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2020.06.17

自転車発祥の地、埼玉で自粛太りを解消!皇女和宮も通った中山道を「ポタリング」で巡る

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「埼玉県民には通行手形が必要」――映画の中の話ではあるが、できれば無用な心配は避けたい。ナンバープレートもなく、映画のように「埼玉狩り」に遭遇する心配もない乗り物といえば、自転車である。

群馬県渋川市と東京ディズニーランドを結ぶ、川沿いを走る日本一長いサイクリングロード。その全長170kmのうち、87.9kmが埼玉県内を通っている。また、県内は平坦な道が多いこともあり、県民の自転車保有率が高い。平成30(2018)年の調査(自転車保有実態に関する調査報告書)によると、保有率は東京、大阪に次いで全国3位。そして意外にも、埼玉は自転車発祥の地でもある。

本庄の発明家から生まれた世界最古の自転車「陸船車」

自転車の発明といえばフランスが定説。しかし、フランスの発明より約130年近く前に作られたのが、埼玉県本庄市の「陸船車」である。享保14(1729)年、本庄の庄田門弥(しょうだもんや)が、時速約14kmで走る陸船車を作ったという記録がある。名前の通り形状は船に似ており、箱型の車体に車輪が4つというシンプルな構造だったが、坂道も上ることができた。陸船車は製作後、8代将軍吉宗に献上されている。
この「門弥式陸船車」は、ヨーロッパよりはるか以前に作られた自転車として、たびたび話題になった。延期となってしまった2020年の聖火リレーだが、制作に10年以上の歳月をかけて実物大に復元された陸船車が、聖火通過時、本庄市内で活用される予定である。

皇女和宮輿入れの江戸下り「ロイヤルロード中山道」

自転車発祥の地、本庄は、かつて皇女和宮が武蔵国に入って最初に宿泊した宿場町だった。降嫁(こうか)とは皇女が臣下に嫁ぐことだが、天皇家の娘として初めて将軍の元へ降嫁したのが、皇女和宮である。文久元(1861)年10月20日、京を発ち、中山道を江戸に下った和宮一行は、11月11日に本庄宿に宿泊している。

江戸時代は3代将軍家光以降、宮家や公家の娘を迎えることが慣例となっており、婚姻には政略的な意味合いが強かった。そして姫君婚礼のための江戸下りについては、最短ルートの東海道ではなく、中山道を通行することが多かった。中山道は東海道とともに京と江戸を結ぶ大動脈。両道とも終始点は同じだが、なぜ、わざわざ時間のかかるルートを選んでいたのか。大井川などの大河によって川止めされることの多い東海道に比べ、中山道は山道ではあるものの、陸路が基本。そのため、安定した日程で通行できることが、最大の理由だったようだ。
日光例幣使も中山道を経由しており、上野国の倉賀野宿(現在の群馬県高崎市)から日光方面に分岐する例幣使道を通って、東照宮に赴いている。帰りは江戸を経由して東海道から帰京していた。往路のみ中山道を経由したのは、日光への最短ルートであり、やはり川止めがなく、安定した行程を組むことができたからだとされている。

本庄宿をあとにした和宮一行は、同月12日熊谷宿、13日桶川宿、14日蕨宿で小休憩ののち、荒川の戸田の渡しを渡り板橋宿、15日に江戸城北の丸清水邸に入る。

惜しまじな 君と民とのためならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも

和宮が京を発つ時に詠んだとも、降嫁を決意した時に詠んだともいわれる和歌である。政略結婚そのものといえる和宮の降嫁だったが、嫁ぎ先の14代将軍家茂とはそれなりに仲睦まじく過ごしていた様子。しかしながら、家茂は慶応2(1866)年7月、大坂城にて病死してしまう。降嫁してわずか4年の結婚生活だった。

本陣跡が残る蕨宿をゆるポタで辿る

ポタリングとは自転車で散歩を楽しむこと。ロードバイクのように本格的な自転車を用意する必要はない。ママチャリでも電動でも、普段使用している自転車を使って、時には自転車を降りて歩いたりしながら、街並みをゆっくり散策するのがポタリングの醍醐味。外出自粛でおこもり生活が続き、体重増加が心配になってきた。運動不足解消にもオススメなのがポタリングだ。ただし私は体力に自信がないので、ポタリングよりもかなりゆるい「ゆるポタ」で散策する。今回は埼玉県で最初の宿場、そして中山道第二の宿駅として栄えた蕨宿をメインに、私なりにゆるポタしてみた。

