近江町市場の「近江(おうみ)」の由来は定かでない。「近江」という弓師が住んでいた、はたまた近江商人がこの地に住んで商いを営んでいたなどの説があるのだとか。
名前の由来はさておき、庶民の台所として親しまれている石川県金沢市にある近江町市場。平日は約2万人、土日で約3万にもの人が市場を訪れる。その目的は市場で売られる生鮮食品だろう。しかし、楽しみ方はそれだけではない。アーケードから漏れる光の中で、レトロな雰囲気を醸し出す市場をそぞろ歩く。市場に響き渡る威勢のいいかけ声を背に、売り手との会話が弾む。活気ある独特の空間はなんといっても格別だ。
そのうえ、近江町市場には歴史と絡み合った「七不思議」たるものが存在するという。今回は「歴史」という視点から、その知られざる近江町市場の魅力をたっぷりとご紹介しよう。
2021年には300年周年を迎える近江町市場
近江町市場商店街振興組合常務理事の江口弘泰(えぐちひろやす)氏より話を伺った。
「犀川(さいがわ)や浅野川の河口などに分散してあった城内各地の市場を、火災などの理由で近江町に集めたのが享保6年(1721年)。近江町市場では、この年を市場の始まりの年にしています」
前田利家が入城したのが天正11年(1583年)頃。もともと金沢には分散した市場があったが、元禄3年(1690年)頃の火災で焼けてしまったという。その後、現在の近江町市場周辺へと市場が統合、移動したのだとか。
つまり、2019年現在で298年が経過していることになる。市民の台所、そして現在は金沢きっての観光名所となっている近江町市場だが、ひも解けば江戸時代から続く歴史ある市場なのだ。なお、昭和41年(1966年)に金沢市中央卸売市場の開設に伴って卸、仲卸の店が移転。現在は約180の店舗が軒を連ね、小売り専門の市場となっている。
近江町市場の「七不思議」って?
さて、近江町市場には謎や噂も多い。それを一つずつ解き明かすのも楽しみの一つといえる。今回は、数ある不思議のうちの7つを紹介しよう。
この段差って〇〇の名残りなの?
「近江町市場の真ん中には『惣構(そうがまえ)』が走っておったんです」
ここからは、より詳しい話を金沢中央信用組合参与の石田順一(いしだじゅんいち)氏に伺った。現在、近江町市場300年史を編纂されているという。
さて、惣構とは、城下町全体を囲む外郭(がいかく)のようなもの。堀や土塁(どるい)などで囲う防御システムを意味する。「堀」は掘った溝のような形状のもの、「土塁」は土手や堤防のようなものだ。江戸時代、じつは金沢にも惣構があった。徳川軍が攻めてくるのを防ぐため、1599年に前田利長が命じて急遽27日間で造られたとされる。この惣構、土塁と堀の二重構造となっており、じつはちょうど近江町市場の場所にあったというのだ。
ちなみに「パーキング口」から「青果通り口」へ通ずる「上通り(かみどおり)」側が「土塁」で、「十間町口」から「市姫神社口」へ通ずる「中通り(なかどおり)」側が「堀」なのだそうだ。
「この惣構の外側が青果市場、内側が魚市場でした。惣構の内側は御膳所(ごぜんどころ)、つまりお城の台所のため、自由に行き来ができず、橋には番人が立っていたんです」
江戸時代、上等な魚は基本的に城で消費されたという。加賀藩の庇護のもと、物流統制も厳しかったようだ。
その後、土塁は崩され、堀は埋め立てられ、惣構は撤去された。しかし、その名残は近江町市場の傾斜で感じることができる。特に激しい段差となっているのが、上通りと中通りを結ぶ通路、スーパーダイヤモンドの精肉部があるところだ。
実際に歩いてみると、かなりの傾斜がある。高いところが土塁の跡。撤去して土地をなだらかにしても、こんもりと高くなっている。歴史の遺物ゆえの高低差とは知る由もない。
じつは金沢市の指定史跡がある?
城下の大火災をきっかけに「辰巳用水(たつみようすい)」が堀に引き込まれた。堀の跡地である中通りの下には、辰巳用水の分流が通っているのだとか。金沢市は、土塁の跡の「上通り」の部分、そして辰巳用水の分流が流れ込んでいる中通りの「近江町用水の水路部分」を市の指定史跡としている。
「金沢は戦災を受けてないので、江戸時代からの道が約7割残っているといわれています」
だからこそ指定史跡とできたのだろう。それにしても、近江町市場全体ではなく、一部分だけが金沢市の指定史跡となっているのも珍しい。
「官許」の標柱が移動する?
