描かれた◯の秘密は?茶室の掛け軸はミステリーの謎解き!?

描かれた◯の秘密は?茶室の掛け軸はミステリーの謎解き!?

目次

「謎はすべて解けた!」
お茶の稽古に通っていると、そんなふうに叫んで膝を打ちたくなることがあります。

亭主が一服のお茶を点て、お客さんがそれをいただく。
茶室で行われるお点前は、一見同じことの繰り返しのようですが、実は小さな茶室の中で、毎回まったく違うストーリーが展開されています。季節によって茶道具が変わり、お花が変わり掛け軸も変わり、一日も同じ日はありません。

今日の茶席に、亭主がどんな想いを込めたのか。その謎を解く鍵になるのが、床の間に飾られた掛け軸です。

例えば真夏、着物を着て座っているだけで汗が噴き出してくるような暑い日に、水色のそぼろ餡がのった和菓子を食べ、ガラスの茶碗で抹茶をいただくと、熱いお茶にもかかわらず、気持ちがすーっと涼しくなります。床の間に目を転じると、掛け軸には「涼味一滴水」の文字。そういえば茶室の入り口にもたっぷりと打ち水がされていた。なるほど、今日の茶席は「水」を感じて涼しくなってもらおうという趣向なのだな――という具合です。

「茶掛」、または単に「軸」とよばれることもある掛け軸は、茶の湯のベースにある禅の精神や、亭主のもてなしの心を端的にあらわすものとして、千利休以降、とても大切に考えられてきました。

茶掛を意識するようになると、お茶の楽しみは何倍にも広がります。さっそく、茶掛ミステリーワールドの探検に出かけてみましょう。

そもそも「茶掛」って何?

掛け軸は必ず布や紙で表装されている

書や東洋の絵を、紙や布を使って表装した「掛け軸」。その中でも、茶室の床の間に飾られるものを「茶掛」といいます。禅宗の教えである「禅語」などが書かれることが多く、茶の湯の道具の中で、もっとも格が高いといわれています。

千利休の侘び茶の精神を伝える書とされる『南方録』には、こんなふうに記されています。

「茶の湯において、掛物ほど大切な道具はありません。客にとっても亭主にとっても、茶の湯に心酔し、心が一つになった一座建立の道を得るためには、何といっても掛物が第一です。その中でも墨跡が第一でしょう。そこに書かれた言葉の心を敬い、筆者である道人や仏教の祖師方の徳を賞するからです」(筒井紘一「南方録(覚書・滅後)」淡交社)

「墨跡」とは、禅の高僧が墨で書いた文字のこと。でも一体なぜ、墨跡が「第一」といわれるようになったのでしょうか。茶の湯と禅の関係を、簡単におさらいしておきましょう。

茶の湯と禅の深~い関係

茶の湯の歴史は鎌倉時代、栄西という禅僧が、中国からお茶の種を持ち帰ったことから始まりました。その種を譲り受けて茶の栽培を始めたのが、京都栂尾、高山寺の明恵上人。茶園が全国に広がると共に、禅寺で座禅の前に茶を喫する習慣が盛んに行われるようになります。日本の茶の湯はその始まりから、禅の修行と深く結びついていたのです。

一方、書や絵画を表装して飾る習慣は平安時代、密教の伝来と共に日本に伝わったとされています。そのため、当初は日本でも、中国の仏画が多く飾られていたようです。

五髻文殊菩薩像 茶人・松永安左エ門(耳庵)寄贈 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム

初期の茶の湯では、茶室の床の間にも、「唐物」と呼ばれる中国伝来の絵画が多く飾られていました。変化が起こったのは、千利休の師匠の師匠、わび茶の祖とされる村田珠光の時代。珠光は「一休さん」こと一休宗純から、悟りの証明として、宋の禅僧、圜悟(えんご)の墨跡を与えられました。珠光がこれを茶室に掛けたのが、茶室に禅僧の墨跡が飾られるようになった大きなきっかけといわれています。

このころから「茶禅一味」、禅の修行と茶の湯の修行の本質は同じであるという考え方が主流となり、禅と茶の湯の結びつきもますます強まっていきました。そのような流れの中で、茶の湯における禅の精神を重んじ、「茶掛は墨跡が第一」という価値観を決定づけたのが千利休です。

利休は、圜悟の墨跡をはじめ、臨済宗大徳寺派の大本山である、京都・大徳寺の禅僧たちの手による墨跡も茶掛として用いるようになります。既に亡くなった高僧の墨跡だけでなく、同じ時代に生きている禅僧の墨跡も積極的に掛けることを始めたのも、利休ならではの工夫でした。

何が書いてある? どうやって見るの?