辻の一里塚跡

浦和方面から自転車を走らせ、30分ほど経過したころ、一里塚跡を見つける。約4Kmの目安として、また、旅人の休憩地として建てられたのが一里塚。木陰でひと休みできるよう、樹木が植えられることも多かった。車で通り過ぎるだけでは、きっと気がつかなかっただろう。

日本橋から数えて5番目の一里塚。本当にあったのだな、と感慨深い

本陣跡

いよいよ蕨市内の中山道へ。本陣は皇族や大名など、身分の高いものしか宿泊を許されなかった。本陣ではどんな宴が開催されていたのだろう。

本陣は和宮が降嫁の折に立ち寄ったほか、明治元(1868)年3月には、明治天皇が大宮氷川神社親拝にあたり、小休所として利用した

和樂備神社


中山道を少しそれるが、蕨城主渋川氏ゆかりの神社、和樂備神社に立ち寄ってみる。どうしても「わらくび」と読みそうになるが、「わらび」神社である。これも和樂webとの何かの因果、じゃなくてご縁かもしれないと思い、お参り。

運試し。なんと「大吉」を引き当てる

神社から中山道に戻り自転車を降りて、浮世絵が描かれた路上を眺めつつ歩いていく。

戸田の渡し

しばらく歩くと浮世絵ロードも終わり、再び自転車を走らせる。気がついたら戸田を過ぎ、蕨宿と板橋宿との間にある戸田の渡しに到着。渡船場の様子を記した『中山道戸田渡船場微細御書上』によれば、渡し口には渡船を取り仕切る川会所が置かれ、旅人のための茶屋などが立ち並んでいたそうだ。

戸田の渡しの様子

橋の中央まで来て引き返すのはもったいない(?)ので、サクッと東京都に入って折り返すとする。

こう見ると荒川も雄大である

萬寿屋

途中、心配していた埼玉狩りに遭うこともなく、復路へ戻る。西日も強くなってきて、冷たいものが欲しいところ。往路途中で気になっていた蕨の老舗茶屋、萬寿屋で休憩する。

あんみつに煎餅付きというのが粋

番外編

甘味処で疲れを癒して帰路へ着く。中山道を外れ自宅への帰り道を進むと、いつも気になっていた酒蔵の通りに出た。駐車場があるのかよくわからず、普段は通り過ぎるだけだが、やっと立ち寄ることができた。しかも新酒のお知らせ、杉玉がある!

内木酒造は創業安永4(1775)年、約200年以上続く酒蔵。敷地には由緒ある佇まいに負けない、とても立派な犬小屋が建てられていた。

「犬がいます。ご注意ください」の文字。さぞかし大きくて獰猛な犬が……?

……!

「おもちゃだよ!見て!」と近寄ってきた。かなり人懐こい。2代目看板犬「れい」

自分なりのコースを開拓してポタリングを楽しんで

内木酒造では純米吟醸「旭政宗」を購入し、今度こそ本当に帰宅。歩くには相当厳しい距離だが、気がつけばなんと往復20km走っていた。
今回のように歴史を辿るだけでなく、カフェ巡りや季節の植物を楽しむなど、独自のルートを探索してみるのもいい。好きな時に好きなコースを「無理なく」楽しむのが、ポタリングだ。コースアウトしても、きっと素敵な発見に巡り会えることだろう。ただ、車輪の惰性に任せてほぼ漕いでいなかったため(だって疲れるではないか)、私の体重には変化が見られなかった。

店舗その他

和樂備神社
蕨本陣跡
萬寿屋
内木酒造
<参考>
降嫁150年記念 皇女和宮と中山道/埼玉県立歴史と民俗の博物館

書いた人

埼玉生まれ。未だ迷いながら生きてる不惑の世代。迷走しつつ、音楽好きだけは貫いています。人生前半は仕事育児と突っ走って来たので現在、長期息切れ中。これからはゆるく伝統文化を堪能したりしながら、のんびり過ごしたい。