近江町市場の「むさし口(むさしぐち)」の前には「官許(かんんきょ)」と彫られた標柱が建っている。官許とは、県が認めたという意味合いである。
「最初は『金澤青草辻市場』となっていました。もともと青果を取り扱っていた場所なので」
じつは最初の標柱には「近江町」の文字がなく、当初は「官許金澤青草辻市場」の名称でのスタートだった。この標柱が昭和初期の一時期だけ2本に増える。ただ、終戦当時に近江町市場周辺の建物が壊されるのと併せて標柱もなくなったようだ。その後、近江町市場にアーケードなどがつけられて、現在の形へと整えられていく。この間には「むさし口」と「エムザ口」にそれぞれ標柱が建っていた時期もあるのだとか。
最終的には、平成21年(2009年)の再開発の際に、「官許金澤青草辻近江町市場」の標柱(石柱)が「むさし口」に建てられた。写真だけで追っていくと、標柱が移動したように見えるから面白い。
浮き出る「くノ一」の文字
「近江町市場は昭和31年(1956年)からアーケードがかけられています」
少しずつ延長して現在の近江町の形に近づくわけだ。
「昭和56年(1981年)に上通りのアーケードが「パーキング口」に向かって延長されるんですね。そしたら、「くノ一」になったんです」
「くノ一」?忍者か?
どうも上空から見ると、近江町市場のアーケードの形が、「く」「ノ」「一」となっているのだとか。
・「パーキング口」から「むさし口」が「く」
・「十間町口」から「市姫神社口」が「ノ」
・「鮮魚通り口」から「エムザ口」が「一」
「平成21年(2009年)に『近江町いちば館』ができたことで、いちば館の屋根がアーケードにかぶさって、見えなくなってしまったんです。だから上空から見れば、『くノ一』がかけてしまいました。でも実際にはあります」
ちなみに、いつ誰が「くノ一」と言い始めたのかは謎のままだ。
今はなき近江町市場の駐車場のマークはツバメ⁈
現在、近江町市場の駐車場は建て替えが進んでおり、2020年4月に新しい近江町市場駐車場がオープンする予定である。
建て替え前の旧近江町市場駐車場には、不思議なマークの看板がついていた。たいていの駐車場では、パーキングの「P」の文字の看板が一般的だ。しかし、旧近江町市場のパーキングの看板は「P」の縦線の先が二つに割けて曲がっていた。気まぐれではない。書き損じでもない。このマークにはれっきとした由来がある。
じつは旧近江町市場の駐車場を建てる際に、立地上、どうしても「ツバメの巣」を撤去しなければならなかったのだとか。あまりにもツバメがかわいそうだということで、申し訳ないという気持ちを込めて、「P」の縦線の先を二本にして「ツバメ」を表したのだという。残念ながら、工事中で写真を撮ることはできなかったが、なんとも人情味あふれる逸話である。
近江町名物 不思議な名前「タイ」のついたエレベーター
さて、近江町には不思議な名前のついたエレベーターがある。これが噂の「タイ」のエレベーターだ。
「タイ」とは何か?くっきりと絵が描かれているのでモロバレだが、魚の「タイ=(鯛)」を意味している。かつては「ウシ=(牛)」「バナナ」の3種類があったのだとか。
「近江町市場は広くて、初めて来る方にはわかりにくい。駐車場から降りてきて、帰るときの目印として、エレベーターに近江町らしい名前をつけました。市場なので、魚、肉、果物の名前です」
なるほど。ちなみにオープン予定の近江町市場駐車場には、「ウシ」「バナナ」も再登場するとのこと。
近江町市場の「穴」とは?
都市伝説だと思っていたが、まさか本当に…と驚いたのが、「近江町の穴」である。
近江町の穴とは、実際に穴が掘られているわけではない。江戸時代に、穴を掘り雪などを入れて食べ物を貯蔵した「氷室(ひむろ)」の跡地が、この近江町市場の中にあるのだ。場所は、エムザ口から入った鮮魚通り沿い右手の「近江町食堂」の前だ。
確かによく観察すると、この店だけ通りから奥まった場所にある。というのも、近江町食堂から鮮魚通りまでの空間に、実際に「氷室」があったからだ。じつはこの「近江町の穴」は、地元では有名な話。郵便物も「近江町 穴」と書くだけで郵送できるとのまことしやかな噂があった。
「本当かなと思って試したんですよ。で、本当に届いたんです」
実際に郵送物を見せてもらった。確かに宛先が「近江町 穴」とだけ書かれており、郵便局の消印がある。この住所を書いただけで、郵送されてきたのだという。これには本当に驚いた。もちろん、検証した石田氏にも二重の意味でだ。
近江町市場の穴。訪れた際には、ふと立ち寄ってみるのも面白いだろう。
海鮮だけじゃない!常温でも持ち帰りOKの特選お土産!
