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2019.10.01

パラオ語で「ビールを飲む」は「ツカレナオス」!パラオに根付いた日本語がおもしろい!

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「シオバイ(商売)」「オキャク(お客)」「オカネ(お金)」「オツリ(お釣り)」「センキョ(選挙)」「シンブン(新聞)」「デンキ(電気)」これ全部、パラオ語なんです。

パラオってどんな国?

サンゴ礁の美しい南国の楽園、パラオ。2015年に天皇皇后両陛下(当時)が行幸啓され、大歓迎を受けられたことも記憶に新しいパラオは、世界で有数の親日国です。

パラオは、第一次世界大戦後から、第二次世界大戦で日本が敗戦するまで、国際連盟から認められた日本の委任統治領であり、多くの日本人が住んでいました。

パラオ語には日本語を語源とする言葉がたくさんあり、月を表したパラオの国旗は日本の国旗である日章旗に由来するという説もあります。

しかし、パラオを取り巻く国際情勢は刻々と移り変わっています。観光客数は激減、日本からの定期直行便は、2018年にデルタ航空が撤退した後は無くなり、今は夏季や年末年始の不定期での直行チャーター便のみとなっています。観光業が主要産業であるパラオにとって、厳しい環境が続いているのです。

一方で、観光客にとってこのような状況は、ゆっくりとパラオの絶景を独り占めする絶好のチャンスでもあります。日本にとって特別な友人であるパラオへ、一度訪れてみてはいかがでしょうか?

パラオの歴史

パラオは、1885年にスペインの植民地となり、1899年にスペインからドイツへ譲渡。1920年、第一次世界大戦後のパリ講和会議によって、国際連盟に認められ、日本の委任統治領となりました。
日本は、パラオのコロール島に南洋庁を置き、周辺の委任統治領の行政の中心にしました。そして、パラオの教育や医療、政治、経済などの社会基盤の整備に努め、日本人も数多く移住し、日本の統治期間中にパラオは目覚ましい発展を遂げました。
1947年、第二次世界大戦における日本の敗戦により、パラオは国際連合の信託統治地領としてアメリカ合衆国の管理下に置かれ、1994年、パラオ共和国として独立。その後、日本と外交関係を樹立し、今年2019年10月1日はパラオ共和国独立25周年、11月2日は日本・パラオ外交関係樹立25周年です。

日本語を語源とするパラオ語

日本語が語源のパラオ語は1000語とも言われます。特に日本統治時代に多くの社会基盤が作られたため、「シオバイ(商売)」「オキャク(お客)」「オカネ(お金)」「オツリ(お釣り)」「センキョ(選挙)」「シンブン(新聞)」「デンキ(電気)」など、日本語がそのままパラオ語になっている例が非常に多くあります。
他にも、「ツカレナオス(ビールを飲む)」「アジダイジョウブ(美味しい)」など、嘘のようで本当のパラオ語や、「アイコデショ(じゃんけんぽん)」など、少し間違って伝わってしまったケースもあります。「ヤッコチャン(オウム)」というのは、飼われていたオウムの名前が一般化してしまったとか。なんだか、楽しくなってきます。
また、アンガウル州では、パラオ語と英語に加え、日本語が公用語に定められ、海外で日本語が公用語となっている唯一の事例です。
パラオを観光してみると、レストラン、ショッピングセンター、ホテルなどには、日本語が話せるスタッフも多く、必ず日本語表記がしてあり、言葉で困ることはありません。

世界で2番目に寿司のおいしい国

世界で一番寿司が美味しいのは、もちろん日本ですが、パラオで食べる寿司も、決してひけをとりません。海に囲まれた島国で、マングローブ蟹、マングローブ貝、シャコガイなど、日本ではなかなか食べられないものを含め、生でも美味しい魚介がたくさん獲れるのです。世界で二番目に寿司の美味しい国と評する方もいるようで、日本の漁船もパラオで多くのカツオやマグロを獲っています。
居酒屋をはじめ多くの店に行くと、寿司や刺身の他に焼き鳥、カツ丼、ラーメンなど、日本料理が提供されています。
調味料にも当たり前のように醤油や味噌が使われ、料理と共に、日本酒や焼酎、日本のビール会社のビールも置いてあります。地元のタロイモで作ったタロイモ焼酎も、とても美味しいですよ!

