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Gourmet
2019.09.25

おにぎりっていつから食べられていたの?日本のおにぎりの歴史

この記事を書いた人

日本人が昔ほどお米を食べなくなり、「コメ離れ」と言われています。その一方で、コンビニに行けば、いつでも様々なおにぎりが棚に並んでいますし、お米や具にこだわったおにぎり専門店も増えています。

日本が誇るファストフードであり、スローフードであり、身近なソウルフードであるおにぎり。おにぎりは、老若男女、大人も子どもも、誰もが親しんできたお米の食べ方のひとつです。
家で作ることが一般的だったおにぎりに、「買って食べる」という選択を増やしたのはコンビニの登場がきっかけでした。

この記事では、おにぎりの歴史を振り返りながら、おにぎりの様々な謎を解明していきます。

弥生時代の遺跡からおにぎりの化石が出土した!

おにぎりは、稲作の伝来とほぼ同じくして出現しました。
弥生時代中期から後期に水稲耕作が大陸から日本列島に伝わり、定着したものと推測されます。おにぎりの歴史は、日本列島における米食の歴史と等しいのです。

日本最古のおにぎりは、杉谷チャノバタケ遺跡の化石

昭和62(1987)年11月、石川県中能登町(なかのとちょう)にある弥生時代の遺跡「杉谷(すぎたに)チャノバタケ遺跡」から、真っ黒に炭化した、手のひらにのるくらいの円錐形の塊が出土されました。この塊は、蒸した米でできた「おにぎり」だったのです!
一般には「杉谷チャノバタケ遺跡」から発掘されたおにぎりが日本最古のものとされていますが、他の弥生時代の遺跡からも、似たようなおにぎりが出土されており、学術的には「粽状炭化米塊(ちまきじょうたんかまいかい)」と呼ばれます。なお、炭化は長い時間を土の中で過ごした結果としての化学反応であり、焦げたわけではありません。

おにぎりの化石の特徴

おにぎりの化石には、現代のおにぎりとは異なる点があります。
まず、調理法が異なります。現代のおにぎりは炊いた米を握る方法で作られますが、当時のおにぎりの多くは、殺菌効果がある笹の葉に巻いてから加熱したと推測されています。
この調理法は、おにぎりよりも粽(ちまき)に近いかもしれません。

おにぎりの形にも特徴があります。
「杉谷チャノバタケ遺跡」のおにぎりは円錐状でしたが、多いのは球状のもの。
おにぎりの中から硬貨が出てきたケースもあります。

おにぎりは神聖なもの?

私たちが日常的に食べているおにぎりは、実は神聖な食べ物でもあるのです。
「杉谷チャノバタケ遺跡」のおにぎりが円錐状なのは、信仰の対象だった山を模したため、という説があります。また、おにぎりを握る(あるいは「むすぶ」)ことは、しめ縄を張ることと同じような宗教的行為だという説もあります。

現代でも、お正月には鏡餅や稲穂のついたしめ飾りを神に捧げていますし、天皇が毎年行う新嘗祭(にいなめさい)も、米を含めた穀物の収穫を感謝する祭祀(さいし)です。米は、日本列島に伝来した時から今日に至るまで、宗教的な側面を持つ食物なのです。

おにぎりは大陸からやって来た!?

粽状炭化米塊は、主に弥生系の、つまり、渡来人たちの遺跡から出土しています。
稲作の伝播については、中国大陸から直接やってくる「江南説」、「朝鮮半島経由説」、沖縄諸島など「南西諸島経由説」の3つのルートがあったと言われていますが、稲作とおにぎりのルーツが中国大陸にあることは間違いありません。

稲作伝来後、弥生時代の後期には米食が日本列島に広まりました。
ただし、当時の米は、今日私たちが食べている米とは異なる、いわゆる古代米であり、すべての人たちが潤沢に米を食べられたわけではありませんが、米が急速に主食としての地位を固めたことは間違いありません。

『常陸国風土記』では「握飯」

奈良時代、養老5(721)年に成立した『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に「握飯(にぎりい)」という言葉が登場するなど、おにぎりが作られていたらしいということはうかがえますが、詳細は不明です。

『源氏物語』にもおにぎりが!

 
『源氏物語』第一帖「桐壺(きりつぼ)の巻」の光源氏の元服を描く部分におにぎりが登場します。

 屯食(とんじき)、禄(ろく)の唐櫃(からびつ)どもなど、ところせきまで、春宮(とうぐう)の御元服の折にも数まされり。

この一文の中の「屯食」がおにぎりなのです!