さて、近江町市場の歴史を楽しんだところで、やはり気になるのは、市場で売られている多くの生鮮食品だ。つい、新鮮な魚や野菜、果物などに目が奪われる。揚げたてのフライや惣菜なども評判だ。
ただ、近江町市場の中での食べ歩きはNGだとか。
「食べ歩きは、歩行者の服に食べ物がついたり、身長の低い子どもにも危険が及ぶ可能性があります」と江口氏。
集う人全員が楽しめる、そんな近江町市場を目指している。
ちなみに、近江町市場はなにも新鮮な食料品だけがウリではない。日持ちもして、友人や職場の同僚などにも配れる常温OKの土産もたくさんある。今回は厳選したおススメ土産を是非とも紹介したい。
舟楽の「のどぐろ棒鮨」
江戸時代後期の安政6年、金沢の商店案内である『千鳥杖(ちどりじょう)』に「周楽軒(しゅうらくけん)」という名前が出てくる。これが舟楽の前身である料理茶屋だ。この先代の意志を継いで、平成の初めに再興したのが手押し棒鮨の「舟楽(しゅうらく)」である。
「棒鮨(ぼうずし)」の「スシ」を、あえて「魚が旨い」と書く「鮨」の字にするほど。そのため、素材は全て近江町市場仕込みで、もちろん手間ひまかけて1本1本を手作りしている。
店のおススメの一本はもちろん、金沢名物の「手押し棒鮨 のどぐろ」。のど黒はあぶりで旨さを引き出し、白昆布の味付けで一気にタレ鍋に入れ込むという。
のどぐろのあぶり具合がよい塩梅だ。のどぐろは白身魚のトロといわれるだけあって、白身魚特有の淡白さの中に、あぶりで引き出された独特のうまみと甘さが凝縮されている。これまた酢飯とちょうど合う。
他にも、私のおススメは「手押し棒鮨 焼き鯖」。なんといっても焼き鯖のこの厚さがたまらない。焼き鯖と酢飯がほぼ同じボリュウムには感激だ。しょうがなどの強い薬味の味付けはされておらず、素材そのものが味わえる。柚庵地漬けで漬けこむ時間の調整が味の決め手なのだとか。
帰ってきた当日や翌日に渡す土産であれば、間違いない選択といえるだろう。
名称:舟楽
電話:076-232-8411
たけはなの「まき餅」
比較的最近まで、近江町市場には新しい店が出店していた。聞けば、2019年の夏の出店を最後に、市場の空き店舗がなくなったのだとか。さて、近江町市場には何軒か和菓子屋があるが、私が昔からずっと通い続けているのが、和菓子屋「たけはな」だ。
たけはなの和菓子は、全て夜明けからの手作りだ。少し柔らかめの餅がまた美味しい。
おススメは「まき餅」と「豆大福」
どちらも、あんの甘さは抑えめ。餅が思いのほか柔らかく、羽二重餅のような食感だ。当日にご近所にお配りするなど、ちょっとしたお土産にうってつけの和菓子といえる。ちなみに、夕方には売り切れることが多いのでご注意を。
市安商店の「ころ柿」
「『ころ柿』の本格的な出荷は11月末から」と話す店主。
こちらは果物を取り扱っている「市安商店(いちやすしょうてん)」だ。
おススメは能登名産の「ころ柿」。能登にしかない「最勝(さいしょう)」という種類の柿を、雨のかからない風通しの良い場所(ころ柿専用の小屋のような所や、それ用に設えた家の2階など)で干して、素材の甘さを際立たせるという。柿の表面にうっすらと浮き出る白い物は「果糖」なのだとか。自然の甘味がギュッと詰まった懐かしい古里の一品だ。日持ちはだいたい1ヶ月とのこと(化粧箱入りの物はもう少し長い)。
一粒一粒包み箱に入れたものもあるが、小さめの柿や不揃いの形の柿はパックでも販売されている。どうやら味は同じなので、家用であればこちらでも十分ころ柿の自然な甘みを味わえる。
名称:市安商店
電話:076-263-9238
中屋食品の「天然能登ふぐのやわらか削り」
もう少し日持ちできるものをというのであれば、是非ともおススメしたいのが、削り節の老舗「中屋食品」である。煮干しや削りぶしなど品揃えは豊富。なお、削りぶしは全部自社工場での製造だそうだ。
一目見て珍しいと食いついたのが、丸ごと「鯛」の煮干しである。聞けば、島根県の連子鯛(レンコダイ)を煮干しにしたものだとか。全国に流通はしているが、一般家庭での小売りはなかなか出回らないとのこと。最近では、料亭だけでなく、ラーメン屋が「だし」として使うことも増えてきているという。こちらの「鯛」の煮干しは、すまし汁や鯛鍋などのだしはもちろん、鯛茶漬けや、鯛めし、おじやなどもおススメ。
