切り立った岩壁に、仏や菩薩を彫刻した磨崖仏(まがいぶつ)。インドで発生し、日本には奈良時代に伝わりました。大分県は全国でもその数や規模を誇り、なかでも臼杵(うすき)の磨崖仏は国宝としても知られています。今回ご紹介するのは、瀬戸内海と周防灘(すおうなだ)に飛び出した、磨崖仏日本一の国東(くにさき)半島! さまざまな仏を岩壁に見ることができます。
「磨崖仏」日本一の国東半島で石仏をめぐる
全国の磨崖仏のうち約7割が現存する大分県。約90か所に400体もの磨崖仏が存在するのだとか。県内の磨崖仏の多くは国東半島に残されています。
大分県豊後高田市にある熊野磨崖仏には、国内最古にして最大級の2体の磨崖仏があります。写真は、高さ約6.7mもの大きさを誇る「大日如来」。
国東半島の磨崖仏の特徴は、岩壁に浮かび上がるようなレリーフ状の仏さま。臼杵など県南地域のやわらかな岩壁は深く丸彫りするのに適しているので、岩壁から飛び出したように見える彫刻に。表情や着衣などの表現も、くっきりはっきりしています。対する国東半島を含む県北の岩壁は非常に硬いため、国東の磨崖仏は薄彫りになったのです。
熊野磨崖仏「大日如来」と同じエリアにある、「不動明王」。こちらはなんと、高さ約8m!
熊野磨崖仏の大日如来と不動明王像のように規模が大きく優れた顔立ちの磨崖仏は、平安時代の後期から鎌倉時代にかけてのもの。この時期この地に天台宗系の仏教文化が根付いたことと、関わりがあると考えられています。
◆熊野磨崖仏
住所 大分県豊後高田市田染平野
お気に入りを見つけてみて! 磨崖仏選手権
元宮磨崖仏
「元宮磨崖仏(もとみやまがいぶつ)」大分県豊後高田市田染真中字宮田
田染荘(たしぶのしょう)の総社だった元宮八幡宮の境内北側の岩壁に、向かって左から矜羯羅童子(こんがらどうじ)、不動明王、持国天、毘沙門天と思われる天部、地蔵菩薩が薄彫りにされています。いずれも穏やかな表情をしていて、なかでも不動明王を仰ぎ見る矜羯羅童子がキュート! 南北朝時代の造立ともいわれています。
◆元宮磨崖仏
住所 大分県豊後高田市田染真中字宮田
城山薬師堂四面石仏
「城山薬師堂四面石仏(しろやまやくしどうしめんせきぶつ)」大分県豊後高田市田染真中字城山
真木大堂の南側、丘に立つ小堂に覆われた磨崖仏。通常の磨崖仏とは異なり、巨大な岩の塊の四方に合計8体の仏を彫り出したもの。薬師如来、阿弥陀如来などを、東西南北に配す四方四仏(しほうしぶつ)信仰によるものとみられますが、この磨崖仏はその限りでなく、6体が阿弥陀如来、2体は薬師如来、また不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)と思われるものもあります。
◆城山薬師堂四面石仏
住所 大分県豊後高田市田染真木
梅ノ木磨崖仏地蔵尊
「梅ノ木磨崖仏地蔵尊(うめのきまがいぶつじぞうそん)」大分県豊後高田市夷梅ノ木
瓦屋根付きのお堂に覆われた、左右約4mの岩壁に彫られた磨崖仏群。写真の中尊は、1mほどの枠組みの中の、像高約45㎝の小さなお地蔵さま。仁聞(にんもん)菩薩像ともいわれ、左に比丘(びく・男性)坐像、右に比丘尼(びくに・女性)坐像を従え、磨崖の五輪塔なども。室町時代の作とも考えられ、部分的に赤い顔料が残っています。
◆梅ノ木磨崖仏地蔵尊
住所 大分県豊後高田市梅ノ木
福真磨崖仏
「福真磨崖仏(ふくままがいぶつ)」大分県豊後高田市黒土字下黒土福真
真玉川(またまがわ)南岸の小高い岩場の岩壁に、大日如来を中心に彫られた19体の仏像群。南北朝時代の美仏で、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩のようなキュートさも。鎌倉時代のこの磨崖仏を保護するため、安政4(1857)年に建造された石造りの覆屋(おおいや)も必見です。
◆福真磨崖仏
住所 大分県豊後高田市大字黒土
鍋山磨崖仏
「鍋山磨崖仏(なべやままがいぶつ)」大分県豊後高田市田染上野
鎌倉時代に丘陵部の岩壁に彫られた、不動明王と脇侍の矜羯羅童子と制多迦童子(せいたかどうじ)の三尊。不動明王の像高は約2m30㎝で、真木大堂の木造不動明王とほぼ同サイズ。荘園だった時代の田染の地区を見渡しながら、水源を護る仏としてつくられたと考えられます。多くの磨崖仏が水源地にあることも興味深いポイント。
◆鍋山磨崖仏
住所 大分県豊後高田市田染上野579