平安時代の文献にしばしば現れる「屯食(頓食とも)」とは、多くは、強飯(こわめし)を卵型に握ったものです。これは、貴族の饗宴(きょうえん)で用意され、主に下級役人に対して振る舞われたもののようです。
なお、酒宴そのものを屯食と呼んでいる例や、酒宴の際に下級の役人に与える食べ物を載せる台のことを屯食と呼んでいる資料もあります。

承久の乱では梅干しおにぎりが配られていた!?

  
鎌倉時代の初期、承久3(1221)年、承久の乱(じょうきゅうのらん)が起きました。
院政を敷いていた後鳥羽(ごとば)上皇が、対立していた鎌倉幕府の北条義時(ほうじょうよしとき)を討つべく挙兵しますが、幕府の圧倒的な兵力の前に敗れました。承久の乱は、幕府と朝廷の軍事衝突という前代未聞の事件であり、幕府の朝廷に対する優位を決定づけた出来事ですが、その陰にあったのがおにぎり。京都に攻め入る20万人ともいわれる鎌倉幕府軍の武士たちにおにぎりが配られたという記録があると言われています。そして、このおにぎりの具が梅干しだったのです!

承久の乱以前にも、九州沿岸の防備にあたった防人(さきもり)が屯食を持っていたとする説もありますが、携帯食としてのおにぎりが広まるのは鎌倉時代であり、おにぎりが戦場の兵糧(ひょうろう)として広がっていくきっかけが承久の乱だったのです。

室町時代に描かれたおにぎり

  
室町時代に制作された『酒飯論絵巻(しゅはんろんえまき)』におにぎりを握る場面が描かれています。

この絵巻は、酒好きと飯好きが議論を戦わせるという設定で、米の調理から食事の場面までが描かれています。この第三段の厨房の場面に、おにぎりが登場!

一条兼良詞書、土佐光元画『酒飯論絵巻』(部分) 国立国会図書館デジタルコレクション
第三段に描かれた飯好きの飯室好飯の厨房。右下の男がおにぎりを握っています。

詞書(ことばがき)では「鳥の子にきり」と呼ばれており、卵形のものでした。

白飯と同じおひつに「あか飯」が見えますが、赤い粒が大きいことから、赤米ではなく、小豆飯だったと考えられます。詞書には、このほかにも粟飯や麦飯が登場し、厨房でも様々なご飯が描き分けられています。

おにぎりの普及は戦国時代

 
戦国時代、保存性の高かった糒(ほしいい、蒸した米を干したもの)や餅が兵糧の主役となり、おにぎりもこの頃普及していきます。おにぎりは兵糧として特に重宝されました。この頃のおにぎりは、間引き菜を米と一緒に炊いた菜飯が主流でした。

煎餅、味噌といった保存食が普及・進化していくのもこの頃です。
豊臣秀吉が天下統一後、赤米や黒米に比べて収穫量の多い白米が広まっていきます。

「猿蟹合戦」のおにぎりはごま塩?

  
鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した、『御伽草子(おとぎぞうし)』は、それまでにない新規な主題を取り上げた短編の絵入り物語で、400編以上も存在していると言われています。
この物語のひとつである「猿蟹合戦」にもおにぎりが登場していますね。

「猿蟹合戦」の物語は、江戸時代には「赤本(あかほん)」と呼ばれる子ども向けの草双紙になったほか、日本の昔話の1つとして絵本になるなど、現代でも人気の物語です。

傀儡子作、北尾重政画『増補猿蟹合戦』 国立国会図書館デジタルコレクション
左ページの擬人化された蟹の持つ三角おにぎりには、ごまと思われる黒い点が多数あるのがわかります。

「猿蟹合戦」では、蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿が、拾った柿の種と交換しようと持ちかけます。最初、蟹は交換を嫌がりましたが、「種を植えれば成長して柿がたくさんなり、ずっと得する」と猿が言ったことから、蟹はおにぎりと柿の種を交換しました。

この、蟹が持っていたおにぎりを、寛政10(1798)年に出版された傀儡子こと曲亭馬琴(きょくていばきん)作『増補猿蟹合戦』では、浮世絵師・北尾重政(きたおしげまさ)がごま塩をふった三角おにぎりとして描いています。