そして、中屋食品のイチ押しが、2019年11月に発売されたばかりの「天然能登ふぐのやわらか削り」。
「石川県はふぐの水揚げが全国一位。地元の魚で削れて商品化できるものを探し、試行錯誤の末、ようやく構想から2年を経て商品化ができたんです」と話すのは、社長の中屋博明(なかやひろあき)氏。
石川県能登で水揚げされた「天然能登ふぐ」を乾燥加工して、やわらかな食感になるように削られた一品。削るために煮干にする過程での乾燥具合が難しく、また0.01mm単位で削る厚さの微調整を繰り返したのだとか。ふぐ茶漬けにしてもよし、サラダの上にトッピングとしてふりかけてもよし。噛むごとにふぐ本来の旨みが味わえる。
名称:中屋食品
電話:076-231-2406
紙文房あらきの「折り紙キット」
「亡くなった祖母が、折り紙が好きだったんです」
その意志を継ぎ、子や孫でお店を切り盛りされているのが、「紙文房あらき」だ。
近江町では海鮮丼に行列ができるのは当たり前。それに代わるコンテンツをと考えて作り出されたのが「紙鮮丼(かみせんどん)」だ。細長い紙を丸めて作ったパーツを組み合わせる西洋発祥の「ペーパークイリング」で仕上げたという。
紙文房あらきのイチ押し土産は「2020年干支『子-ねずみ‐』折り紙キット」だ。考案者は孫で6代目の荒木崇(あらきたかし)氏。
「1枚の折り紙を折っていく中で、角(かど)をどれだけ出せるかで様々なモノが表現できる。完成するのはもちろん嬉しいが、完成までのプロセスをどのように構築していくかが面白い。それが折り紙の魅力です」
考案者とは、折り方を考案する人。つまり、一から折り方を考えるのだ。じつは初めての作品を作り出すまでには、100個くらいはボツになったそうだ。「折ってみては違う」の繰り返し作業なのだという。途中で違うモノが作り出せそうなら、折り方をいったん覚えて、写真で記録しあとで再現することもあるのだとか。「子(ねずみ)」を作り出す過程で出来上がったのが、この「サンタとハート」である。
なお、商品を購入すれば、手作りの消しゴムハンコが押されたキュートな袋に入れてもらえる。
紙文房あらきの商品は、海外の方などにも喜ばれる日本の伝統文化を体現する土産といえそうだ。是非ともおススメしたい。
名称:紙文房あらき
電話:076-221-1027
番外編その1 みやむらのうなぎ
番外編として、どうしてもご紹介したかったのが、かにとうなぎの専門店「みやむら」。近江町市場にはうなぎのお店が幾つかあるが、私が金沢に通う中で、地元の皆さんが揃って薦めるお店だ。家族5人で営むお店で、客層もどちらかというと観光客よりも地元住民やリピーターの方が多い。
活うなぎを近江市場内で割いているのはこの「みやむら」だけ。なんでも、川魚はさばくと鮮度が落ちるのだとか。そのため、毎朝さばいて、炭火で焼いて販売しているという。蒲焼のタレは、地元大野醤油の一般販売されていないこだわりの醤油、俵屋のじろ飴を使用した自家製のタレだ。
名称:みやむら
電話番号:076-224-3867
番外編その2 鳥由のフライドなチキン
最後に、近江町市場の中には様々な揚げ物が並ぶ中で、おススメするのが「鳥由のとり足」だ。
新鮮な生卵が売っており、その生卵から作られた「玉子巻」なども、地元客の間ではマストなお惣菜。「とり足」は、数が少ないので早めに買った方がよい。大体、午後には確実に売り切れている。そこまで味付けは濃いわけでなく、ジューシーで肉厚な鶏肉にガツンとくる。
無知とは恐ろしいものである。知らなければいつもと同じ。しかし、その歴史や成り立ちを知れば、全く違う景色が見える。
まさしく今回の近江町市場がそうだ。京都からせっせと20年近く通い続けているが、これまではただ観光客に交じって買い物を満喫するだけ。けれど今は違う。ただ何気ない風景の中に、300年の歴史が垣間見える。普通に歩いていた道が、段差が、じつは土塁の名残だと知って、ちょっとだけタイムスリップしたような気になる。
是非とも、近江町市場に訪れた際は、買い物だけでなく、ひそかに息づく市場の歴史も感じてもらいたい。
基本情報
名称:近江町市場
電話番号: 076-231-1462
公式webサイト:https://ohmicho-ichiba.com/