京都・祇園にある京菓子の老舗「鍵善良房」。
これまでこの店の手仕事から生まれる菓子づくりを案内してきたが、ついに喫茶の部に取材班は突入。大看板「くずきり」(鍵善ではこう表記する)の紹介である。
鍵善の名物「くずきり」を食べながら、氷あっての「くずきり」だと気がついた
実は本誌「和樂」の2022年6・7月号で「葛と葛菓子」の特集があり、鍵善の「くずきり」の原料である奈良県・大宇陀市の「森野吉野葛本舗」におうかがいしている。
秋の七草のひとつでもある、日本になじみの深い植物「葛」。その根から葛粉を取り出し、精製する過程はそちらに詳しい。
現在、高級品として扱われている大宇陀産の葛がこの地で昔からつくられてきた理由、風土が生んだ一級品の葛など、興味のある方は和樂本誌もあわせてお読みください。
さて、話は鍵善の「くずきり」に戻りまして。
葛切りにさほど執心ない人でも、鍵善の「くずきり」の評判は知られるところであると思うが、その理由をこれまで突き詰めて考えてこなかった。
しかし、奈良の大宇陀まで原料を見に行くのだ。これを機会にあちらこちらで葛切りを食べてみて、改めて鍵善の「くずきり」を俯瞰してみることを試みた。
すると…見えてきたのだ。
鍵善の「くずきり」が特別な理由は、大まかにいえば3つあると私は考える。
ひとつめに、材料。葛粉と水で「くずきり」はできている。添えられる黒蜜(白蜜もあるが、大半の人は黒蜜を頼むそうで今回は黒蜜に限って話を進める)も、黒砂糖と白砂糖と水を煮詰めたもの。と、「くずきり」を構成する材料はとてもシンプルだ。
それでいてこれだけ長く愛される味というものは、材料がいいからである。
ふたつめに、「くずきり」の入るうつわ。木工家・黒田辰秋が信玄弁当に発想を得たという2段重ねのふた付きの漆器。この仕様は祇園にあるお茶屋さんの宴席にお届けした名残である。
ふたを開けて、蜜の入るうつわを取り出し、いよいよ「くずきり」とご対面という一連の動作に心がときめく。そして漆黒のうつわに浮かぶ「くずきり」の美しさに見入る。このドラマティックな演出は当時の祇園の宴席に歓迎されたものであろうし、この店にふさわしい仕掛けだと思う。
3つめに、いつでもつくり立ての「くずきり」を出せる態勢にあるということ。ときどき注文が入るような店ではこうはいかない。本記事の最後に「くずきり」の製造工程をご紹介するが、「くずきり」をつくるのはあっという間の作業だが、準備にはとても時間がかかる。
王道の答えとしては上記3つなのだが、「くずきり」の漆器に浮かぶ「氷」もまた肩を並べるぐらいに大事なものと思えてきたのだ。
注文した「くずきり」がいよいよ運ばれてくる。「カラン」と音を鳴らしながら漆器が目の前に置かれる。たっぷり入る氷のおかげで、「くずきり」冷たく、のどをするりと落ちていく。「くずきり」を食べ進めようと箸を動かすと、うつわの中でまた氷がカランと鳴る。
大きな氷だけ入っているかと思えば、小さいものも。大きさはさまざま。まさか…手で割っている?
ということで、鍵善の「くずきり」に入る氷を追いかけてみることにした。4つめのおいしさの理由がここにあるに違いない!
早朝、社員のだれも出社しないうちに氷屋さんが鍵善の冷凍庫に納品していた
まだ車の往来もまばらの早朝の四条通。鍵善本店前に横付けする車を発見!