楊洲周延「千代田の大奥 茶の湯廻り花」国立国会図書館デジタルコレクションより

一般的な茶掛には、「禅語」が書き記されています。禅語とは、禅の高僧が文字通り命を賭した修行から体得した心の状態を言いあらわした言葉。禅の修行で用いる「公案」(いわゆる禅問答。なぞなぞのようなもの)が書かれることもあります。

正式な茶会では、客として茶室に入ると、お茶をいただくよりも先に、まず床の間の前に座って一礼し、茶掛を鑑賞します。そこには、今日の茶席に亭主が込めた思いが記されているからです。ただ、由緒ある茶掛の多くは達筆で書かれており、何の文字が書いてあるのかを判読するのも、初めは簡単ではありません。敷居が高く感じるかもしれませんが、実は禅語には、私たちの日々の悩みを解決するヒントが詰まっています。

茶室でよく見かける禅語の例を見ていきましょう。

茶掛の禅語

茶掛に書かれた禅語の意味や由来がわかるようになると、茶の湯の楽しみは俄然広がります。茶会に参加するとき、亭主に茶掛の言葉の意味をたずねてみると、お茶の味わいが変わってくるかもしれません。

樹木希林さんの映画でおなじみ「日日是好日(にちにちこれこうにち)」

茶道や禅のことを詳しく知らなくても、この言葉は聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。2018年には、大森立嗣が監督、黒木華さんと樹木希林さんが出演した同名の映画が公開され、茶道ブームのきっかけとなりました。

茶室では頻繁に見かける禅語のひとつで、「楽しいときも、そうでないときも、今日という一日を大切に生きる」というほどの意味です。唐の有名な禅僧、雲門禅師の言葉とされています。

一見、さらりとした言葉のようですが、良いことがあったときだけでなく、辛いことや悲しいことがあったときにも、昨日の後悔や明日の心配ではなく「今日」、今この瞬間に集中することは簡単ではありません。お茶を点てるプロセスそのものが、「今」に集中するための練習なのではないかと考えさせられる禅語です。

松の木のように末永く「松無古今色(まつにここんのいろなし)」

清巌宗渭筆 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム

ほかの木々が色づき、葉を落とす秋冬でも、松の木は常に青々としています。そんな松の木のように、長い年月が経っても変わらないものを例える言葉です。千利休以来、変わらずに受け継がれてきた茶の湯の神髄に通じる禅語として、茶掛で多く用いられます。

茶室でこの禅語に出会うと、何百年もの間、連綿と続いてきた茶の湯の歴史の最先端に今、自分が座っているのだと感慨深い気持ちになります。

無事に到着してよかった!という意味じゃなかった「無事是貴人(ぶじこれきにん)」

「この禅語はどういう意味だと思いますか?」とたずねられた私は、「貴い人が無事に到着してよかった、という意味でしょうか」と答えて笑われたことがあります。

「無事是貴人」は唐の禅僧、臨済禅師の有名な言葉。現代では、平和であること、健康であることなどを「無事」と表現しますが、ここでいう「無事」の意味は少し異なります。自分の外に真実を求めようとする心を捨てた人こそ「無事」であり、貴い人なのだと、臨済禅師は説きます。

「本当はみんなの心の中に『貴人』がいるのですよ」と私は茶道の先生に教えられました。茶の湯の稽古をすることも、自分の中にいる貴人と出会うためのひとつの方法なのかもしれません。

もともとは修行僧を叱る言葉だった?「喫茶去(きっさこ)」

茶掛の禅語として、もっとも有名な言葉のひとつです。「お茶を召し上がれ」という意味で掛けられることが多いのですが、よく見ると末尾に強調をあらわす「去」の一文字がついています。広辞苑にはこう書かれています。

「お茶でも飲んで来い。もともと相手を叱咤する語であるが、後にはお茶でも召し上がれ、の意に解された(後略)」

「叱咤」とは一体どういうことでしょうか。
唐の禅僧、趙州和尚のもとには、連日たくさんの修行僧が教えを求めてやってきました。趙州和尚は、「ここへ来たことがあるか?」と問い、「はい」と答えた者にも「喫茶去」、「いいえ」と答えた者にも「喫茶去」と同じように叱咤したといわれています。

心を込めて差し出す一杯のお茶。そんな日常の中にこそ真理があると解釈される言葉ですが、シンプルなようで、考えれば考えるほど真意がわからなくなるふしぎな禅語です。

亭主と客が心をひとつに「和敬清寂(わけいせいじゃく)」

茶の湯の精神をあらわす言葉として、千利休以来、とても大切にされてきた禅語です。「和敬」は、亭主と客がお互いに調和の心を持って敬い合うこと。「清寂」は茶室や茶器はもちろん、心身を清らかにし、何事にも動じない心でそこに在ることをあらわしています。

亭主と客が一心同体となることが茶道の秘訣だと、千利休は考えていました。今日というたった一度きりの日に、お互いできる限りのことをしようと心を尽くすことの大切さを、この言葉は思い出させてくれます。

【番外編】ただの○じゃないんです「円相(えんそう)」

墨で大きく「○」が描かれただけの茶掛を最初に見たとき、私は思わず首を横に傾けて「これは…何ですか?」と言ってしまいました。

実はこれ、「円相」といって、禅の思想をあらわすれっきとした書画なのです。文字とも絵画とも言い難いものですが、ひとつながりの円の形で、宇宙や悟り、真理をあらわしているとも言われます。

始まりもなく終わりもない、その形をじっと見ていると、まるで十五夜の月見団子…ではなく、自分の心をうつす鏡のようにも思えてきます。奥深さと同時に遊び心もあって、私が好きな茶掛のひとつです。

茶掛の禅語にほんの少し意識を向けると、それまでばらばらだった知識の点が線でつながり、「そういうことだったのか!」と茶の湯の世界が急に立体的に見えるようになります。

茶席がミステリー小説だとすると、茶掛は表紙に書かれた「タイトル」のようなもの。その先にどんな謎が待っているのか、扉を開けて探してみませんか?

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