おにぎり文化が花開いた江戸時代

   
江戸時代になると、東海道などの街道が整備され、おにぎりは旅人の携行食としても用いられるようになりました。

歌川広重が描いたおにぎり

 
浮世絵師の歌川広重(うたがわひろしげ)も、天保14(1843)年から弘化3 (1846)年頃に描いた『東海道五十三次細見図会(とうかいどうごじゅうさんつぎさいけんずえ)』の「藤沢」で、満面の笑みを浮かべながらおにぎりを食べる旅人の姿をユーモラスに描いています。

歌川広重『東海道五十三次細見図会 藤沢』 国立国会図書館デジタルコレクション

田植えの間食としてのおにぎり

 
おにぎりは、田植え時の間食としても用いられました。
野外で食するものであったため、腐敗しないように、竹皮や笹、朴(ほお)などの木の葉で包むなどの工夫がされました。

『江戸名所図会』金沢文庫址御所ケ谷 国立国会図書館デジタルコレクション
右ページ下に丸形のおにぎりらしきものを食べる家族の姿が描かれています。鍬が置かれているので、野良作業の最中のようです。

海苔巻おにぎりの誕生も江戸時代

 
おにぎりに海苔を巻くようになったのも江戸時代です。これは、江戸で海苔の養殖が始まって生産量が増加したことにもよるものですが、おにぎりに海苔を巻いた理由は不明です。

おにぎりに海苔が巻かれるようになったのとほぼ同時期に「海苔巻き寿司」も登場しています。
江戸時代は、おにぎりに味噌などを塗って焼くことが多く、おにぎりは「焼飯(やきいい)」と呼ばれていました。熱いお湯やお茶をかける、お茶漬けのような食べ方もあったそうです。

おにぎり文化が花開く

江戸時代前期は庶民にとっては高値の花だった白米も、八代将軍・徳川吉宗の頃には庶民の口にも入るようになりました。その頃、武家や公家の楽しみだった「花見」も庶民文化に取り込まれました。
享和元(1801)年に刊行された『料理早指南(りょうりはやしなん)』では、携行用の花見弁当が提案されていており、曲げわっぱを重ねたような形状の「割籠(わりご)弁当」の下の段には、おにぎりがぎっしり詰まっています。

『料理早指南』より

江戸時代のおにぎりの形は?

江戸時代後期の三都(京都・江戸・大坂)の風俗・事物をまとめた史料『守貞謾稿(もりさだまんこう)』にもおにぎりの記述があります。

今世は掌に塩水を付けて、これを握る。三都とも形定まりなしといへども、京坂は俵型に制し、表に黒胡麻を少し蒔(ま)くものあり。江戸にては、円形あるいは三角等、径(わた)り一寸五分ばかり、厚さ五、六分にするもの多し。胡麻を用ふること稀(まれ)なり。多くは握りて後にこれを炙(あぶ)るもあり。

「京都・大坂では俵型に握って黒ゴマをまぶすことが多い」「江戸では円形または三角形に作り、胡麻をまぶすことはまれであった」とあり、江戸時代は、江戸と京都・大坂では、おにぎりの形などに違いがあったことがわかります。

最初の駅弁は、おにぎり2個とたくあん2切れ

 
明治18(1885)年7月16日、上野と宇都宮間の鉄道開通に合わせて、日本鉄道の委嘱を受けて宇都宮の旅館・白木屋が駅弁を売り出したのが、日本で最初の駅弁とされています。
最初の駅弁の中身は、握り飯2個とたくあん2切れを竹の皮に包んであるだけのもので、価格は5銭。当時は、うな丼が10銭、立派な海老の入った天丼が4銭だったので、シンプルなおにぎりの駅弁は高価なものでした。1日4往復で本数も少なく、旅行者数も少なかったため、駅弁の売行きは微々たるもので、赤字営業だったと言われています。

コンビニの誕生とおにぎりの販売

 
昭和49(1974)年5月、セブン-イレブンが日本に上陸。東京都江東区豊洲に、第1号店が開店しました。
おにぎりは、第1号店の開店直後から売られていましたが、レジ横の小さなスペースで販売されており、客からはほとんど見向きされなかったそうです。

当時、おにぎりは家で作るものという常識があった中、セブン-イレブンでは、「日本人みんなが忙しくなって、外で駅弁やパンなどを買う人が増えているから、おにぎりを外で買うニーズはきっとある」と、オリジナルのおにぎりの販売に踏み切ったのです。