日本料理店で流れる音楽は、もっぱら演歌や歌謡曲。海外に来たことを忘れてしまいそうな日本料理店には、観光客だけでなく、多くの地元の人が来ています。
もちろん、日本料理だけでなく、パラオの郷土料理の他、各国料理も楽しめます!

ツアーに参加するとランチで出てくるのは「ベントー(弁当)」。ベントーは、もちろんパラオ語です。白米に梅干しの「日の丸」に、オカズは豚カツや生姜焼きなど。パラオの絶景を楽しみながら、ビーチでベントーを食するという最高の休日が過ごせます。

パラオで見つけた日本の跡

建造物にも多くの日本統治時代の名残が見られます。例えば、最高裁判所は旧南洋庁のビルが使用されていますし、学校、神社、公園など、当時の建造物の一部や石碑が残っています。
また、世界遺産であるロックアイランドは、日本統治時代は「パラオ松島」と呼ばれました。
日本人が数多くの島を管理するために島の番号をローマ数字で書き残していたものが今でも見られ、ボートでのツアーでは、日本が整備した水路「新水道」を通るものがメインです。
空港のあるバベルダオブ島と、パラオの中心地であるコロール島を結ぶ「日本・パラオ友好の橋(KBブリッジ)」は、2002年に日本のODAによる無償資金協力で建設されたもの。施行は鹿島建設です。以前は、韓国企業が建設した橋が架かっていたのですが、1996年に突然崩落。バベルダオブ島からコロール島へ電気・水道・電話のライフラインが供給できなくなり、首都機能が麻痺し、国家非常事態宣言を発令した事態は「暗黒の9月事件」と称されました。

かつての激戦地ペリリュー島、アンガウル島

第二次世界大戦において、パラオのペリリュー島、アンガウル島は、日米の大激戦地でした。当時、日本軍は、民間人を犠牲にしてはならないという判断で、在住の民間日本人とパラオ人の主に子ども・女性・老人を、安全に配慮し強制疎開させました。ペリリュー島の戦いは、日本軍約1万人に対し米軍5万人弱、アンガウル島の戦いは、日本軍1千人強に対し米軍は2万人強という圧倒的な戦力差。日本軍にとって、想像を絶するような厳しい戦いとなりました。
ペリリュー島は、前述の2015年の天皇皇后両陛下(当時)パラオ行幸啓時に、ご慰霊をされたことで多くの人の知るところとなり、現在はツアーも組まれ、観光することが可能です。日本軍が要塞化した洞窟、戦車、ゼロ戦、海軍通信司令部跡など、ほぼ手付かずのまま。戦後に作られた戦没者を祀ったペリリュー神社や、日米の戦没者の慰霊碑も訪れることができます。
一方で、アンガウル島はツアーがなく、個別にチャーター機等の手配が必要となるため、訪問はかなり難しいかもしれません。
この美しい南国の楽園パラオを観光する際には、ペリリュー島やアンガウル島にも足を運んで、祖国や家族を守るために命を賭けて戦った人々の慰霊もしたいものです。

おわりに

パラオは、世界一美しいとも言われる海に囲まれていて、美味しい魚介類も豊富です。世界有数の親日国であり、日本語が通じ、日本統治下の名残も見られます。また、多くの日本人が祖国のために戦った場所でもあります。
日本にとって特別な友人である美しい南国の楽園パラオへは飛行機で約8時間。機会があれば一度は訪れたい国です。

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