驚くことに、路上で氷を切り出している。大きな氷柱を縦に2つ割、それを3つに切って納品用のケースにすばやく入れていく。
先にZEN CAFEに顔を出してから本店に出勤となった鍵善の当主・今西善也さんをつかまえて、記念撮影。先ほどから一心に氷を切るこのかたは、「有澤アイス」の有澤稔夫さん。86歳で現役、鍵善と付き合いのある業者さんの中では最年長だそう。
大きさをそろえて切り出された氷は、喫茶室の調理室に運ばれる。
この日は取材のために遅めに寄ったそうで、本来は7時に納品が終わっているという。納品の仕方は取引先により異なるが、鍵善に納品する場合は冷凍庫にぴっちり収めて仕事が終了。
86歳という年齢を考えると、冷凍庫に詰める手間が負担に思うのだが、これも有澤さんにとっては大事な仕事。氷の減り具合を見て、次に納品する量を推察するそうだ。そこまでお任せという関係性にもびっくり。有澤さん、信頼されてますね!
「いかに在庫を残さずに納品するかが、わしら氷屋の腕の見せ所や。朝の天気予報を見るのは欠かせないし、天気と気温はつねに気にしてる」と有澤さん。
祇園にほど近い場所に拠点をもつ有澤さん。三重県津市でつくられた氷を仕入れ、自社の冷凍庫で保管している。惚れ込んでいる氷は、最低でも48時間、72時間近くゆっくりと時間をかけて凍らせたもの。
「時間をかけてつくられた氷は、結晶が大きいので固くて溶けにくい。しかもきれいな透明。白いところがあったら納品する前に削らなあかんけど、削るとこがない」と胸を張る。
「酒場でもないのに、京都一氷の消費量が多い店。それが鍵善さん」
それだけ自慢の氷だからこそ、鮮度にも気を使う。夏場は1日に2回納品することもあれば、寒くなれば毎日足を運ぶこともない。適量を適切なタイミングで運び届けることが大切なことで、それによって、つるりとのどを通る「くずきり」が提供されるのであった。
有澤さんにとって鍵善という店はどう映っているのだろうか?
「今日納めただけでも11枚。約190キロになるかな。こんなに毎日氷を使う店は、京都でほかにないもの。すごいというか、面白いわ。酒場でもないのに(笑)」
この道65年以上にもなる氷のプロが「京都一」と言うのだから、鍵善の「くずきり」がどれだけ京都名物なのかがわかるというもの。「くずきり」に惜しみなく入る氷の量にも感動するが、有澤さんの惜しみない仕事に、さらに胸が熱くなった。
さて、納品された氷をさらに追ってみよう。
この日、喫茶の厨房の朝番だったのは入社5年目になる上石友紀子さん。
カチコチの氷は一度水で洗うことで扱いやすくなる。それをアイスピックで勢いよく割っていく。「夏場はほうじ茶にも入れるので、多めに割って用意します」
手で割るからこその、ふぞろいの大きさ。固く締まった氷だから、鋭角のまま保たれる。このかち割り氷が漆器に入ることで、澄んだ高い音を生むのであった。
氷屋さんの手から鍵善のスタッフの手へ、氷のバトンが渡されていく朝のひとコマ。
「くずきり」のを仕上げる味の影の主役は、かち割り氷だと確信したひとときだった。
「くずきり」はこうしてつくられる。そしてやっぱり固い氷が必要だった
さて、喫茶室の厨房の上階には菓子工場がある。2階の工場で「くずきり」を製造し、1階で漆器に入る氷や蜜を整えるという流れだ。「くずきり」はコシが命の甘味である。ときが経てば、透明な葛が白濁してしまうので、つくり立てをできるだけ早くお客様に届けることが、おいしさを届けることになる。
2階の工場の様子をお伝えしよう。
これまで紹介してきたように、工場ではさまざまな菓子製造が同時進行であって、「くずきり」専任の職人もいない。だれもが「くずきり」もできるようになっていることが必須で、この日は入社9年目に入る小関喬之さんが担当。
注文が切れ間なく入る、忙しいときに撮影させてもらった。とはいえ、銅鍋を2個持ち! これまで何人かの職人を見てきたが、鍋2個持ちで「くずきり」をつくる人は初めて見た。
ここで「くずきり」の原料である、葛粉を紹介。名産地である奈良・大宇陀産。創業450年を越す「森野吉野葛本舗」からいちばんいい状態の葛を納めてもらっている。
葛粉は前日のうちに水と合わせておく。その液を銅製の浅い平鍋に流す。銅製なのは、火の通りがいいから。また火の通りを早くするために、1つの鍋に1人分を注ぎ入れる。
湯がたぎる鉄釜に、水で溶いた葛粉を入れた鍋を入れる。鍋を回しながら湯煎(ゆせん)。鍋の持ち手を振ることで、熱が均等に、早く伝わる。というわけで、鍋が円形にデザインされているそうだ。鍋は有次製。この円形の銅鍋を考えついた人、すごい!