手巻きおにぎりの販売開始

 
売れなかったコンビニおにぎりの流れを変えたのが、手巻きおにぎりの登場です。
昭和53(1978)年、セブン-イレブンが、ご飯と海苔の間をフィルムで仕切り、食べる直前に海苔を巻くという「手巻きおにぎり」の販売を開始しました。これは「パリッコフィルム方式」と呼ばれ、海苔のパリッとした触感を楽しめるようにしたものです。

おにぎりの包装フィルムは、昭和54(1979)年大阪の「志のぶ寿司(現・シノブフーズ)が、二重袋に入ったおにぎりの内袋を引っ張り出して海苔を巻く「パラシュート式」と呼ばれる包装形態の「おにぎりQ」を販売し、業界に旋風を巻き起こしました。

現在の主流である「センターカット式」の包装が使われるようになったのは、平成2(1990)年頃からです。

ツナマヨおにぎりの登場

 
現在、どこのコンビニのおにぎりの棚にも並ぶツナマヨおにぎり。
ツナ(マグロなどの油漬け)をマヨネーズであえたものを具にしたツナマヨおにぎりは、昭和58(1983)年、セブン-イレブンから発売されました。

ツナマヨおにぎり誕生秘話

 
ツナマヨおにぎりには、当時の商品開発担当者が、自分の息子がマヨネーズ好きで、ツナにマヨネーズをかけて食べているのを真似して食べたところ、大変おいしかったので商品化したというエピソードがあります。

現在、ツナマヨおにぎりはコンビニの定番のおにぎりとなり、売上の上位のおにぎりです。
ツナだけではなく、チャーシュー、粗挽きソーセージ、鮭、海老、明太子など、様々な具材とマヨネーズを組み合わせた商品が発売されています。

ツナ、それともシーチキン?

 
ちなみに、ローソンとファミリーマートは、はごろもフーズが製造する「マグロまたはカツオの油漬けまたは水煮の缶詰」である「シーチキン」を原材料としているため、「ツナマヨ」ではなく「シーチキンマヨネーズ」として販売しています。

ファミリーマートには、「手巻シーチキンマヨネーズ」のほかに、「直巻和風ツナマヨネーズ」というおむすびもありました。

冷凍焼きおにぎりのブーム

 
冷凍食品の焼きおにぎりは、平成元(1989)年に日本水産(現・ニッスイ)が初めて発売しました。その後、冷食メーカーが続々と焼おにぎり市場に参入。手軽さに加え、加熱する時にしょうゆの香ばしい香りが立つことも受けて、大ヒット商品となりました。

セブン-イレブンの焼きおにぎり

冷凍焼きおにぎりは、現在では冷凍食品の棚で欠かすことのできない定番アイテムとなっています。もちろん、コンビニでも販売されています。

コンビニおにぎりの多様化

 
コンビニでは欠かせない商品になっているおにぎり。
現在、コンビニおにぎりは大手各チェーン店が40種類前後発売されています。ベストセラーでありロングセラーである定番の「ツナマヨ」「梅」「おかか」「明太子」「紅鮭」はもちろん、ローソンの「悪魔のおにぎり」といった新しいおにぎりや高級志向のおにぎり、「もち麦」「大麦」などを使った健康志向のおにぎりなどが販売される一方で、シンプルな「塩むすび」も人気です。
地域限定の「ご当地おにぎり」も販売されています。

おにぎりはこれからどうなる?

 
「おにぎり」には、長い歴史があり、その時代のニーズに合わせて変化してきました。
コンビニ各社は、よりおいしいおにぎりを提供するため、米、具材という原材料から、おにぎりの握り方といった製造方法や、工場からの配送方法などにもこだわり、日々検討を重ねているそう。
これからも「コンビニおにぎり」の進化には目を離すことができないようです。

主な参考文献

  • 一般社団法人日本おにぎり協会 
  • 『おにぎりの文化史:おにぎりはじめて物語』  横浜市歴史博物館監修  河出書房新社  2019年4月
  • 『おにぎりと日本人』  増淵敏之著 洋泉社 2017年12月
  • 再発見! おにぎりクロニクル 『ダンチュウ』 28巻 11号 (2018年11月) p.74~79
  • 書いた人

    秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。