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2019.09.19

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ【京都】

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平安京の時代より1000年以上変わらぬ祈りの地。視線の先に五重塔をとらえ、「弘法さん」と呼ぶ縁日に親しみ、鐘の音とともに1日をはじめる。東寺とそこに生きる弘法大師空海は、京都に暮らす人々にとってとても近しい存在です。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ。空海の夢と美意識が投影された東寺の、今に続く1200年の歩みを辿ります。

東寺は1200年をこう歩んだ!

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ

桓武天皇による平安京遷都ののち、延暦15(796)年に西寺とともに官寺(かんじ)として創建された東寺。官寺とは、国が費用などを支出して創建・監督する天皇発願(ほつがん)による寺院のこと。正式名称を教王護国寺(きょうおうごこくじ)といい、国家の安泰を願い建てられたものでした。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ「弘法大師行状絵詞 第八 東寺勅給」 重要文化財 康応元年(1389年) 1巻 紙本着色 33.6×1902.1㎝ 東寺蔵 嵯峨天皇の勅命を空海に伝えるため、勅使の藤原良房が東寺南大門前に到着した場面を描いた部分。(画像/東京美術)

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ左/上の図版に描かれた藤原良房が見ている景色と同じ、南大門越しに望む金堂(国宝)。 右/桃山時代末期の遺構、観智院の客殿(国宝)。上段の間には宮本武蔵が描いた「鷲の図」が。

弘仁14(823)年、嵯峨(さが)天皇は唐の長安で密教を会得してきた空海にこの寺を下賜、ここから東寺と空海の歴史がはじまります。嵯峨天皇と空海は教養や趣味において通じるものがある親しい仲でしたが、空海は東寺を預かるにあたって「真言密教の根本道場にするため他宗を排する」という条件を出します。空海のこの願いを天皇が聞き入れ実現したのが、現在まで続く真言宗総本山としての東寺なのです。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ左/空海が精魂込めて造営した講堂(重要文化財)。当事のものは焼失しているが、空海の想いは遺る。 右/御影堂(国宝)には空海像が。(改修工事中につき年末までは大日堂に仮の像を安置)

真言密教は文字で表しつくすことはできないと、空海は教義や思想を多くの仏で示し描いた曼荼羅図(まんだらず)で教え説きます。そして、さらにわかりやすいように彫刻像を配置して3次元的に表したのが立体曼荼羅。安置する講堂の完成と、大日如来を中心とした立体曼荼羅21体の尊像の開眼は、空海が高野山で入定(にゅうじょう)した4年後のことでした。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ21体の尊像で真言密教の教えを視覚的に示した講堂の立体曼荼羅。古代インドに由来する仏法の守護神梵天像は、度重なる滅失をまぬがれ、1200年ものあいだその表情をくずさない。

「立体曼荼羅は飛び出す絵本」と解説されることがありますが、今にも動き出したり話しかけられたりしそうな諸像を前にすると、だれしも黙って手を合わせてしまうはず。教義の理解には至らなくても、弘法大師として今もなおここに生きる空海の息遣いを感じるからなのでしょうか。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ

東寺に先駆け、唐から帰国した空海が手がけたのは紀州高野山の開創でした。真言密教を広く伝えるための東寺と、自ら入定の地と定めた高野山。東寺の蓮華門(れんげもん)をあとにした空海は、その足で高野山に向かったといいます。

立体曼荼羅の完成を見ず高野山へ戻った空海でしたが、その後の東寺は空海が遺した密教の教えを約1200年間熱心に伝え続け、今日に至ります。空海は高野山で入定しましたが、抱いた夢は今なお東寺で、そして人々のなかで生き続けているのです。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ即身成仏を遂げ、今なお禅定(ぜんじょう)にある空海への給仕である生身供。米や野菜などをのせた膳が供えられる。

空海が見た夢は真言密教の普及だけではありません。平安京には貴族の子弟しか学ぶことができない官立大学がひとつあるだけだったのに、留学先の長安の町々に学校があることに空海は驚嘆。東寺の一郭に日本初の私立学校となる綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を設立し、門閥や貧富の区別なく門戸を開き、日本の教育史にも偉業を遺しています。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ

また、境内の伽藍配置も立体曼荼羅の構想によるといわれています。京都の町のシンボルでもある東寺の五重塔は入定後50年経ってから完成したのですが、造営は空海が計画。落雷などで焼失し、現存するものは5代目です。内部に密教特有の華麗な空間をもち、塔そのものが大日如来を象徴しているとも。空海の独創性は建築物にも表れているのです。

身は高野、心は東寺に納めおく、大師の誓いあらたなりけり――東寺に伝わるこの御詠歌(ごえいか)が、空海の夢の続きを伝えます。

東寺1200年の歩み。新都・平安京の国営寺院から空海による密教を伝える根本道場へ

◆東寺(教王護国寺)
住所 京都府京都市南区九条町1
Tel 0756913325
開門 5時~17時
金堂・講堂拝観 8時~17時
観智院拝観 9時~17時
(いずれも16時30分受付終了)
金堂・講堂拝観料 500円
観智院 500円(特別公開時など料金変更の場合あり)
アクセス 近鉄京都線「東寺」駅より徒歩約5分(南大門まで)、東海道本線「京都」駅より徒歩約15分(慶賀門まで)
今春参加できる行事 鎮守八幡菩薩会(3月15日)、彼岸会(3月21日)、布薩会(4月15日)、正御影供(4月21日)
毎月参加できる行事 大般若会(1日)、御影供(21日)、骨董市(第1日曜)、弘法市(21日)
公式サイト

撮影/伊藤信