鍋の中の白い葛が透明になったら、火が通った証拠。冷水に鍋を放ち、引き上げた葛を包丁で叩くようにして切る。
ぷるぷるの葛をただでさえまっすぐに切るのは難しいのに、2枚重ねで切る技を見せてくれた小関さん。「教えてくれた先輩もこうしてました」とのこと。
「くずきり」のオーダーが入って、包丁で切るまで、この間ほんの2分ほど! ひとりの職人がすべてを担うという点でも時間短縮になっているのだが、この設備も道具もあっぱれである。鉄釜に手をつっこむの、熱くないですか? と私が聞いている間にも職人さんは「くずきり」を2枚分、つくっていくのだ……。
「くずきり」の製造工程を見て、改めてわかったことがある。
煮湯の中をくぐる「くずきり」のできたては、冷水にくぐらせるとはいえ、中はまだほんのりと熱い。お客様の席にお届けするころ、それをちょうど良い温度に下げてくれるのも、大きなかち割り氷の役目なのだ。
「くずきり」がここまで愛されてきたのは、祇園という街の文化があったから
「くずきりって、原料も手順も少ないからだれでもできるといえば、できるんですよ。でも、できたものをできるだけ早くお出しするには、店が準備することはたくさんあります。うちのように毎日、ある程度の数の注文が入る店でないと、手間だけがかかることになってしまうんじゃないかな。食べに来てくれるお客様がいるから、続けてこれたようなものです」と今西さん。
葛切りに近い菓子は、すでに室町時代の中ごろにはあったという。鍵善が「くずきり」を提供するようになったのは、少なくとも昭和初期。しかも「世間から忘れられていた葛切りをうちの店が復活させたと聞いています」とのこと。
祇園のお茶屋さんや料理屋さんに頼まれてつくった「くずきり」。黒田辰秋が手がけた漆器は当時は贅を尽くした螺鈿製。それを朱塗りの岡持ちに入れて配達したそうで、このしゃれた試みは風流好きの花街で大いに好まれたという。
お届けだけのはずが、店でも食べさせてという声が多くなり、喫茶室がつくられるように。しかも夏だけの提供のはずが、通年に。菓子屋さんが喫茶コーナーを設けたのも鍵善が先駆けだそうで、こうしたエピソードを聞くと、「くずきり」は祇園という街に愛されてきた甘味なのだと思う。
「くずきり」のふたを開けるとき、私はタイムマシーンを開ける気もちになる。黒田辰秋と交流を深めた先々代の主人に始まり、たくさんの職人の手わざや知恵がこの甘味に集積されているように感じる。とはいえ食べ始めれば一瞬で、残るはカランと鳴る氷の音。そのあっけなさも「くずきり」の味だ。
最後に。
有澤アイスの有澤稔夫さんが今秋、勇退されることを決めたそうだ。氷販売業に携われて65年という。これまでおいしい「くずきり」に尽力されてきたこと、ひとりの客として感謝の気もちでいっぱいである。
撮影/宮濱祐美子