。1枚600円なんですよ。油あげ。スーパーで並んでいて、買う気になるかっていうと。私でも『あれっ?』てなりますよね。まあ、クチコミとメディアのお陰でここまで広まってきましたけど」
まだまだ、マーケティングのやり方が下手だと分析する4代目弘晃氏。
「山の中なので、いつも買いに行ける場所ではない。観光の方が主な客層なので、だったら長期保存できるようにするとか、色々考えたいですね」
ブッ飛んだ夢こそ実現しがいがある⁈
「うちの社長はもう少しぶっ飛んでるんですけど」と切り出した4代目弘晃氏。話は、現在の経営から今後の谷口屋の展開へと広がっていく。
「今、社長の夢は宇宙に行ってます。宇宙食に『油あげ』がいけないかって。油あげは植物性タンパク質なので。動物性タンパク質は瞬発力が上がるんですが、植物性タンパク質は持久力が上がるんで。宇宙にぴったりなんです」
4代目弘晃氏からすれば、お父上となる3代目。もう30年前からずっと、「油あげ」に宇宙食としての可能性を感じていたようだ。
だが、宇宙の前に。その通過地点となるのが「世界」である。
日本人に合う日本料理と、海外の人に合う日本料理は味が違う。そのため、3代目の勧めもあり、弘晃氏はカナダへと渡る。一時期、日本料理屋で働いていた経験もあるのだとか。
「日本料理は繊細です。見た目を豪快にしつつも、中には繊細さを残すというやり方なんですね。パフォーマンスとして見せなきゃいけないというのが向こうのやり方です」
このコロナ禍の影響で現在は一時中断しているが、実際に、海外進出の準備を着々と進めてきたのだという。
「ニューヨーク、シンガポール、香港、タイ、上海、オーストラリア、カナダと、色々なところから引き合いがあったんですが。油あげは保存も効かないし、空輸も厳しい。そのため、冷凍技術を上げる特殊な冷凍機を入れました。1年かけてその再現性を高めて、さあ、これでいけるとなった瞬間にコロナでした」
ただ、全く諦めてはいない。
今のうちにやれることをやる。そう、4代目弘晃氏は強く語る。
「まず、黒字経営。しっかり税金も納めて雇用も増やして。今の社長のうちに下支えはしておきたいですね。で、社長の好きなようにやってもらいたい。社長って、ぶっ飛んでる人なんで。ここをテーマパーク化したいと。要は、ここで1日過ごしても全然見足りないという場所にしたいと」
何やら夢は果てしないようだ。追加で、ここにトンネルを作りたいという話も出てきた。そうなれば、丸岡インターから直線3キロになるのだとか。確かに、トンネルがあれば、私があれほど不安を感じたあの山道も通らなくていいワケで。
個人的には、それはそれで見てみたいと思う。
「とにかく、社長がいきいきと自分が面白いと思うことに投資してもらえるように、ちゃんと稼いでおきたいなと思うんです」
最後に
この取材を通して、心に残った言葉がある。
「継ぎたいのか、色々迷惑かけたから継がなきゃいけないと思っているのか、自分の中でも分からなくなった」
4代目弘晃氏が、家業について最初に話したコトである。
4人兄弟の末っ子として生まれた弘晃氏。子どもながらに「うちの油あげ」を渡せば、友人たちに喜ばれる。それがすごく嬉しかったという。
そんな家業をもし継ぐ気があるのならと。3代目から勧められたのが、寺での半年間の雲水修業。この精神修業ののちに、カナダにて1年間のワーキングホリデーの生活を始める。その中で感じた疑問が、先ほどの言葉である。
この言葉を聞いて考えた。
将来の夢がない。何をしたいか分からない。そんな若者が増えている。ただ、そんな疑問を疑問とも思わない。コレが普通なんだと納得して終わる。先の見えない自分に対峙するのではなく、そのまま見ないふりをしてしまう。最近は、そんな人の方が多いと感じる。
確かに、その方がラクだろう。流されて生きる方が、誰かにレールを敷いてもらう方が、絶対にラクに決まっている。それなら何も考えずに済むし、失敗したって、その誰かのせいにできるのだから。
しかし、4代目弘晃氏は、あえて疑問に思った。
疑問に思えば、そのままというワケにはいかない。腰を上げて動くしかないのである。それは辛いし苦しいはずだ。しかし、だからこそ、今がある。紆余曲折を経て、4代目はようやく自分の夢と巡り会えたという。
「うちの油あげ」。
この響きに、誇りが感じられた。それがなんとも羨ましい。
こうして、「油あげ愛」に溢れた取材を終えた。
何年先のことになるかは、分からないが。
是非とも、見てみたいものである。
谷口屋の油あげが世界へ、そして宇宙へと旅立つことを。
宇宙飛行士が美味しそうに油あげを食べる。
そんな日が待ち遠しい。
(写真撮影:大村健太)
基本情報
名称:谷口屋 本店レストラン
住所:福井県坂井市丸岡町上竹田37-26-1
公式webサイト:https://taniguchiya.co.jp/restaurant.php